「自己を見つめ、己の才能や能力を充分に把握し、各人に固有の特性―その点にかけては、だれにも引けを取らないという特性―を発揮するよう心がけねばならない。
健全な利己主義のすばらしいところは、利己的であると同時に利他的でもありうるという点だ。利己主義は、社会向上における最も利他的な態度であると言うこともできる。
だれかに『利他的になるための最善の方法は何か。社会に貢献するための最善の方法は何か』と問われたときには、『自分の能力を最大限に発揮できる仕事を見つけ、それに従事することだ』と答えるべきだ。
自分の能力を最大限に発揮できるということは自己実現に近づくということであり、欲求が充足されて幸福感を味わえるということである」
(A・H・マズロー『完全なる経営』p.391 日本経済新聞社)
最近の「働く」論議では、ニートやフリーターを“怠け者”として攻撃する議論があり、また他方では最近の若者達の無職の原因を経済動向や企業の雇用動向に求める議論があります。
こうした議論を行う人たちの大前提として、「人は働かなければならない」「働くことが人にとっていいことである」という考えがあります。
しかし、じゃあ働いている人たちは働いていることが嬉しいのか?彼らは幸せに働いているのか?といった問いを立てて考える人はあまりいません(少なくともメディアに出てこない)。
日本の労働人口の8割以上が従業員千人以下の中小企業で働いています。彼らの労働条件は生活しやすいものなのか?いや、そもそも今の人たちは、月曜日が楽しみになるような、そういう生活をしているのか?それとも労働と引き換えに給与を得るために、生活時間の大部分をしたくないことに捧げているのか?そういう生活をしている人が大部分を占める社会がいい社会なのか?そういう問いを立てる人の声は届いてきません。
まず若者に職を与えるという発想、つまり人間を駒に見立ててそれにエサを与えるという官僚的発想で政策をしても、根本的な解決にはならないでしょう。マズロー的にみれば、それは人間の根本にある欲求には答えていないからです。
今社会が考えるべきなのは、どうやって若者に職を与えるか(職の内容を問わず)ということと同時に、人それぞれにとって自己実現の欲求を満たす仕事を見出すにはどうすればいいのかということだと思います。
人は、自分が好きな仕事をしていれば、働いていない他人を批判するなどということはしないと思うのです。
涼風
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