joy - a day of my life -

日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

「中島らもさん死去」に思う

2004年08月06日 | Book
もう一週間以上前になりますが、中島らもさんがお亡くなりになりました。らもさんのエッセイに親しんできたものとしては、やっぱりショックな出来事でした。御冥福をお祈り申し上げます。

今回の報道をきいたとき、一瞬ぼくは「エッ」と思いました。それは多くの人がそうだと思います。ただ同時に、心のどこかで、そういうこともありうると考えている自分もいました。

ぼくはらもさんの小説は読んだことがないのですが、彼のエッセイ、とりわけ80年代後半から90年代初めにかけて書かれたものをよく読みました。とくに印象に残っているのは、「獏の食べのこし」「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」です。

らもさんと言えば「明るい悩み相談室」のユーモアあふれる文章が有名だけど、上記の二冊や他の作品を読めば、彼の内面にはどうしても拭いきれない反社会的な側面や暗いものがあることは、分かると思います。

らもさんという人は、人生を楽しみながらも、どこかでいつも人生や世の中につばを吐きかけたくなる、そういう衝動をいつももっていた人なのでしょう。

彼はとても精神的に清潔な人で、ねばねばした人間の「情」みたいなものを忌み嫌っていました。そうした「情」がもつ抑圧性に敏感な人で、彼の大阪批判はそこから来ていました。

じゃあ、なぜらもさんは東京に移住しなかったのだろう。もちろん関西が住み慣れているからというのもあるのだろうし、同時に、関西の中に、たんに情に訴えかけるだけじゃない、乾いた都市性みたいなものをみていたのかもしれない。

その都市性とは、都会的というより、多くの人間が寄り集まったがゆえに生まれる雑種性と匿名性みたいなもののような気がします。

彼は、無理やり友達づきあいを強いてくる人間関係の「情」を忌み嫌っていたけど、同時に、身寄りのない人間がより集まうことで生まれる乾いた優しさみたいなものを、いつも求めていたような印象が僕にはあります。きっと、ほんとうのやさしさみたいなものを求めていたロマンチストだったのだろうな。

らもさんは以前エッセイで、「自分が死ぬときは、まわりの人たちの泣いている顔を見て、どいつもこいつもまずい面だな、と言いたい」と書いていました。らもさんは天国でも、あほなひとたちを観察して楽しんでいるに違いない、そう思いたくなります。

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