『こんな病院が欲しい―「魂」のケアから「死」のケアまで』(マハーサマーディ研究会 (編集), 天外 伺朗)という本を読みました。
この本を読んだきっかけは、編者の天外司朗さん(ソニーコンピュータサイエンス研究所代表)がインタビューで、「これからは病院という概念が大転換します」と述べていたからです。その彼の主旨が多少詳しく述べられているのがこの本です。
執筆者がたくさんいるこの本ですが、その殆んどが開業されているお医者さんです。この本で彼らが述べている意見の共通点を挙げてみます。
・国民皆健康保険制度の問題点
このシステムの問題は、沢山の人が病気になればなるほど病院が経済的に儲かるという仕組みになっていること。そのため、どれだけお医者さん看護士さんが誠実で一生懸命であろうと、病院経営を考えると無意識のうちに「多くの患者さんに来て欲しい=多くの人に病気になって欲しい」というメンタリティを身につけてしまうこと。これは医療者個人の問題ではなくシステムの問題であること、
・新技術の絶えざる導入
上記の保険制度の問題と結びつくのですが、病院としてはなるべく多くの治療費を請求しようという圧力を受けているため、つねに高価な治療器具・機械を使ってしまう。また、そうした新技術をつねに導入しなければ、医者は論文を書くことができないという学界の問題があります。これにより患者は「科学的」な医療と高額の負担を強いられます。
・製薬業界の圧力
新技術と同様に、治療費を多く請求できるという点で、また新しい論文を書けるという点で、病院にはつねに「新薬」を導入しなければという圧力がかかります。またMR(医療情報担当者)が病院・医療者と密接な結びつきをもつことで、製薬業界の経済競争に病院が巻き込まれます。その最終的な影響は患者に及びます。
・西欧医学の合理性の問題
新技術・新薬を追い求める傾向と結びつくのが、つねに外科的治療において体を切り・口と鼻に多数のパイプを差し込むような治療が支配的になります。機械を修理するように人間を扱う傾向です。
・患者のメンタリティの問題
こうした医学の性格が浸透することで、患者の側も、病気というのは病院で治すものという考えを持つようになり、病気における自分の生活習慣の責任や、人間の力ではどうすることもできない自然の力というものへの感覚をなくしてしまっています。
これらは医療への類型的な批判とも言えますが、しかし実際の医療者がこれらのことを問題点として指摘しているという事実は重く受け止めてよいと思います。どれだけこれらの批判が単純に見えようと、実態として問題としてこれらの点が残っているということだと思います。
これらに対して天外さんたちが提唱するのが次のような医療です。
・多くの人が病気になればなるほど病院が儲かるという現在のシステムに代えて、病人が少なくなればなるほど病院が儲かるというシステムの構築。
これは具体的には、病院に代わり「ホロトピックセンター」と言われる会員制の組織を地域に作り、会員はその組織に会員費を納め、「ホロトピックセンター」はその会員費で経営をします。会員費は病気になってもならなくても納めます。そのため「ホロトピックセンター」は、病人を少なくすればするほど、治療にかかる費用を削減させ、経済的に潤います。
こうしたシステムにより、医療者は会員がもう「ホロトピックセンター」には来ないように万全のケアを施します。また彼らが病気にならないように、会員に向けて予防医学の普及を熱心に図るようになります。
・ホリスティック医療の普及
上記の「ホロトピックセンター」のシステムとも結びつきますが、病気になってから病人を治すという西欧医学の発想ではなく、病気を「病気」という特殊な事態ととらえず、生活・人生の流れ全体の中の一つとして病気をとらえ、ケアすべきなのはこの生活・人生の流れ全体であるという意識をもつようにします。それにより、「ホロトピックセンター」は、普段の生活習慣・メンタル面での習慣などもケアの対象にするようになり、会員は「病気」の時だけではなく、普段の生活の悩みや問題も「ホロトピックセンター」に相談できるようになります。そうした悩みへの対処は、高価な医療器具を導入する治療より遙かに安く済みます。ホリスティック医療では、身体と心の結びつきを重視します。
これは「ホロトピックセンター」が昔のお寺や教会などが地域に果たした役割を取り戻そうとする企画です。「ホロトピックセンター」は、単に病気を治すのではなく、その会員の人々の人生をよくするお手伝いをするという発想の元に成り立ちます。病気の範囲を限定せずにケアする範囲を拡げ、同時に新技術で徹底的に人体を操作するという発想を極力取り除きます。
天外さんはこうした取り組みが普及するには数十年かかると見ていますが、同時に現在の病院のようなシステムはその間にバタバタつぶれるだろうと述べています。
わたし自身は身体の深刻な病気というものにはかかったことがないので、病院という組織への知識には乏しい方です。
ただ官僚的な行政による福祉というものに問題があり、それに代わる地域福祉・市民の生活リスクを軽減するクッションの役割を果たす機能の確立というものの必要性は感じます。
天外さんたちの言うホリスティック医療には、忌避感を感じる人もまだ多いのではないかと思います。東洋医学にのっとったそれらの医療は、身体を一つの「宇宙」ととらえ、病気をも身体・人生にとって必要なプロセスととらえて対処する場合もあります(熱など)。また癌の発生と「気持ちのありよう」と結びつけることに抵抗する人もいると思います。
ただ、たとえばこの本の著者のひとりが言うように、「ありがとう」という言葉を一日中ずっと唱えることで癌が消えたという人が少なくないのも事実のようです。
またよい音色の音を聴かせることで病気が改善する(音楽療法)だけでなく、水の質が良くなったという報告もあります。有名な話では「ありがとう」という文字を書いた紙を水の入った瓶に貼り付けることで、きれいな結晶ができたという事例もあります。
そうした神秘的な発想・目に見えないものが身体や事物に影響を及ぼすと考えるのがホリスティック医療の性格の一部です。それはオカルトにも見えますが、いずれ科学が仕組みを解明するプロセスだとも考えられます。
ともかく、従来の合理的な考えでは、人間の体も生活も良くすることはできないという発想をするのが、この「ホロトピックセンター」であると言えます。
病気だけでなく、気持ちのありようや生活全体をよくしようという発想には、社会学者ならば「生活全体の操作」という批判を加えるかもしれません。その危険もありますが、しかしその危険は「ホロトピックセンター」の意図と良い点が浸透してから発生する問題であり、「ホロトピックセンター」の良い点を十分に考慮せずに頭だけでそういう批判をするのは視野が狭いように感じます。
この天外さんの試みは、私もウォッチしていきたいと思います。
涼風
参考:『ホロトピック・ネットワーク』
この本を読んだきっかけは、編者の天外司朗さん(ソニーコンピュータサイエンス研究所代表)がインタビューで、「これからは病院という概念が大転換します」と述べていたからです。その彼の主旨が多少詳しく述べられているのがこの本です。
執筆者がたくさんいるこの本ですが、その殆んどが開業されているお医者さんです。この本で彼らが述べている意見の共通点を挙げてみます。
・国民皆健康保険制度の問題点
このシステムの問題は、沢山の人が病気になればなるほど病院が経済的に儲かるという仕組みになっていること。そのため、どれだけお医者さん看護士さんが誠実で一生懸命であろうと、病院経営を考えると無意識のうちに「多くの患者さんに来て欲しい=多くの人に病気になって欲しい」というメンタリティを身につけてしまうこと。これは医療者個人の問題ではなくシステムの問題であること、
・新技術の絶えざる導入
上記の保険制度の問題と結びつくのですが、病院としてはなるべく多くの治療費を請求しようという圧力を受けているため、つねに高価な治療器具・機械を使ってしまう。また、そうした新技術をつねに導入しなければ、医者は論文を書くことができないという学界の問題があります。これにより患者は「科学的」な医療と高額の負担を強いられます。
・製薬業界の圧力
新技術と同様に、治療費を多く請求できるという点で、また新しい論文を書けるという点で、病院にはつねに「新薬」を導入しなければという圧力がかかります。またMR(医療情報担当者)が病院・医療者と密接な結びつきをもつことで、製薬業界の経済競争に病院が巻き込まれます。その最終的な影響は患者に及びます。
・西欧医学の合理性の問題
新技術・新薬を追い求める傾向と結びつくのが、つねに外科的治療において体を切り・口と鼻に多数のパイプを差し込むような治療が支配的になります。機械を修理するように人間を扱う傾向です。
・患者のメンタリティの問題
こうした医学の性格が浸透することで、患者の側も、病気というのは病院で治すものという考えを持つようになり、病気における自分の生活習慣の責任や、人間の力ではどうすることもできない自然の力というものへの感覚をなくしてしまっています。
これらは医療への類型的な批判とも言えますが、しかし実際の医療者がこれらのことを問題点として指摘しているという事実は重く受け止めてよいと思います。どれだけこれらの批判が単純に見えようと、実態として問題としてこれらの点が残っているということだと思います。
これらに対して天外さんたちが提唱するのが次のような医療です。
・多くの人が病気になればなるほど病院が儲かるという現在のシステムに代えて、病人が少なくなればなるほど病院が儲かるというシステムの構築。
これは具体的には、病院に代わり「ホロトピックセンター」と言われる会員制の組織を地域に作り、会員はその組織に会員費を納め、「ホロトピックセンター」はその会員費で経営をします。会員費は病気になってもならなくても納めます。そのため「ホロトピックセンター」は、病人を少なくすればするほど、治療にかかる費用を削減させ、経済的に潤います。
こうしたシステムにより、医療者は会員がもう「ホロトピックセンター」には来ないように万全のケアを施します。また彼らが病気にならないように、会員に向けて予防医学の普及を熱心に図るようになります。
・ホリスティック医療の普及
上記の「ホロトピックセンター」のシステムとも結びつきますが、病気になってから病人を治すという西欧医学の発想ではなく、病気を「病気」という特殊な事態ととらえず、生活・人生の流れ全体の中の一つとして病気をとらえ、ケアすべきなのはこの生活・人生の流れ全体であるという意識をもつようにします。それにより、「ホロトピックセンター」は、普段の生活習慣・メンタル面での習慣などもケアの対象にするようになり、会員は「病気」の時だけではなく、普段の生活の悩みや問題も「ホロトピックセンター」に相談できるようになります。そうした悩みへの対処は、高価な医療器具を導入する治療より遙かに安く済みます。ホリスティック医療では、身体と心の結びつきを重視します。
これは「ホロトピックセンター」が昔のお寺や教会などが地域に果たした役割を取り戻そうとする企画です。「ホロトピックセンター」は、単に病気を治すのではなく、その会員の人々の人生をよくするお手伝いをするという発想の元に成り立ちます。病気の範囲を限定せずにケアする範囲を拡げ、同時に新技術で徹底的に人体を操作するという発想を極力取り除きます。
天外さんはこうした取り組みが普及するには数十年かかると見ていますが、同時に現在の病院のようなシステムはその間にバタバタつぶれるだろうと述べています。
わたし自身は身体の深刻な病気というものにはかかったことがないので、病院という組織への知識には乏しい方です。
ただ官僚的な行政による福祉というものに問題があり、それに代わる地域福祉・市民の生活リスクを軽減するクッションの役割を果たす機能の確立というものの必要性は感じます。
天外さんたちの言うホリスティック医療には、忌避感を感じる人もまだ多いのではないかと思います。東洋医学にのっとったそれらの医療は、身体を一つの「宇宙」ととらえ、病気をも身体・人生にとって必要なプロセスととらえて対処する場合もあります(熱など)。また癌の発生と「気持ちのありよう」と結びつけることに抵抗する人もいると思います。
ただ、たとえばこの本の著者のひとりが言うように、「ありがとう」という言葉を一日中ずっと唱えることで癌が消えたという人が少なくないのも事実のようです。
またよい音色の音を聴かせることで病気が改善する(音楽療法)だけでなく、水の質が良くなったという報告もあります。有名な話では「ありがとう」という文字を書いた紙を水の入った瓶に貼り付けることで、きれいな結晶ができたという事例もあります。
そうした神秘的な発想・目に見えないものが身体や事物に影響を及ぼすと考えるのがホリスティック医療の性格の一部です。それはオカルトにも見えますが、いずれ科学が仕組みを解明するプロセスだとも考えられます。
ともかく、従来の合理的な考えでは、人間の体も生活も良くすることはできないという発想をするのが、この「ホロトピックセンター」であると言えます。
病気だけでなく、気持ちのありようや生活全体をよくしようという発想には、社会学者ならば「生活全体の操作」という批判を加えるかもしれません。その危険もありますが、しかしその危険は「ホロトピックセンター」の意図と良い点が浸透してから発生する問題であり、「ホロトピックセンター」の良い点を十分に考慮せずに頭だけでそういう批判をするのは視野が狭いように感じます。
この天外さんの試みは、私もウォッチしていきたいと思います。
涼風
参考:『ホロトピック・ネットワーク』
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