『下流社会 新たな階層集団の出現』という本を読みました。といっても20分ぐらいの流し読みです。結局私がこの本から受け取ったメッセージは
まともな定職につかずにフラフラしている若者が増えているが、彼らには社会的に上昇しようという意欲がない。
だけでした。他にも色々言っているのかもしれませんが、私には読み取れませんでした。
こうした「下流」論に共通するのは、「下流」の人たちは「個性」や「自分らしさ」が大事だと言うが、それは結局一種の現実逃避にすぎないというものです。
世の中の仕組みは社会の上に位置する人たちが作っており、「下流」の人たちはそこから締め出されているか搾取されているだけなのに、その状況を何とか理解するために「自分らしさ」という言葉が使われているだけだということです。
『ドラゴン桜』でも同じことが言われていましたが、まるでマルクスの世界だなと思いました。資本主義の搾取の構造は変わらず、現代では「自分らしさ」という宗教が蔓延しているということです。
ただマルクスとは異なり、「下流」論を述べる人たちは、概して「下流」にいる人たちのメンタリティを問題視しているように感じます。生活にだらしなく、現実から逃避している者たちの態度にこそ、問題の原因があると主張している印象を私は受けます。
また彼らが繰り出す処方箋も、なんとか「下流」の人たちを既存の秩序にもう一度取り込もうという意図からなされています。そこには、彼らがなぜ既存の秩序を忌避するのかということを問う姿勢はなく、むしろそれは「下流」の人たちのだらしないメンタリティに原因があるとされています。
私には、「下流」論のそうした視点自体が、なにか問題をはらんでいるように思えます。
涼風
参考:「階層化社会に直面すると言うこと」『日々の生活から起きていることを観察しよう!! by ムギ』
「『希望格差社会』山田昌弘(著)」“joy”
「地に足がつく」“joy”
「『仕事の中の曖昧な不安』玄田有史(著)」“joy”
まともな定職につかずにフラフラしている若者が増えているが、彼らには社会的に上昇しようという意欲がない。
だけでした。他にも色々言っているのかもしれませんが、私には読み取れませんでした。
こうした「下流」論に共通するのは、「下流」の人たちは「個性」や「自分らしさ」が大事だと言うが、それは結局一種の現実逃避にすぎないというものです。
世の中の仕組みは社会の上に位置する人たちが作っており、「下流」の人たちはそこから締め出されているか搾取されているだけなのに、その状況を何とか理解するために「自分らしさ」という言葉が使われているだけだということです。
『ドラゴン桜』でも同じことが言われていましたが、まるでマルクスの世界だなと思いました。資本主義の搾取の構造は変わらず、現代では「自分らしさ」という宗教が蔓延しているということです。
ただマルクスとは異なり、「下流」論を述べる人たちは、概して「下流」にいる人たちのメンタリティを問題視しているように感じます。生活にだらしなく、現実から逃避している者たちの態度にこそ、問題の原因があると主張している印象を私は受けます。
また彼らが繰り出す処方箋も、なんとか「下流」の人たちを既存の秩序にもう一度取り込もうという意図からなされています。そこには、彼らがなぜ既存の秩序を忌避するのかということを問う姿勢はなく、むしろそれは「下流」の人たちのだらしないメンタリティに原因があるとされています。
私には、「下流」論のそうした視点自体が、なにか問題をはらんでいるように思えます。
涼風
参考:「階層化社会に直面すると言うこと」『日々の生活から起きていることを観察しよう!! by ムギ』
「『希望格差社会』山田昌弘(著)」“joy”
「地に足がつく」“joy”
「『仕事の中の曖昧な不安』玄田有史(著)」“joy”
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