スイス生れの画家パウル・クレーと詩人の谷川俊太郎さんによる詩画集『クレーの天使』を読んで見ました。
クレーの絵は不思議だし、こういう絵を見ると画家というのは不思議だと思います。画家という人たちにとっては、“上手い絵下手な絵”という区別はもう存在しないのだと思います。彼らは“上手い絵”などというものには興味はなく、ただ自分から湧き出てくるものを自分が邪魔せずに上手く表現できたか、あるいは自意識で表現できなかったかという区別しかないんじゃないでしょうか。
クレーの絵は、そしてどんな優れた画家の絵も、真似て書けるものじゃない。画法の上達のために最初は模倣が大事でも、その人にとって気に入る作品が書けるようになるのは、真似るという意図的な作業を抜けてただ自分の中から湧き起こってくるものを表現できるようになったときだと思う。
どうしてクレーはクレーのような絵を描けるようになったのか、素人にはちょっと想像がつきません。クレーも人の子ですから、同時代の絵画の潮流に当然影響されているだろうけど、でも彼の絵を「クレーの絵」たらしめているものは、最終的には言葉で説明できないもののように思います。
一見説明のつかないめちゃくちゃな線の引き方なのに、クレーの絵を見ていると、何か今まで届かなかった胸の中の感情を針線で突付かれて、ジワッと溜まっていた感情が浮かび上がってくるようです。
それはクレーの絵が、今まで私が接したことのない、あるいは忘れてしまった秩序をもった図を描いているので、私が胸の奥に抑圧した感情がえぐられて表面に浮かび上がってくるのです。
なぜクレーの絵がすばらしいのかは今は説明できません。でもクレーの絵に動揺している自分がいることは、クレーの才能が描く秩序を私もかつて知っていたのかもしれません。
成長するにつれ、常識的な物の見方が私の身体には張り付いてしまっていますが、クレーの絵は、その表面的な常識の多くにある、普通とは異なる物の見方を思い出させます。
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写真:川
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