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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

呆けている 『ブギーナイツ』

2005年01月23日 | 映画・ドラマ
先日、『ブギーナイツ』というアメリカ映画を観ました。1997年の映画だからもう7、8年も前の作品です。当時、とても高く評価されました。

(以下、ネタばれあり)

舞台は70年代終わりから80年代初めのポルノ映画業界です。一人の青年がペニスの大きさを武器にポルノ界のスターになりながら、じぶんの虚栄心とヤク中毒で転落していく過程が描かれています。

この監督は、人間の心理の奥にある悲惨さを容赦なくあぶりだしていきます。

ポルノ界というのはたしかにお金が儲かり、そこにいる人々はわが世の春をたしかに謳歌しています。しかし監督のポール・トーマス・アンダーソンはあえて、そのポルノ業界の人々の屈折し痛みを抱えた心理を白日の下に曝していきます。

昼夜をとわずセックスすることで現実逃避する人妻。ポルノ女優であることで子どもに会うことを裁判所に禁止され、コカインに逃げる母親。学校をドロップ・アウトしてポルノ女優をしながら、そのことにコンプレックスを抱え続ける女の子。ポルノ男優だからという理由で事業への銀行融資を断られる男。ポルノを芸術に高めたいと思いながら、滑稽な作品しか作れない業界の人たち。

ポルノという安易な商品に逃げ込んでお金を稼ぎながらも、誰もがそのことに本当は誇りをもてきれず、現実逃避にはまっていきます。その中で登場人物たちは、その安易な業界の中で「いや、自分たちは立派な作品を作るんだ」となんとか自己正当化を図り続けますが、できるのは悲惨な作品ばかり。人間の「哀れ」をこれでもかと見せつけて生きます。

主演の男の子は母親にろくでなしあつかいされ、それに反抗してスターに上り詰めますが、ヤクにはまって一文無しになり、最後には男にオナニーを見せて10ドルを稼ごうとするところまで「落ちぶれ」ます。

現実逃避する人間のこころの奥にある「怠惰」「傲慢」「痛み」といったものを徹底的にあぶりだした後、ポール・トーマス・アンダーソンはラストにひとつの解決を見せます。それが登場人物たちにとって解決なのかどうかは本当はわかりませんが、観客はそのラストで何とか救われます。


涼風



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