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日々の体験や思ったことを綴ります(by 涼風)。

『愛についてのキンゼイ・レポート』

2005年11月15日 | 映画・ドラマ

昨日久しぶりにビデオを観てその感想を書こうと思ったら、ここ最近見ていた映画について書いていないのがなんだか気持ち悪くなりました。

9月の最初に『愛についてのキンゼイ・レポート』(公式サイト)を観ました。


うーん、やはりなんだかとらえどころのない映画で、感想を書こうという気持ちがずっと湧きませんでした。

キンゼイ・レポートとは1948年に出版されたアメリカ人の性的経験を1万人以上のインタビューに基づいて調査したものです。正確な数字は忘れたのですが、セックスの相手の数や同性愛の割合について驚異的に多い数字を報告しています。婚前交渉すらタブーに思われていたらしい当時のアメリカではショッキングきわまりない出版だったらしく、その後のキンゼイ博士は政治・メディアによって研究を妨害されていきます。

(ただ別の研究者による後の調査では、アメリカ人のセックスの相手の数や同性愛の割合はキンゼイの調査よりもはるかに少ない数字を示すものもあるそうです)

映画は、彼の育った厳格なキリスト教思想の家庭、そこから逃げ出すように大学で虫の生態の研究に没頭するキンゼイ、妻となる女学生との出会い、妻との結婚・性的交渉から当時の人々の性経験の実態の調査に乗り出す過程を描いていきます。

事実のリアリティをかなり追い求めようとしたことがスクリーンから窺える映画です。性的実態の調査に踏み込む際に雇った助手(男)と試しにセックスするキンゼイ、彼との経験を妻に打ち明けて怒りを買うキンゼイ、その助手と妻とのセックス(妻が「彼としたいわ」)を許可するキンゼイ、奔放な性の実態を暴いていくうちに同じ調査チーム員の若妻を寝取る助手、そこから生じる調査員同士の痴話喧嘩、などなど色々な話が出てきます。

こうした事実を一つ一つ丁寧に出すために、「タブーに挑戦して真実を追究した研究者の物語」になるはずが、観念だけが先走って行動する頭のおかしな人たちの滑稽な行動を描いた映画になっていきます。作りがていねいなために、映っているお話のバカバカしさに苦笑してしまいます。


ただそうした中でも色々と考えさせられる場面もあります。

キンゼイは元々厳格なキリスト教家庭の父に強烈に反発し、そんな「石頭」の父が強制する工科大学を無断で退学し、生物学を学ぶため家を出て他の大学に奨学金を取って行きます。

しかしその彼が父親となったとき、水泳に熱中する息子(大会で優秀な成績を収める)に向かって「運動ばかりするから頭がおかしくなっている」という類の差別的な言葉を吐くのです。

この辺りは権威に反抗する人間の心の狭さを描いて納得させられました。今では当時のタブーに挑戦した英雄的科学者と彼を見る人もいるかもしれません。しかしそんな彼にも強烈に権威的な側面がありました。

この映画を観た9月のはじめといえばちょうど日本でも選挙騒ぎがあり、当時の首相が巻き起こしたセンセーショナルな選挙キャンペーンで日本が一色となっていました。既存の権威を壊すという人自身が権威的なパーソナリティを発揮するというよく見慣れた光景を示しているように私には思え、キンゼイの性格と彼とが一部ダブって見えました。


映画全体は、タブーに挑戦するあまり観念が先走っておかしな行動をする常識外れの科学者の生態を描くという感じで進んでいきます。

しかし終盤ではそのリアリティの追求がいい方向に向かいます。たとえば母親の死をきっかけに葬儀で父と相対し、父の口から自身の少年時代の体験を「インタビュー」する場面。

そしてスキャンダラスな性の実態を暴いてきた自分の研究が、ある一人の女性を勇気づけ、彼女に生きる勇気を取り戻すきっかけを与えていたことを知る映画終盤の場面。そのときキンゼイは自分がしてきた研究の意味を初めて知ります。少なくとも映画ではそう描かれています。題名が「愛についてのキンゼイ・レポート」なのは、的を得た邦題であることが観客にわかる場面です。

もうすぐビデオ・DVDで出ると思いますけど、機会があれば見てみてください。


涼風


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