吉倉オルガン工房物語

お山のパイプオルガン職人の物語

第二百四十五段 歳を得てからの友人は

2020年05月08日 | 思うこと

徒然草っぽいだろう?

特に意味ナシ。

最近の行動遺伝学の話なんかによると、30代、40代の年齢になると育ちや教育よりも遺伝的要因が大きく出るものらしい。
双子の追跡調査では、20代あたりを過ぎると高度な教育を受けていても低学歴でも知能の差は少なくなって、30代あたりでほとんど知能の差は無くなるらしい。
この辺の研究の指標は日本では学力で外国では知能だということがあるようだ。
学力というのは主に知識に基づいているけれど、どんなに頭の良い人でも知らないことは知らないものだし、一方知能というのは、知識が無くても考えられる能力だったりする、地頭(じあたま)の良さというのが適当な日本語だろうか?

成人期の知能のためにはあまり教育は関係なく、地道に努力する能力すら遺伝による部分が大きいそうだ。

これは教育関係者にとっては受け入れ難いことだろうし、僕らボンクラでも何故か抵抗を感じる。
身長や髪の色、目の色が遺伝に支配されていたとしてもあまり抵抗感を感じないでしょ?
だけど、知能もそうだと言われると何故か抵抗を感じません?
オレがバカなのは親のせいだと科学的に言われれば楽になるような気がするのだけれど、やっぱり理由不明な抵抗感があります。

不思議ですね。

まあその辺の話はまた改めてするとして。

その伝でいくと、

十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人

ってのは割と言えてるのかも。
ならば40代を越えた人たちはあまり育ちに関わらずその人なりにナチュラルな状態にあるのではないかと。
年を取ると何となくそれは受け入れられるかな。
親の生き方、考え方に反発していた子が年を経て親そっくりになった実例を見たりしているし。

で、タイトルに戻ると、僕にはお互い年が行ってからの知人友人がいるわけだけど、その方々は実は安心するに値する人格なのではないかと。

僕の亡き父は社会人になってからの友人に裏切られた経験があったようで、常々「学生時代の友達は利害も無くかけがえのないものだ」と言っていたのだ。
その事自体は否定しないけれど、年が行ってから知り合った人たちは人格が良くも悪くも安定していてわかりやすいと思うのですよ。父さん。

どう化けるかわからない若者よりもすでに本性が発現した中高年の方が判断しやすいのではってことです。
まあ、だから何だって言うと、年が行ってからも良い出会いはありますよってこと。

老境に入って大変化する人(主に下方に)も結構居るようだけどね。って今までの話は何だったんだ?

とぞなむ言ひける。


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2 コメント

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努力する才能 (Tachinon)
2020-05-08 08:33:19
「地道に努力する能力すら遺伝による部分が大きい」・・・・で思い出しました。
 若い頃は気づかず、定年間際で所謂「窓際」に近い職場(実際、後がすぐガラスろ窓で冬寒かった)に行ってから気づいたのですが、「努力の仕方」「どのくらい努力すればとの位上達する」「知識を得る方法を知っている」「知識を保存する方法を知っている」ということが、所謂「頭の良い」といわれる人達」は、それをいつの間にか会得しているけれど、「そうでない人」はそれができてない・・と感じるようになりました。
 それって遺伝的なものなのか、「教育で会得」できるものなのか・・・その辺はわからないのですが。・・まぁ今更知ってもしょうがないかも・・
 ノートのとり方、(自分の為の)マニュアルの書き方、今ならWebでの情報の探し方・・・あたりは義務教育の段階で教えてもらえば、(ある程度ですが)なんとかなるようも思えるのですが。
やりたいことと向いていること (吉倉オルガン)
2020-05-08 22:32:33
Tachinonさん、ようこそ!

経験的にも最近の研究結果からも明らかにやりたいことと向いていることはあると考えられます。
僕は妙な機械に対することの適性はあると思いますが、音楽関係はトラウマレベルでダメです。

その辺を理解して自分の適性を集中的に伸ばすことが人生の成功の秘訣らしいですけど、向いているけど好きじゃないこともあるわけで、限られた人生の時間をどう過ごすかは考えどころですね。
恐らく選択の自由がある限りは。

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