VANNON32のブログ  『生命の實相』哲學を學ぶ

谷口雅春大聖師の教えを現代に生かす

神想観の合掌

2015-05-09 16:36:08 | 生長の家

     生長の家教団理事文書指導部長  吉 田  國 太 郎


 此の頃胸底をはなれない思いを此処に認めてみる。

 「物質無」 此の光明が生きないで今此処に 「生命(いのち)の世界」 を生きることは出来無い。 現実の根本観念が 「物質有」 になっていては、今此処に 「生命(いのち)の世界」 は生れない。 それ故に、人間の本当の生活はかくあるべきだとの神の御声を素直にいかして行くことも出来無い。 其の知識や経験が如何に豊富であっても、其の堆積は 「生命(いのち)の世界」 の生きる力とはならない。 其の力故に割り切れない矛盾撞着に堕ちて不信の徒となることもある。


 「物質有」 の観念に在りながら、自分が懐疑の無明に覆われていないと思う者は、深く自分の心に沈んでみれば、心の奥底に必ず懐疑の蟠りが潜んでいることを見出す。 これが罪であり気枯(けがれ)であると真理は告げ給うのである。 そして又此の苦悩を五官六感の力に依って折伏しようと努力するので、其の収穫とみえるものにさえも何等真実の収穫は無く生命(せいめい)はその縺れを増して行く。

 「物質有」 と信じて顛倒している心が、コトバの力に依って真理の念(こころ)を駆使しても、現象の功徳は現われる。 現象顕現の心の法則にかなえば現われる。 併しこれは現象の功徳であって、本当の功徳である無限生命そのものではない。 無限の功徳そのものは、現象を超えて 「生命(せいめい)の世界」 に内在する。 

 所詮一度は、死の関門を透過して生きる 「生命(せいめい)の世界」 である。 此の誕生此の消息を導き生かす聖なる光明が生長の家の御教である。 此の処が如実に生きて、現象の今此処に実相の永遠に生きる神の子の生活が誕生する。 「神想観・今・ハジメ」 此処に帰命し此処に誕生して神の子の生活に真理の書がその霊性を開眼する。 

 此の光明に生かされて、神の子が拝むべき聖なるものを本当に礼拝出来る処の至心の礼拝がさきはえられ、此処に一切万事が生かされて行く。 一切皆空の底にすみきる礼拝の心。 これより大いなるものはない。 大小の問題ではない。 遠く遥かなる今此処天国。 五官六感を超えて神の子が生かされる。

 教団本部道場の早朝神想観に坐し此の光明を拝し此処に生命(いのち)が恵まれて来る日々(にちにち)である。 神様有難う御座います。 神様有難う御座います。 此の感謝が滞るものなく虚空に澄み通る超現象の感謝合掌を祈っての日々である。


      『生長の家』 誌  昭和24年7月号 25頁

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