生長の家創始者 谷 口 雅 春 大聖師
他(ひと)の暗黒面を見ることはその相手の人を暗黒の谷底に突き落してしまうことになるばかりでなく、同時に自分自身を暗黒の谷間に墜落せしめることになりますから注意しなければなりません。
しかし、“悪”が現にここにあるのを見ないでもよいのでしょうか。 “悪”をそのまま放置してそれを改善するためのなんらの手段方法をもめぐらせないでもよいものでしょうかとは、わたしがしばしば質問を受けることであります。
しかしわれわれは“悪”に執着しないでも“悪”を改めることは可能であります。
それが“悪”であるとわれわれが知るのは、そこに“善”がないということであって、悪が積極的にあるということではないのであります。 ― これは実に大切な真理であります。
“悪”は無でありますから、“悪”を除かずとも善をつけ加えれば“悪”はおのづから消尽してしまうのであります。
“善”をつけ加えるにはどうすればよいかといえば、どこまでも相手を理想化し、さらに理想化してどこまでも無限に相手を高め上げてゆくことにすればよいのであります。
どこまでも人間を理想化して眺めても、人間は理想化しすぎるということはありません。 なぜなら人間の実相は神の子であり無限の善さを備えているかであります。
『生命の實相』 第14巻(頭注版) より
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