「自分の限界を知る」という表現に、後ろ向きなニュアンスが漂うのはなぜだろう。そこには、「自分の能力をあきらめている」「努力による成長の可能性を否定している」といった意味を感じるからだろう。みんな、「がんばれば、きっと何とかなる」と信じたいのだ。
でも、がんばっても、無駄なものは無駄であることを知ることこそが、大人というものだ。
中年の仲間入りをして、つくづくそう思う。そして、若かりし頃の自分を振り返ると、自分の非力さに焦り、無意味な努力をしたものだと、思わず苦笑いしてしまう。
「やってみなければ、きっと後で後悔する(=やってみれば、失敗しても悔いはないはず)」というのが、若者を駆り立てる殺し文句だが、何のことはない。大人になってみると「やりもしないが後悔もしない」という素晴らしい選択肢が転がっていることに気づく。
「自分にできること」「自分のやりたいこと」を無限の努力によって永遠に追求するのではなく、「他人と競争しても勝てそうにないこと」「自分のできないこと」「自分にとって苦手なこと」を早めに見極めることが、幸せへの近道だったのだ。
ただ一方で、自信を失い過ぎてしまい、自分を過小評価しているのも、これまた問題である。あと少しの努力や、何らかのコツや切っ掛け、有効なアドバイスさえあれば、何とかなったはずなのに、それをしなかった、あるいは出来る環境になかったことで、「限界」にぶち当たったと、思いこんでしまうこともあるが、それは「限界」でない。
そう。自分の限界を、寸分狂いなく正確に把握できていれば、空虚な自己啓発に駆り立てられたり、他人からの努力の無理強いに苦しんだりすることもないのである。
さて、現代日本には、自己啓発、自分磨きへの誘い、叱咤激励が満ち溢れている。ということは、みんなどこか自信過剰なのだろう。がんばれば、きっと何とかなる。そういうメッセージが、大いに商売になっているのだとすれば、多くの人々が自分を買い被っているのは間違いない。
社会に閉そく感が蔓延しているというけれど、日本の閉そく感の正体は、イラクやパレスチナやアフガニスタンの人々が感じているような、希望なき未来への絶望ではないと思う。日本人は、「やればできる病」に罹っているだけである。そして、いくらやってもできないものはできないという、当然の現実を受け入れようとせず、追い込まれているだけなのだ。
自分を過大にも過小にも評価せず、能力の限界を正確に知ること。そうすれば、くだらない自己啓発に踊らされることもなく、無意味な自分磨きともサヨウナラできる。
大人とは、もうこれ以上成長しないから大人なのだ。
でも、がんばっても、無駄なものは無駄であることを知ることこそが、大人というものだ。
中年の仲間入りをして、つくづくそう思う。そして、若かりし頃の自分を振り返ると、自分の非力さに焦り、無意味な努力をしたものだと、思わず苦笑いしてしまう。
「やってみなければ、きっと後で後悔する(=やってみれば、失敗しても悔いはないはず)」というのが、若者を駆り立てる殺し文句だが、何のことはない。大人になってみると「やりもしないが後悔もしない」という素晴らしい選択肢が転がっていることに気づく。
「自分にできること」「自分のやりたいこと」を無限の努力によって永遠に追求するのではなく、「他人と競争しても勝てそうにないこと」「自分のできないこと」「自分にとって苦手なこと」を早めに見極めることが、幸せへの近道だったのだ。
ただ一方で、自信を失い過ぎてしまい、自分を過小評価しているのも、これまた問題である。あと少しの努力や、何らかのコツや切っ掛け、有効なアドバイスさえあれば、何とかなったはずなのに、それをしなかった、あるいは出来る環境になかったことで、「限界」にぶち当たったと、思いこんでしまうこともあるが、それは「限界」でない。
そう。自分の限界を、寸分狂いなく正確に把握できていれば、空虚な自己啓発に駆り立てられたり、他人からの努力の無理強いに苦しんだりすることもないのである。
さて、現代日本には、自己啓発、自分磨きへの誘い、叱咤激励が満ち溢れている。ということは、みんなどこか自信過剰なのだろう。がんばれば、きっと何とかなる。そういうメッセージが、大いに商売になっているのだとすれば、多くの人々が自分を買い被っているのは間違いない。
社会に閉そく感が蔓延しているというけれど、日本の閉そく感の正体は、イラクやパレスチナやアフガニスタンの人々が感じているような、希望なき未来への絶望ではないと思う。日本人は、「やればできる病」に罹っているだけである。そして、いくらやってもできないものはできないという、当然の現実を受け入れようとせず、追い込まれているだけなのだ。
自分を過大にも過小にも評価せず、能力の限界を正確に知ること。そうすれば、くだらない自己啓発に踊らされることもなく、無意味な自分磨きともサヨウナラできる。
大人とは、もうこれ以上成長しないから大人なのだ。