A Daily Life Diary

日常や思い出を綴ったblog

初詣スペシャル「成田山新勝寺」-録画シリーズ-

2017-02-19 | TV
ブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯 初詣スペシャル「成田山新勝寺」を新春に観て、新勝寺と新勝寺周辺の歴史について大変勉強になりました。

2月17日に春一番が吹き、部屋が砂埃で汚れていたので昨日は掃除をしてから定期検診のため病院へ。
病院から帰った後、録画したブラタモリ×鶴瓶の家族に乾杯 初詣スペシャル「成田山新勝寺」を観ながらこのblogを記しています。

でもこのblogは日曜日にUPします。
だって土曜日は「Simpleにヒコーキの写真 6」をUPしちゃったから 笑。

このblogを観て下さっている方々にいきなりですが質問です。
現在のような「初詣」はいつ頃から行われるようになったと思いますか?


有名な神社やお寺に「初詣」に行くようになったのは、鉄道が発達した明治中頃からだとタモリさんが話していました。

神社やお寺、鉄道会社の経営戦略が定着化したものが現在の「初詣」の形のようです。

成田の駅前に行かれたことがある方々ならご存知だとは思いますが、成田市花崎町駅前には2つの駅があります。
1つはJR成田駅、もう1つは京成成田駅。
僕も知らなかったのですがJR成田駅はその昔、成田鉄道という私鉄で筆頭株主は成田山だったそうです。その後、国が買い上げ現在のJR成田駅になったとのこと。
もう1つの京成成田駅。東京から最短で成田山を結んだ鉄道から「東京」の“京”と「成田山」の“成”の字を結び「京成」としたと、この番組で聞き、これまたびっくり。





明治には成宗電車という路面電車が成田山まで走っていたそうです。



先輩方々からレンガのトンネルを路面電車が走っていたとは聞いていました。



ブラタモリのように先週、その路面電車が走っていた場所を歩いてみました。





春、桜が綺麗なレンガのトンネルに続くこの道は谷だったため盛土をして高くしたそう。
以前から「なんでこの道の両脇はこんなにも低いんだろう」と疑問には思っていましたが、まさか谷だったとはこれっぽっちも思っていませんでしたよ。




お寺では日本一の初詣参拝客を誇る成田山に到着。仁王門を登って大本堂へ。





昭和43年に建設された現在の大本堂は立派です。

成田山新勝寺では前の本堂も前の前の本堂も前の前の前の本堂も残っていると番組で話していましたが、僕は何処にあるのか分かっていませんでした。

前の本堂は現在の大本堂の左手にある釈迦堂。前の前の本堂は大本堂の裏手の階段を登ったところにある光明堂。前の前の前の本堂は夏に成田祇園祭で山車が一気に表山道の坂を駆け上がったところにある薬師堂だそうです。江戸初期に建築された薬師堂。もともとは成田山もこれほど小さな普通のお寺だったんですね。

江戸っ子に信仰があった成田山。
薬師堂の頃の成田山に後継がいなかった歌舞伎役者初代市川團十郎が子宝祈願に訪れて、子が授かったため今でも続く成田山との関係があるようです。

成田山が有名になったのは江戸中期に建築した光明堂からだそうです。
江戸で一番賑わっていた日本橋の魚市場から奉納された看板や江戸の落語家さんからも奉納があった光明堂。



出開帳(寺の秘仏などを外に出向いて公開すること:成田山の場合はご本尊、不動明王を神輿の中に入れて出向き、その神輿を担ぐことで御利益が得られるという言い伝えがあった)を江戸まで行い、子宝を授かった恩返しに成田山の出開帳に合わせて成田山不動明王の後利益を描いた歌舞伎を披露してくれた初代市川團十郎の影響もあり成田山が一躍有名に。
一度の出開帳で光明堂の建築借金費用が返済出来たほど有名になったそうです。
今でもそうですけど、歌舞伎、TV、映画。市民に与える影響、大きいですよね。

そういう面からすると昔も今もあんまり変わってないですよね。

ブラタモリを観ると「タモリさんって頭いいなあ〜」と思います。

寄席に行くと映画や舞台と違って話す演目がのっていない落語。
出ているのは落語家の名前だけ、しかも客席も明るい。
落語の演目はその日の客層に合わせて決める。
鶴瓶さんは流石は落語家、ツッコミが流石です。



この番組を観て「成田ってなかなか凄いなあ」と感じました。
一度も訪れたことのない方は是非一度。






























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