歌猫Blog跡地

漫画「鋼の錬金術師」と荒川弘について語るブログ。更新終了しました。

神はいない。ほんとうに?

2007年08月08日 | ◆小ネタとか突っ込みとかつぶやきとか
私、荒川弘センセーの大ファンだし、荒川先生が「鋼の錬金術師」という漫画を通して発信するメッセージのどれもこれもが真っ直ぐで力強くて、納得で大好きなんだけど。
もちろん、たまに頷けないメッセージも、あるんですよ。

それは、神の否定。

私、常に「鋼世界に」神はいない、という書き方をしてるんです。それは神の不在は鋼世界におけるルールとして捉えてるからであって、その部分においては現実世界と同一視はしてないから。丁度、ハガレン的錬金術が、あっちにあるけどこっちに無いのと同じように。

私は神を信じていませんけれど、信じている人もいるんですよね。

エドは科学者だから、神とか宗教を否定するのは違和感無い。第一話からしてカミサマ否定してるけど、突っ張った少年の生意気な台詞として、あれは全く違和感無かった。なにせ相手がコーネロのおやじだかんね。いかにも少年マンガの話だし。

でも、15巻で、ヒューズが。
錬金術師という特殊な思考回路の持ち主ではない、鋼において「真っ当な良心」の象徴たるヒューズが、宗教を否定をする場面は。
うーん。
15巻は、あんまりリアルに迫るから、マンガの話じゃないから、余計に。

同じ15巻の、ブラッドレイの台詞はイイ!あれは、造られた傀儡の指導者として半生を生きてきた彼の、もしかして自分でも気付いていない「怒り」だから、あれはいいの。ぐっと来たよ!
でも、ヒューズのはさ・・・それも、モブとの会話、つまり「一般常識」として語られるのは。

神を信じる人が、あるいは神を信じる人を親の元に育った子供が読んだら、どんな風に感じるだろう?


鋼は、人間賛歌だ。
鋼は、自分の足で歩き自分の頭で考え自分の手で何かを掴むことが、人間にはできるんだ!と歌い上げている。

けれど、神を信じることと、自分の頭で考えることは、矛盾しないんだ。
なんか、宗教やってるヒトって、カミサマに操られてて、祈ってりゃー幸せになれるとか思ってて、自分の意志とか無いよーな気がするけど。そういう描き方がマンガなんかじゃよくあるけど。
それは、女はかわいい、とか、アラブは怖い、とか、そういうのと同じで、類型化された偏ったイメージなんだ。

荒川先生は、もしかしたらまだそれを知らないのかもなあ、って、ヒューズの発言を思い返す度に思う。

やー、宗教好きって訳じゃあ無いけどね。とーいつキョーカイとかありゃー違うよとか思うけどね(笑)。
でも、とーいつきょーかいのヒトも、そーかがっかいのヒトも、えほばのしょーにんのヒトも、ウチ神主なんですよってヒトも、一人ひとりは、良い人なんだ。むしろ心に澄んだ所を持っていて、それが心地いい。時に、こっちが勝手に気まずくなることもあるけども(笑)。
「っていう括りだとどうしても衝突しがちだけど、個人個人なら対等に話し合える」

私の中に神はいない。
だから死んでも、天国も地獄も無い。生まれ変わりも無い、絶対無い。
死んだ人が天から見ているとかってのも御伽噺。お星様に願い事と同レベル。
むしろコワイだろ?牛とか豚とか鶏とか魚とかがずらーっと雲の上から覗いていたら・・・マジ怖え!!(笑)
だから、神のいない鋼世界に、同意する。
でも。
神が「いる」人も、読者の中にいるかもしれないと、そういう視点もあったらいいのにな、って思う。読者の中に、手や足が無い子もいるだろう、という想像力と同じに。(エドの手足の欠損を、「罪の象徴」から「エド個人の罪の跡」に軌道修正したことを、私は心から尊敬する)

救いも裁きも、神でなく、人間によってもたらされる。
そのメッセージは厳しくて正しい。
けれど、神を持っていた、けれど神を省みず神に捨てられたと思っているスカーが、神を失ったまま死ぬのは、哀れだと思う・・・失ったまま、生きるのも。
イシュヴァラの神よ、あなたは何もしないけれど、それでもあなたで救われる魂があるのだから、どうか彼ら彼女らを救ってほしい。

高すぎる要求だと思うけれど。
神を持つキャラにおいて、神の肯定もまた、描かれたらいいのにな、って思うんです。

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4 コメント

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実に奥深いテーマです。 (柳楽)
2007-08-10 22:22:55
こんばんは、鋼と信仰をテーマにするとはさすが鋼ブロガーの重鎮です。
私は特定宗教の信者ではないですが(敢えて言うなら神道?)、自分のブログで電波飛ばすくらいに信仰心は持っています。

で、そんな奴が思うんですが、鋼は思い切り信仰心バリバリの作品に見えます。特にロックヴェルご夫妻とウィンリィなどは、神の道を突っ走っている。突っ走りすぎて御夫妻は亡くなってしまいましたが。

あくまで個人の意見ですが、神は法則で、真理だと思っています。パパとお父様と父上と同じくらいの類義語に過ぎない。
こんな些細なことはどうでも良くて、大事なのは自分の周囲の人を助け、より良い世界を構築することじゃないでしょうか・・・って、これ何てマスタングだ・・・
神は法則であって、スーパーマンじゃありません。ヒューズが根本的に間違えてるのはこの部分で、信者を助けるのが神の役目、という段階で違うと思ってます。だから、信仰を持つ人こそこの言葉は読むべきと思います。

先日の長崎原爆慰霊祭で被爆した人が「争いは人が起こすもの、だから鎮めるのも人しかできない」とコメントしてましたが、激しく同意です。ブラッドレイのおっさんが言うとおり、彼らに下るのは天罰などでなく、人間の復讐です。


仰るとおり信仰こそ自分の頭で考えないと、どうしようもない世界です。宗教の名の下に思考を放棄するなんて、これほど真理から外れたことはない。こういうのと一緒にされるとキツイなーと・・・
とても面白いテーマなので、後日うちのブログでもこれをテーマにして書いてもいいでしょうか??あまりにも面白すぎて今月のガンガンまだ読んでませ(殴)
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コメントありがとうございます。 (歌猫)
2007-08-11 02:09:05
柳楽様こんにちは!
重鎮?(笑) いやいや、何すかそれ(笑)。
鋼が「信仰心のある作品」というのは、信仰をもたない私からすると意外な感じなのですが、鋼における、健全で真摯で押し付けがましくないメッセージ性は、鋼のものすごく大きな魅力だと思います。
「世の中をより良くしたい」という思いとか、「より良くすることができるはずだ」という意志は、明確だと思います。それはもしかしたら信仰心とつながるところがあるのかもしれないけれど、でもそれが、信仰なのか思想なのか哲学なのか倫理なのかイデオロギーなのか、その辺は私はよくわかりません。(てゆか、これらの区分けがよーわからん(汗))
ただ私は、「荒川センセー、宗教キライだなー(笑)」と思います。だって第一話からしてアレだし。押し付けがましい感じとか、自己陶酔っぽい感じが、ヤなんだろーなー。あと他の価値観を認めないっぽいとことかね。実際はそればっかじゃない、はずなんだけど。
あら?押し付けがましくて自己陶酔で他の価値観を認めないって、なんかどこにでもありますよね。 はっ!?う、うちのブログは確かに押し付けがましくて自己陶酔だけど、他の価値観も認めてる、つ、つもりだぞ…!
柳楽様の記事も楽しみにしています!ぜひトラバってくださいませ~♪
さあ、あと数時間でガンガンです。この近辺では当日にならないと手に入らないので。うー楽しみだー!
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遅くなってすみませんが参入させてください。 (km)
2007-08-23 09:07:44
 こんにちわ。いつも楽しく拝見しております。このタイトルに今頃コメントさせていただきますが、よろしいですか?(笑
 牛様の鋼創作の動機が、「神様ってやっぱりいるのかな?」を追求してみたい・・・そんな要旨のことを語っていらした記憶があるのです。何かのインタヴュ記事で。
 なので、歌猫様と柳楽様のおっしゃるとおり、鋼と宗教の関係はとても深いのだと思いますよ。

 受け売りで申し訳ないのですが、物理や生物などの科学が進めば進むほど、科学者たちは却ってこの世界に人知を超えるものの存在を感じるようになってきた・・・と言うような知見が或る医療系の月刊誌に掲載されておりました。

 神は居るのか居ないのか?
牛様ご自身も作新を書き進めながら考えていらっしゃるのかもしれませんね。
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コメントありがとうございます (歌猫)
2007-08-24 12:19:31
km様こんにちは!

どんな過去記事でも思い入れたっぷりですので、コメント頂けるの嬉しいです。ありがとう!

>牛様の鋼創作の動機が、「神様ってやっぱりいるのかな?」を追求してみたい

それは初耳です!

でもね、今、展開予想記事書いていて、真理くんが神で、俺はおまえだ、なのだから、つまり歌猫の考える鋼のテーマ「人の命って何だ?」は、神とは何だ?に繋がるんじゃないのかと気付いたんですよ。

鋼は、宗教上の神は否定しているけれど、目に見えない大きな流れ・人知を越える存在=真理=神は、まっすぐに肯定している。

あ、なんかまた見えてきた気がする!(電波?(笑))

km様、インスパイアありがとう。これネタにまた記事が書けそうです!
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