今日もマンガ評論の話。
大阪大学大学院言語文化研究課助教授、ヨコタ村上孝之氏著「マンガは欲望する」
でも、この本には鋼は出てきません。残念!
さて。どんな本かといいますと。
と、本の紹介を書くのは割愛。だって長くなるんだもん~。この記事はもすこし軽くさくっと。
どうして鋼も出てないこの本を読んだのかというと、強制自粛に陥ってる間に、ただのマンガ好きと腐女子の境界って何だ?そもそもヤオイって何ぞ?と考えたくなったからです。
まず目が止まったのは、少女漫画に対する分析。
定番の「フツーの女の子がカッコイイ男の子に見初められ、イロイロあってハッピーエンド!」というお話について。
フツーの女の子、のはずの主人公は、でもちゃんと美人に描かれている。(<確かに(笑))
主人公=読者は「私は凡庸」だけど「私はかわいいお姫様」という重層的アイデンティティを持つ。
それをマンガという絵と文字が一体のメディアは簡単に表現してしまう。
少年マンガの主人公はスーパーヒーローで、少女マンガの主人公は平凡な女の子。
男の子は人並み優れた人間になれと育てられ、女の子は平凡だが幸せになるように育てられているから。
あらゆる支配的階級=「男」とかブルジョアとか白人とか は、なるべき姿となりたい自分が重なる。つまりアイデンティティが一枚岩で固定的。
女は逆に、重層的で流動的。
女は少年マンガを読む(ことを社会的にも許されている)けれど、男は少女マンガを読まない。読む男は変わり者とか変態とか思われる。
なるほどなー。男はスカートを履けないのも同じことだ。
女はパンツもスカートも履けるし、猫を被るのは日常だし、いくつものワタシを使い分けてる。
そして多分、女だけでなく「威張られる側の人」はみな同じなんじゃないのかな。
そして、その少女マンガ分析からやおい分析へと話が進みます。
この辺はね、納得できるところとそうでないところがあって、それが面白い。
昔の少女マンガにおいて、主人公=私がベタ髪で、アコガレの格好いい美形が西洋へのアコガレと重なって白抜き髪ってのは分かるよ?
でもヤオイの草分け「風と木の詩」をして、「ベタ髪セルジュに自分を投影して白髪美形のジルベールに複雑な性的欲望を投影する」というのは、どうだろう??
えー?読み手としては女役=受けに自己投影しない? フツー、ヤオイの主人公は受けだよね?
(柳楽様ご指摘コメントありがとう!!)
ここはむしろ、ヤオイと対を成す位置付けで書かれている、ロリコンについての説明を、そのまま当てる方がより一般論になると思う。
二次元は萌えるけど三次元はダメというのは、シニフィアン(描かれた表層)だけを見てシニフィエ(それが意味するもの)には注意を向けないっていう。
禁忌っぽいシチュをちりばめることで萌えボルテージを上げる手法も、それが禁忌だなんてホントはこれっぽっちも思ってないところも、ロリとヤオイは同じだ。(あんま、嬉しくないけどさー(笑))
そんでもって、ここで言うシニフィアンとシニフィエってのは、「テヅカ・イズ・デッド」のいうキャラとキャラクターと相通じていますよね。
それからもう一つ。
パロディとパステーシュについて。
元ネタを知ってて面白いのがパロディ。元ネタを知らないけど面白いのがパステーシュ。
特訓だ!と言って背景に火の玉ボールを受ける絵が描かれていたら、それは元ネタ『巨人の星』を知らなくても面白おかしい。ゆえに火の玉ボールはパステーシュ。
パロディは元ネタを批評したり笑ったりする要素があるけれど、パステーシュはそれが無い。「パスティーシュは空っぽのパロディ」
そしてパロディは近代的で、パステーシュはポストモダンの特徴なのだそう。
モダンとポストモダンとかいうやつで。
近代は作者と作品を分かちがたいものと捉えていたが、ポストモダンにおいては誰がどういう体験からその作品を生んだかよりも、作品そのものがどうなのかに関心が写り、さらに鑑賞者によって作品は意味付けがされるようになったとか何とか。
おー消費社会の作り手より買い手に比重ってのと同じですね。
ふーむむ。現代とは、表層のみの、記号の時代である訳だ。生い立ちとか背景とかそういうのはどーでもよくて、今在るものが最重要。ドライで気楽で、でも時にちょっと物足りない。
その物足りなさが逆に、ウンチクとかオタ知識とかの、モノ固有の物語を求めさせるのかしらん?
おっと横道に逸れました。
というわけで、私の中では何かつながってきましたよ。
ヤオイがパロディという「周辺」から生まれたのは、女もまた男社会の「周辺」に位置するから。
ヤオイが異端なのは、女は男の愛を掴んでナンボという世の本流から外れた位置にあるから。
腐女子はカモフラージュが上手いのは、女は既に重層的アイデンティティを身に付けているから。(男は単一アイデンティティなもんだから見た目もまんまオタク)
少女マンガにおいてマンガを重層的に読むスキルを自然と身に付けている女は、ヤオイ読みに変換するのも容易。(重層的に読めない男はストレートなエロを求める)
ゆえにエッチシーンの無い少年マンガこそ、ヤオイ素材として最適。
妹ならロリで、制服は萌えで、ツリ目のツインテールはツンデレ。こういうのもまた、どこかの何かの作品から生まれて一人歩きしたパステーシュ。
読者のものとなった作品から切り離されたキャラと、一人歩きしたパスティーシュが組み合わさって、定型ヤオイが出来上がる…の、かな?
うひー真面目に考えちまったよー。全然さくっと短くなんかじゃないじゃん;
こゆのはもっと、マンガ評論系ブロガーさんのが詳しいんだろうなあ。ヌルい感想でごめんよ。だってマンガ評論って二冊しか読んでないし、これ以上読む気力は無いし…。<ダメじゃん。
まあ、ヤオイの形については説明できる気がする。
あとは「ただの・マンガ好き」から「ヤオイ読み」への、視点の転換つか転落点の、あの摩訶不思議な感覚を、どっかで誰かがすっきり説明してくんないかなー。いやあ、眩暈のようなな感覚だったよあれは(苦笑)。
あっ、この「マンガは欲望する」って本は別にヤオイ考がメインじゃないから! マンガにおける内面の成立とか、マンガ学は学問たるべきかとか、デビルマン解説に丸々一章とか、そういう真面目な本だから!
あっ、あとあと、鋼は、ヤオイ視点抜きでもめっきりばっちり面白いから!最高に面白いからー!!
…って、真っ直ぐ読みの人はここまで読んじゃいないよね。
長くて鬱陶しい考察系記事ですが、あと一本、キャラについて、鋼を交えて記事を書きたいです。えーと、そのうちそのうち。
その前に、まずはガンガンですね!(って先月号感想はついに書かず終いか…?!)
大阪大学大学院言語文化研究課助教授、ヨコタ村上孝之氏著「マンガは欲望する」
でも、この本には鋼は出てきません。残念!
さて。どんな本かといいますと。
と、本の紹介を書くのは割愛。だって長くなるんだもん~。この記事はもすこし軽くさくっと。
どうして鋼も出てないこの本を読んだのかというと、強制自粛に陥ってる間に、ただのマンガ好きと腐女子の境界って何だ?そもそもヤオイって何ぞ?と考えたくなったからです。
まず目が止まったのは、少女漫画に対する分析。
定番の「フツーの女の子がカッコイイ男の子に見初められ、イロイロあってハッピーエンド!」というお話について。
フツーの女の子、のはずの主人公は、でもちゃんと美人に描かれている。(<確かに(笑))
主人公=読者は「私は凡庸」だけど「私はかわいいお姫様」という重層的アイデンティティを持つ。
それをマンガという絵と文字が一体のメディアは簡単に表現してしまう。
少年マンガの主人公はスーパーヒーローで、少女マンガの主人公は平凡な女の子。
男の子は人並み優れた人間になれと育てられ、女の子は平凡だが幸せになるように育てられているから。
あらゆる支配的階級=「男」とかブルジョアとか白人とか は、なるべき姿となりたい自分が重なる。つまりアイデンティティが一枚岩で固定的。
女は逆に、重層的で流動的。
女は少年マンガを読む(ことを社会的にも許されている)けれど、男は少女マンガを読まない。読む男は変わり者とか変態とか思われる。
なるほどなー。男はスカートを履けないのも同じことだ。
女はパンツもスカートも履けるし、猫を被るのは日常だし、いくつものワタシを使い分けてる。
そして多分、女だけでなく「威張られる側の人」はみな同じなんじゃないのかな。
そして、その少女マンガ分析からやおい分析へと話が進みます。
この辺はね、納得できるところとそうでないところがあって、それが面白い。
昔の少女マンガにおいて、主人公=私がベタ髪で、アコガレの格好いい美形が西洋へのアコガレと重なって白抜き髪ってのは分かるよ?
でもヤオイの草分け「風と木の詩」をして、「ベタ髪セルジュに自分を投影して白髪美形のジルベールに複雑な性的欲望を投影する」というのは、どうだろう??
ここはむしろ、ヤオイと対を成す位置付けで書かれている、ロリコンについての説明を、そのまま当てる方がより一般論になると思う。
二次元は萌えるけど三次元はダメというのは、シニフィアン(描かれた表層)だけを見てシニフィエ(それが意味するもの)には注意を向けないっていう。
禁忌っぽいシチュをちりばめることで萌えボルテージを上げる手法も、それが禁忌だなんてホントはこれっぽっちも思ってないところも、ロリとヤオイは同じだ。(あんま、嬉しくないけどさー(笑))
そんでもって、ここで言うシニフィアンとシニフィエってのは、「テヅカ・イズ・デッド」のいうキャラとキャラクターと相通じていますよね。
それからもう一つ。
パロディとパステーシュについて。
元ネタを知ってて面白いのがパロディ。元ネタを知らないけど面白いのがパステーシュ。
特訓だ!と言って背景に火の玉ボールを受ける絵が描かれていたら、それは元ネタ『巨人の星』を知らなくても面白おかしい。ゆえに火の玉ボールはパステーシュ。
パロディは元ネタを批評したり笑ったりする要素があるけれど、パステーシュはそれが無い。「パスティーシュは空っぽのパロディ」
そしてパロディは近代的で、パステーシュはポストモダンの特徴なのだそう。
モダンとポストモダンとかいうやつで。
近代は作者と作品を分かちがたいものと捉えていたが、ポストモダンにおいては誰がどういう体験からその作品を生んだかよりも、作品そのものがどうなのかに関心が写り、さらに鑑賞者によって作品は意味付けがされるようになったとか何とか。
おー消費社会の作り手より買い手に比重ってのと同じですね。
ふーむむ。現代とは、表層のみの、記号の時代である訳だ。生い立ちとか背景とかそういうのはどーでもよくて、今在るものが最重要。ドライで気楽で、でも時にちょっと物足りない。
その物足りなさが逆に、ウンチクとかオタ知識とかの、モノ固有の物語を求めさせるのかしらん?
おっと横道に逸れました。
というわけで、私の中では何かつながってきましたよ。
ヤオイがパロディという「周辺」から生まれたのは、女もまた男社会の「周辺」に位置するから。
ヤオイが異端なのは、女は男の愛を掴んでナンボという世の本流から外れた位置にあるから。
腐女子はカモフラージュが上手いのは、女は既に重層的アイデンティティを身に付けているから。(男は単一アイデンティティなもんだから見た目もまんまオタク)
少女マンガにおいてマンガを重層的に読むスキルを自然と身に付けている女は、ヤオイ読みに変換するのも容易。(重層的に読めない男はストレートなエロを求める)
ゆえにエッチシーンの無い少年マンガこそ、ヤオイ素材として最適。
妹ならロリで、制服は萌えで、ツリ目のツインテールはツンデレ。こういうのもまた、どこかの何かの作品から生まれて一人歩きしたパステーシュ。
読者のものとなった作品から切り離されたキャラと、一人歩きしたパスティーシュが組み合わさって、定型ヤオイが出来上がる…の、かな?
うひー真面目に考えちまったよー。全然さくっと短くなんかじゃないじゃん;
こゆのはもっと、マンガ評論系ブロガーさんのが詳しいんだろうなあ。ヌルい感想でごめんよ。だってマンガ評論って二冊しか読んでないし、これ以上読む気力は無いし…。<ダメじゃん。
まあ、ヤオイの形については説明できる気がする。
あとは「ただの・マンガ好き」から「ヤオイ読み」への、視点の転換つか転落点の、あの摩訶不思議な感覚を、どっかで誰かがすっきり説明してくんないかなー。いやあ、眩暈のようなな感覚だったよあれは(苦笑)。
あっ、この「マンガは欲望する」って本は別にヤオイ考がメインじゃないから! マンガにおける内面の成立とか、マンガ学は学問たるべきかとか、デビルマン解説に丸々一章とか、そういう真面目な本だから!
あっ、あとあと、鋼は、ヤオイ視点抜きでもめっきりばっちり面白いから!最高に面白いからー!!
…って、真っ直ぐ読みの人はここまで読んじゃいないよね。
長くて鬱陶しい考察系記事ですが、あと一本、キャラについて、鋼を交えて記事を書きたいです。えーと、そのうちそのうち。
その前に、まずはガンガンですね!(って先月号感想はついに書かず終いか…?!)
現在のやおい(というか同人誌)の隆盛の社会背景は平安時代の貴族女子文化に近いものがありそうです。
衣食住に困らず、戦乱もなく、教養の基礎(字の読み書き・絵の習得など)もあり、しかも男性社会から外れている(最近は真正面から戦う女子も多いですが)女性が文芸に励む、という点では全く同じです。
平安時代の男子はひらがなを書くのを凄く恥ずかしいことと思ってたそうなので、(※ひらがなは女性考案文字)そこらへんも似てるかもしれませんね♪
ただ、やおいに関しては、すべての女子が「感情移入=受け側」とは限らないようです。私はモロにそうですが(笑)グリード道の道祖神サイト様は攻に感情移入されるそうです。性癖ひとつ取っても図式化するのは難しい(むしろ危険)ものだと感じます。
先日のシリアで鋼のレスありがとうございます!
海外の鋼コミュニティはぜひ紹介したいのですが、どうしても紹介できない理由があります。。。何故なら、私の知り合いのサイト様の無断転載をしてる輩が相当いまして |||orz
無断転載やめんかーーーーい!!!って、英語でなんて書けばいいんだろう・・・と遠い目をする今日このごろです。
ほんと、衣食住と読み書きに足りて初めて楽しめる遊び、平和っていいなあと思います。ただハマりすぎると衣とか食とか職とかに支障が出たりしますけれども(苦笑
受け攻めについてのご指摘どうもありがとう!
このご指摘いただいて思ったのは、やっぱりブログで語るっていいなあってことです。サイトだと同カプ同士のお付き合いになりがちなので、趣味傾向も似ちゃうじゃないですか。ブログは横断的で勝手バラバラ(笑)なので、面白いですよね~。
海外サイト。あーそうですねー…。イラストは特にそういう所の管理が大変ですよね。
http://www3.to/ofp/
とかもありますが。
パクリはイカンという基本概念が無い人へ説明するのは大変そう…。(<国内含め)