歌猫Blog跡地

漫画「鋼の錬金術師」と荒川弘について語るブログ。更新終了しました。

パニーニャが示すのは

2004年09月09日 | ◆真面目な考察・・・?
鋼の錬金術師
ハガレンの魅力は、テンポの良さだと思う。
ネームが上手いんだよ。セリフとコマ割り、一つの事件を何話で語るかとか。
そのテンポが一箇所だけまだるっこしい。
5巻の前半。
ラッシュバレーから出産まで、3話は要らないよなあ。賢者の石と第五研究所がらみが一段落で、力が抜けたかな?なんて考えてたんだけど。

たぶん、違う。
ここでパニーニャ出すために、1話裂いたんだ。

パニーニャって、転換点。
機械鎧のスタンスの。

それまで、機械鎧はエドの罪の象徴なんだよね。1・2話。あと4話でも。タッカーに説明するときわざわざ上着を脱いで。


それが、パニで、機械鎧は一般的な器具の一つとして、修正された。

パニって、エドと同じく2肢が機械鎧で運動能力が上で、んでもって女の子。
はっきり言って、主人公に自身を重ねて読む、少年少女の読者にとって、不満だったろうと思うんだ。えー?ってさ。
主人公はトクベツって、気持ちいいもんね。


これは勝手な推測だけど。
何千人もの読者の中にはきっと、手や足が無い子もいるだろう。
具体的に手紙とかが来たかどうかはともかく、作者なり編集者なりが、手足が欠けているのは罪じゃない、ということをはっきり分かりやすく描かないといけない、と思ったんだ。
いまだに、いるんだよ。身体的欠陥を前世とか親とか本人の行いが悪いからだと、信じちゃってる人が。エセ宗教で壷とか売りつける悪徳商人じゃなくってさ、マジで信じてるの。それが良くも悪くも信心深いご老人だったりするとまあ、手におえないんだなこれが。

んでもって。
機械鎧の位置付けは修正された。
エドにとって罪の証であることは変わらない。だけど、その他の大勢にとっては、ただの便利な義肢だ。
そして出産での「人間ってすげー」で人間の肯定をしっかり押さえ、次の場面、師匠と回想の一編へ移る。

少年漫画の健全さってものを、作者は知ってるし、大事にしてる。
そこが好感。

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