ハガレンって、どういう話?
錬金術の禁忌を犯した兄弟が、失った身体を取り戻すために賢者の石を求めて旅をする話。
って解説は、お子様向きだ。間違ってはいないけど、正しくも無い。
それはリンゴを「赤くて丸い果物」と言うのと同じ。リンゴをリンゴたらしめているのはその色でもその形でもない。そうでしょう?
色々な人が色々な言葉でハガレンを表しているけれど。
私が今までに一番、的確な紹介だと思ったのは、これ。
「等価交換の法則が支配する錬金術の世界で命とは何か?を問う作品」
『Garlie』vol8 出張版『マンガ界のメガネ男子』ヒューズ中佐の項より。
ブログ「有耶無耶の錬金術師」の05年12月17日の記事参照。(古い記事へのリンクでごめんなさい;)
(余談ですが、この記事書いた人、すごい上手い!!この一言で鋼を説明し、ヒューズ中佐の解説も面白く、号泣、の一言で思い入れを、軍服でさらりと軽く仕上げるテク、ほんの数行の記事のまとめ方の上手さよ! あー憧れる。こういう記事、書けたらいいな~。余談終わり)
そう。
鋼は「主人公が身体を取り戻す旅の話」なんかじゃない。
錬金術という仮想世界の枠の中で、少年漫画という舞台の上で。
「命とは何か」を、問う作品なんだよ!
もうひとつ。
私が、これこそハガレンのポジションを表した言葉だ!と思ったのは。
ブログ「あなろぐ」より05年10月26日記事の管理人春花様のコメント。(これまた古い記事で申し訳ない;)
長くなりますが、引用させていただきます。
鋼を過去の名作と引き比べて。
『第三者を明確に「敵」(=悪)として戦えばよかった時代はとうに過ぎた今。
「敵」が必ずしも悪と限らないという善悪相対論も、明確な「敵」のない時代で斬新さもない。
この時代にあって、善も悪も自らの内にあることを、正面きって、しかも大げさにふりかぶることなく、静かにかみしめて次へ進もうとしたのが、彼らだと。
自分の中の悪に打ち勝つというのとも違う。
自分の中に、悪や過ちは常にあるものなのだということを、苦しみとともに知った上で、前へ進もうとしたのが共感を呼んだと思います。』
ずどん、と来ました。
敵=悪では無く、敵≠悪でも無く、善も悪も自らの内にある。それを
「正面きって、しかも大げさにふりかぶることなく、静かにかみしめて」
ああ、その通りだ!!
鋼を鋼たらしめているもの。
そしてけれども、あくまでも少年漫画、あくまでもエンターテインメント、楽しんでこそ楽しませてこそ漫画じゃないか!
その勢いが。
鋼、だと思う。
ハガレンってどういう話?
私はまだ、それを一言で一文で言い表せない。
だからまだまだ、ブログで喋り倒します!
ね、あなたは何て表現する?
「鋼の錬金術師って、どういう話?」
トラックバック ハガレンピープル テーマサロン鋼の錬金術師 週間ブログランキング
錬金術の禁忌を犯した兄弟が、失った身体を取り戻すために賢者の石を求めて旅をする話。
って解説は、お子様向きだ。間違ってはいないけど、正しくも無い。
それはリンゴを「赤くて丸い果物」と言うのと同じ。リンゴをリンゴたらしめているのはその色でもその形でもない。そうでしょう?
色々な人が色々な言葉でハガレンを表しているけれど。
私が今までに一番、的確な紹介だと思ったのは、これ。
「等価交換の法則が支配する錬金術の世界で命とは何か?を問う作品」
『Garlie』vol8 出張版『マンガ界のメガネ男子』ヒューズ中佐の項より。
ブログ「有耶無耶の錬金術師」の05年12月17日の記事参照。(古い記事へのリンクでごめんなさい;)
(余談ですが、この記事書いた人、すごい上手い!!この一言で鋼を説明し、ヒューズ中佐の解説も面白く、号泣、の一言で思い入れを、軍服でさらりと軽く仕上げるテク、ほんの数行の記事のまとめ方の上手さよ! あー憧れる。こういう記事、書けたらいいな~。余談終わり)
そう。
鋼は「主人公が身体を取り戻す旅の話」なんかじゃない。
錬金術という仮想世界の枠の中で、少年漫画という舞台の上で。
「命とは何か」を、問う作品なんだよ!
もうひとつ。
私が、これこそハガレンのポジションを表した言葉だ!と思ったのは。
ブログ「あなろぐ」より05年10月26日記事の管理人春花様のコメント。(これまた古い記事で申し訳ない;)
長くなりますが、引用させていただきます。
鋼を過去の名作と引き比べて。
『第三者を明確に「敵」(=悪)として戦えばよかった時代はとうに過ぎた今。
「敵」が必ずしも悪と限らないという善悪相対論も、明確な「敵」のない時代で斬新さもない。
この時代にあって、善も悪も自らの内にあることを、正面きって、しかも大げさにふりかぶることなく、静かにかみしめて次へ進もうとしたのが、彼らだと。
自分の中の悪に打ち勝つというのとも違う。
自分の中に、悪や過ちは常にあるものなのだということを、苦しみとともに知った上で、前へ進もうとしたのが共感を呼んだと思います。』
ずどん、と来ました。
敵=悪では無く、敵≠悪でも無く、善も悪も自らの内にある。それを
「正面きって、しかも大げさにふりかぶることなく、静かにかみしめて」
ああ、その通りだ!!
鋼を鋼たらしめているもの。
そしてけれども、あくまでも少年漫画、あくまでもエンターテインメント、楽しんでこそ楽しませてこそ漫画じゃないか!
その勢いが。
鋼、だと思う。
ハガレンってどういう話?
私はまだ、それを一言で一文で言い表せない。
だからまだまだ、ブログで喋り倒します!
ね、あなたは何て表現する?
「鋼の錬金術師って、どういう話?」
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私は今中学生なのですが、よく学校の子に「夕菜ってハガレン好きなんでしょ?どういう話か教えてくれる?」と言われると、つい『賢者の石』にまつわる説明をしてしまうんですね;
もちろん、心の中では「命に対するテーマが凄くてね!」「奥が深くてね!」とか思ってるのですが、誰かにその感動を一言で伝えようとすると、なかなか上手くいかないものです^^;
でも歌猫さんの記事を読んで、一言でどれだけの事を伝えられるか考えてみようと思いました。
今は思いつかなくても、いつか「どういう話?」と聞かれたとき、胸を張って(妙な自信だな)答えられるようになりたいです(><*)
なんだかエドに陶酔しまくってるコメントで気恥ずかしいですが~~
「鋼」を一言で、っていうのは難しいですね。
私が職場で、このコミックを人に勧めたときは、
「主人公が絶対いいオトコに育つ子だから!」
の一言で済ませてしまいました(笑)
やっぱり、少年向けゲームコミックというジャンルで、命の一回性をまともに描いているところが、凄いんだと思います。
どういう話か、普通に口で伝えるのって難しいですよねえ!
とりあえず1,2巻を渡して「読め!」と言うしかないような(笑)。でも、私は友人に貸しても、はまってはもらえなかったです。普通に面白いのだけど、その奥にもう一歩、深い面白さがあるんですよね。けれど、それを伝えるのはとても難しい…。
特に口で話すと、なんていうか電波になってしまいそうで(苦笑)。
でも、リンゴと聞いてあの歯ざわりを思い出す人、香りを思う人、ニュートン、アダムとイブ、青森、風邪ひいたときのすりリンゴ…と色々いるだろうように、鋼もきっとそれぞれの人にコレというのがあるんだろうなと思います。
そういうのって、いいですよね!
いつか水嶋様が水嶋様の答えをみつけたら、ぜひぜひ教えてくださいませ!
(兄弟サイト拝見!うわお好き~♪Sacrifice for happinessのアルがアルらしくて!)
春花様こんにちは。
リンク快くお受けいただき、ありがとうございました。
あ、あのコメントにずどんとやられたのは私もエドに惚れまくっているからか!(笑)
何にしろ、一言で言い表すって難しいですよねえ。それに向ける感情が深ければ尚更に。
>「主人公が絶対いいオトコに育つ子だから!」
名言至極!
さすが春花様(笑) 私も機会があったらそれ使う~!
私が、鋼の何が一番好ましいかっていうと…健全さ、かな。地に足がついてる感じ。それは春花様おっしゃる命の一回性と多分おなじ根っこ。
でもその一言ではやっぱり全然足りない~!!
わー、私もこれでいっつも悩んでいたんですよ!
鋼の錬金術師を少しでも多くの人に知ってもらいたいから勧めようとするのですが、
それには当然まずどんな話なのかを伝えなければいけなくて。
でも、私の語彙不足な脳と単純な頭では「鋼」という大きな世界を上手い事表現できるはずもなく、
結局は「とにかく読んで!」となってしまいます(笑)
しかしやはりこういうものは自分で読まないとわからないと思いますし、
実際読んでその人自身で何かを感じ取って欲しいと思うので、
この頃は内容を下手にあれこれ説明するよりも
「はっきり言って鋼を知らないって人生かなり損してると思うよ!」とか、
「読んだ瞬間次号が待ちきれなくなる」など、
とにかくまずはそれを聞いたら読まずにはいられなくなるような煽り文句を言うようにしています。
内容については読者となるあなたに委ねます、という感じで。
でもそうやって、鋼をズバリ一言で表す言葉を探すのはとても楽しい事ですよね。
何かの雑誌でもネットでも、もしそういう企画があったりした面白そうなだなぁと思います。
私も、これからもっと作品を読み込んで、様々な人の意見や批評を参考にしていつか自分なりの「ハガレン定義」を見つけられたらいいなと思います。
とても心に留まる記事をありがとうございました。
うん、人に薦めるときはそういう「煽り」がいいですよね!鋼は幸いにしてすごく人気作だし、読めば絶対面白い。ただ、普通の少年漫画の面白さの、もう一歩先は、受け取り手によりますよね~。
(そしてそのもう一歩先を気付いてもらうのに、ファンフィクション=同人 が、結構有効な手段だったりすると思うのですが、これはもっと相手を選びますよね…(汗))
私も、人に説明するのではなく、自分にとって納得できる「鋼を表す一文」を見つけられたらいいな、と思っています。それが他の人にも鋼を伝える文になるなら、もっといいな~、と。
でも一文じゃあとても足りないので、結局何本も記事を書いているとゆー(笑)
ところで、認識についての愛音様の記事、なるほど、と思って読みました。ここでもまた、感じたことが一文になるのに私はとても時間がかかるのですが、いつかインスパイアされた記事を書いちゃうかもです。深い視点をありがとう!
歌もいいしね^^えいがみたいなぁ~
アルとか超いいし
アル超いいですよね!映画アルは可愛いし原作アルは格好良いし。すごい楽しめますよねハガレンってv
「命の大切さ」
を語っている漫画じゃないでしょうか
等価交換が原則の世界でも
何を代価にしても
人の命には代えられない
殺人も珍しくなくなって来た今の時代に
「命の尊さ、大切さ」を
著者は表現したかったんじゃないでしょうか
って・・・考えすぎかな(笑)
以前の記事にもコメントいただけるって嬉しいです。ありがとう!
> 「命の大切さ」
>を語っている漫画じゃないでしょうか
はい。私もそのとおりだと思います。
少年漫画でワクワク面白いのに、例えばエドとアルの人体錬成ついてはわずかの逃げも許さない。そこが鋼のすごいところだと思います!
根底にあるものはやはり『命』だと思いますが、
それ以外の『何か』を答えろと言われれば難しいです。
生きることと死ぬこと。命とは何か。生とは何か。死とは何か。
人とは何か。何故人は生きていくのか、生きるのか。
物凄く単純にすれば、生と命と死は同一。
正し、死は終焉であり、生は始まりである。
人とは『人間』と呼ばれる形を象った生命体。
何故生きていくのか=生まれたから。
何故生きるのか=生きているから、まだ死んでいないから。
あまりに極論ですが(苦笑)
突き詰めていけば答えは一つ、なんだと思います、私の場合。
私事で恐縮ではありますが、
18の頃に後輩を相手の過失による事故で失いました。
その後立て続けに幼馴染のお母さん、また別の後輩の事故死、叔父。
一年で四人の親しい人間と死別をしました。
私にとって最も強いのは、残される側の痛み。
そして、顔も名前も知らない人間に突如として
人生を命ごと取り上げられた側の無念。です。
一度死んだ人間は二度と戻ってこない。
どれ程に代価を支払っても蘇りはしない。
そうでしょうね。承知しています、嫌というほど。
でも、それでも願ってしまう。「もしも」と。
その後に来るのは「生きていて欲しかった」という、どうしようもない怒りでした。
幼馴染の子のお母さんと叔父は病死でしたが、
それでも『仕方ない』なんて言えません。
諦めきれない、哀しみはなくならない。
『会いたい・もう一度』という気持ちは消えない。
けれど『病気』という『原因』に、時間の経過と共に『納得』出来る。
二人の後輩は其々享年17と16でした。
相手の一時下停止による優先道路への飛び出し。
で、出会い頭に衝突(後輩は二人ともバイクを運転していました)
即死、ではなく運ばれた病院先での死亡確認。
即死ではなかった、ということ。
どう捉えたらよいのか未だに分かりません。
冷たいコンクリートの上で死ななくて『良かった』?
ベットの上で息を引き取れて『良かった』?
どう思う事が正しいんでしょう。答え何て出ない。
話がずれましたが、私はこの頃から強く思うようになっています。
『生きている間は生きなくてはならない。生きる義務がある』と。
死んだ人間の分まで、なんて気は更々有りません。
私は彼等にはなってやれず、彼等は私にはなれないのだから。
ただ、生きる。
目的なんてなくていい。平凡でいい。
ただ、生きていく。
何故か。死んでいないから。生きているから。
私に取っては、ただそれだけです。
本来なら二つと一つ下だったはずなのに、今となっては九つと十個です。
生きている限り、開いていくばかりの年齢差。
死ぬまで止まりませんね。
17と16で未来を奪われた彼等と、この年で未だ生きている私と。
一体何が違ったんでしょうね。
この後輩は幼馴染に近かった存在でした。
家が近所で小さい頃はよく一緒に遊びました。
中学に入る頃には小学校卒業も伴い疎遠にもなりましたが、
彼等が入学してくることで『先輩・後輩』として再縁し、
建て前だけの先輩後輩で、素は友達、或いは兄弟。
同じような環境で育ち、高校に入る前まで全て同じ学校で学び。
そして、17歳と16歳で逝ってしまった。
そして、私は今26歳です。結婚しています。四歳になる男の子も居ます。
この『差』って、何故でしょうか。
一体何が理由で、こんな風に別れたんでしょうか。
二人の死に『納得』は出来ていません。
納得することは一生出来ないと思います。
そして、私はそれでいいと思っています。
だってたったの数秒ですよ?
ほんの5秒でもいい、
停止線で止まってくれていたら死ななかったかもしれない。
事故そのものが防げたかも知れず、
防げなかったとしても死なずに済んだかもしれない。
故意も過失も意味はないんです。
そんなコトに意味を持つのは加害者だけ。
被害者は『殺された』。それだけです。
ウィンリーがスカーに対して
「勘違いしないで 理不尽を許してはいないのよ」
この言葉、未だに処理しきれずに居ます。
両親の仇を前にしての、彼女の言葉。行動。
強い、と。たった一つを思うだけで精一杯でした。
エド達がお母さんの死を認めきれず、
また受け入れずに人体練成を行ったこと。
気持ち、分かる気がします。
もしもこの世界にもそんな方法があるとしたなら。
希望めいたものが残されているとしたなら。
私だって縋ります。
エド達と違うのは、私の場合は『どれだけの無関係な人の命が犠牲になっても構わない』と思う事。
私は彼等を生き返らせたい。
だってその為の犠牲は、私の取っての大切な人じゃないから。
私に取っての大切じゃない人の犠牲で、
私に取っての大切な人が帰ってくるから。
迷いはないと思います。
高慢で身勝手な『悪』。だけど迷わない。
迷えない、でしょうかね、正確には。
諦められないのと同じ、と言いますか・・・上手く言えませんが。
鋼の錬金術師ってどんなお話?
私なりの答えは『命を生きる』です。
それは単に命は大切だとか尊いだとか、そんなことではなく。
死んだ人は蘇らないだとか、そんなことだけではなく。
もっと別の、途方もなく重い、
けれど希望の込められた『命』を『生きる』。
そんなお話。
です。現時点では、ですが。
と言うか、関係のないことを延々と書き綴り、申し訳ありません;
しかも連続しての書き込み、重ねてお詫び申し上げます。
失礼致しました。