歌猫Blog跡地

漫画「鋼の錬金術師」と荒川弘について語るブログ。更新終了しました。

少年は成長したか

2008年12月07日 | ◆真面目な考察・・・?
※ 11/23付「大人と大人未満」焼き直し。
  自己満足 兼 トップ記事リンク用。


アニメが描こうとしたテーマは何だった?
「少年の成長」だ。
では、エドは成長したか?

成長した。
エドは、子供から若者に成長した。
理不尽な命令に銀時計を突っ返し、殺人鬼に追われて泣いていた子供は、自分をみつめ、自分の夢よりもっと大切なものがあることに気付き行動した。

だが、彼は大人にはなっていない。

大人、とは何か。
責任を取れること、自分の行いによる結果を引き受けられること?
そう。
でも、それだけではない。
アイツなら大丈夫。
周りの人が、そう信頼できること。
基準は、自分の外にある。
ワタシなら大丈夫、ではなく。アイツなら大丈夫。

アニメのエドは、アイツなら大丈夫、と言える、まだ遥か手前だ。
アイツなら大丈夫と思いたい、その程度の。


対して、原作のエドは、少年から大人に成長している。
自分達の問題だから自分で。と、頑なで危なっかしい少年は、もう、奴なら大丈夫だと、作中の人物も、そして読者の私たちも、信頼して見ていられる存在に、なりつつある。

大人、それは言うなれば親のイメージだ。
原作エドは、頼れる父となるだろう。


會川昇は、自身も明言しているとおり、「強くなった人間には興味がもてない」
だから、原作の中心人物をか弱くすることで、自分のものとするしかなかった。
エドしかり。マスタングしかり。イズミしかり。スカー、ラスト、ホーエンハイム。
結果として、任せられる人物は物語の最後に残らなかった。未来を背負うのは周辺の人々。東方司令部将軍が大総統となり、アルやロゼはロックベル家が面倒を見る。

だが、だからこそアニメは、大人未満の少年少女に深く響いたのかもしれない。
あるブログの、アニメの感想。
「大好きで切なくて、どこか疲れた」
どこか疲れた。
それは、10代の頃の私。
あの頃の焦りとやりきれなさに寄り添うシナリオは、會川昇でこそ描き得たのだ。


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