「鋼の錬金術師」
アニメの影響力は、すごい。
商売の面でも、作品のイメージの面でも。
だから、原作者さんは、自分のイメージと違う形で表されたモノは、きっと苦しいだろうな。
怒ったりじゃないと思う。アニメ化の莫大な恩恵も受けているわけだし。
でもアレとコレとは別、と思い切ることだってできないだろう。アニメの力は強大だ。ホンモノの地位を奪えるくらい。
創作には、創作者の中に確立したイメージがあって、それは創作者本人でさえ自由に出来ないほど妥協できないほどくっきりしたものだと、思う。
それが、異なる形でアウトプットされる。ものすごくメジャーに。
では、オリジナルを生み出した創作者はどうするか。
黙々と、自分のイメージを綴る。それだけ。
○○軒のラーメン、とインスタントが売り出されて、それが似て非なるもので、なまじ似ているがゆえにそれこそが○○軒の味だと思い込まれたら。
ラーメン屋の店主は何ができる?
何も。
ただ自分の店に来た客に、自分のラーメンを出すだけ。
店に来た客だけが、「これが本当の味なんだ」と知る。
で、やっぱりインスタントのが好みだなー、なんて思っても、それは客の自由。
異なるイメージが一般化しても。
原作者は黙々と、その上に自分の色のイメージを塗ってゆくしかない。
黙々と、塗っているんだろうな。
と、思うんだ。
ヒューズの死について、エドがアームストロング少佐の前で、その重さに耐えきれないというほどににぐっと目をつぶり、「オレのせいだ オレが巻き込んだ」と言うところ。
アルが「兄さんひとりの問題じゃない。ボクたち二人の問題だから」と言うところ。(ここはね!一言いいたい!アニメでヒューズの死を知ったエドがロイを怒るのは、まだいい。でもアルの描写が一切無いってのはどーゆーことだ!(無かった…よね?急に自信が無くなる…))
ウィンリィの「元の体に戻ってほしいけど危ない旅は止めてほしい…って…えーと」というところ。
ピナコの「ウィンリィは真面目に修行してるようだね」という台詞。
今月号のシーン。
これが、原作者の、創作者の、オリジナルの、キャラクターだ。
エドは、アルは、ウィンリィは、本当はこうなんだよ!
でもね。
アニメだって、いい。
色がついて、動いて、ばかりじゃなくて。
街の空気とか。(最後の方のセントラルの描写、夕日のシーンとか、キレイ)
錬成光とか。(エドの錬成光が青色だと、くっきりイメージできるのは、アニメの力だ)
漫画とアニメは別物。ほんとにそうだよ?
巨匠・宮崎駿の、風の谷のナウシカ。アニメ映画の金字塔。名作。
でもあれだって、漫画7巻のうちほんの2巻までの内容で、クシャナなんてアニメじゃ只の悪役で見る影も無い。
代わりに、腐海の森の色や空気、王蟲の動き、メーヴェの軽やかな飛行、アニメでしか描けない要素を、ふんだんに存分に描いている。
漫画を持っている私にとっても、ナウシカといえばあの、宮崎カラーの美しいアニメだ。
メジャーのイメージを覆すことは容易ではない。
読んだ人にしか伝えることはできない。
それでも、漫画家もラーメン屋も、黙々と自分のイメージを作品にしてゆくだけ。
そしてきっと。
自分の中にあるイメージをアウトプットしたいと一番思っているのは、そのイメージが大好きで、それが作品になってゆくのが一番嬉しいのは、創作者本人なんだ。と、思う。
テーマサロン鋼の錬金術師
トラックバックピープル漫画1 漫画2
アニメの影響力は、すごい。
商売の面でも、作品のイメージの面でも。
だから、原作者さんは、自分のイメージと違う形で表されたモノは、きっと苦しいだろうな。
怒ったりじゃないと思う。アニメ化の莫大な恩恵も受けているわけだし。
でもアレとコレとは別、と思い切ることだってできないだろう。アニメの力は強大だ。ホンモノの地位を奪えるくらい。
創作には、創作者の中に確立したイメージがあって、それは創作者本人でさえ自由に出来ないほど妥協できないほどくっきりしたものだと、思う。
それが、異なる形でアウトプットされる。ものすごくメジャーに。
では、オリジナルを生み出した創作者はどうするか。
黙々と、自分のイメージを綴る。それだけ。
○○軒のラーメン、とインスタントが売り出されて、それが似て非なるもので、なまじ似ているがゆえにそれこそが○○軒の味だと思い込まれたら。
ラーメン屋の店主は何ができる?
何も。
ただ自分の店に来た客に、自分のラーメンを出すだけ。
店に来た客だけが、「これが本当の味なんだ」と知る。
で、やっぱりインスタントのが好みだなー、なんて思っても、それは客の自由。
異なるイメージが一般化しても。
原作者は黙々と、その上に自分の色のイメージを塗ってゆくしかない。
黙々と、塗っているんだろうな。
と、思うんだ。
ヒューズの死について、エドがアームストロング少佐の前で、その重さに耐えきれないというほどににぐっと目をつぶり、「オレのせいだ オレが巻き込んだ」と言うところ。
アルが「兄さんひとりの問題じゃない。ボクたち二人の問題だから」と言うところ。(ここはね!一言いいたい!アニメでヒューズの死を知ったエドがロイを怒るのは、まだいい。でもアルの描写が一切無いってのはどーゆーことだ!(無かった…よね?急に自信が無くなる…))
ウィンリィの「元の体に戻ってほしいけど危ない旅は止めてほしい…って…えーと」というところ。
ピナコの「ウィンリィは真面目に修行してるようだね」という台詞。
今月号のシーン。
これが、原作者の、創作者の、オリジナルの、キャラクターだ。
エドは、アルは、ウィンリィは、本当はこうなんだよ!
でもね。
アニメだって、いい。
色がついて、動いて、ばかりじゃなくて。
街の空気とか。(最後の方のセントラルの描写、夕日のシーンとか、キレイ)
錬成光とか。(エドの錬成光が青色だと、くっきりイメージできるのは、アニメの力だ)
漫画とアニメは別物。ほんとにそうだよ?
巨匠・宮崎駿の、風の谷のナウシカ。アニメ映画の金字塔。名作。
でもあれだって、漫画7巻のうちほんの2巻までの内容で、クシャナなんてアニメじゃ只の悪役で見る影も無い。
代わりに、腐海の森の色や空気、王蟲の動き、メーヴェの軽やかな飛行、アニメでしか描けない要素を、ふんだんに存分に描いている。
漫画を持っている私にとっても、ナウシカといえばあの、宮崎カラーの美しいアニメだ。
メジャーのイメージを覆すことは容易ではない。
読んだ人にしか伝えることはできない。
それでも、漫画家もラーメン屋も、黙々と自分のイメージを作品にしてゆくだけ。
そしてきっと。
自分の中にあるイメージをアウトプットしたいと一番思っているのは、そのイメージが大好きで、それが作品になってゆくのが一番嬉しいのは、創作者本人なんだ。と、思う。
テーマサロン鋼の錬金術師
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私自身、アニメから鋼の世界に入った身ですから、アニメを否定することはしたくないと思っています。
きっと荒川先生もアニメに対し、言いたいことの一つや二つあるのでしょう。しかし、否定することで生まれる事はごく僅かです。それより、自分の子供でもある作品を世に送り出す事によって語られる事の方が大きいと思われてるのではないか?私も荒川先生をそんな人だと思っています。
突然の書き込み失礼致しました!
コメントいただけるって、コメント書こうと手をキーボードに乗せるだけの何か、が、記事にあったのかな、と思えて、嬉しくてちょっと照れくさくて、いつもドキドキしてしまいます。
そして、コメントってブースター。コメント返し書くつもりが、記事一本になることも。今回も。
荒川先生は大人ですよね。いつも、そう思います。子供心と大人の態度は、両立するんですよね。
入夜様のblogも拝読しました!1枚目のイラストは、もしかして私も読んだことあるお話かもです。じわーっとイメージが。
それから、ブクマ頂いていて、驚愕するやら恐縮するやら…ありがとうございます!
コメント、本当にありがとうございました。
歌猫様も悩まれたりしていたんですね。
歌猫様のおっしゃるとおり作者のイメージと異なるアニメがメジャーになっても作者は黙々と描き続けるんですよね、自分のイメージを。
でも考えてみたらアニメ化を許可するのは作者であり、アニメ製作側と打ち合わせし委ねるところは委ねているのも作者自身なんですよね?(違ったらすみません)
自作のアニメ化を喜ぶ漫画家の方は多いようですが、私にはわからない心理です。
プロとしてはいじられることは覚悟のうえでメジャーになることの恩恵を享受しつつ、アニメ側には負けらんないとか静かに闘志を燃やすんですかね?
度量の狭い私は自分の好きな作品を原作者以外の方の解釈で料理されることはやはり好みません。
だから前作アニメのリアルタイム時はひたすらコミックスだけを読んで過ごしました。
悪評も言わないが見ようともしない。
そういう奴ってわりに周りにいましたね。
それが正しいファンの姿勢かと言われたらリアクションに困りますが、別物だと頭ではわかっていても見ると同じものを要求してしまい苦しくなるので避けたのです。
大分頭が冷えたので、鋼が商品でもあるという避けがたい現実や歌猫様がおっしゃるようにアニメの作り手のお気持ちを考えたりもしていますが、怒りが収まっても純然たる好みの問題で私は残念ながら再アニメを見る気には今のところなれません。
でも歌猫様や他の方のお言葉を見てアンチ再アニメ家にだけはならずにすみそうです。
今は原作を知らない方が見ても原作を是非みたいと思うような、やると決まった以上はすばらしい作品になってほしいとか考えています。
私はアニメには、悩んだりは無かったですね・・・すっかり別媒体と思っているので。悩んで恨んでいるのは(まだ過去形にできない)獣神です。だってアレは、荒川弘の「仕事」だから。たぶん私、鋼という作品以上に、荒川弘のファンなんですよ、07年以降。
>アニメ化を許可するのは作者
>委ねているのも作者自身
うん。でも、現実として出版社との力関係とか、委ねた先でどう扱われるか、そんなハズじゃなかった!となっても、もう口出しできない状況とか、そういうのはあると思います。つまり作者がコントロールできる範囲はそれほど大きくは無いだろうと。
>いじられることは覚悟のうえでメジャーになることの恩恵を享受しつつ
それはね。
よしながふみ(BL出版社のノーマル雑誌Wings=マイナー誌連載の「西洋骨董洋菓子店」がジャニーズ滝沢主演の月9ドラマになった)と、羽海野チカ(初連載のうえ掲載誌休刊により出版社まで移った「ハチミツとクローバー」が実写映画に)(つまり二人とも一部読者に熱く愛されながらもマイナーだったのが、アニメよりも何百倍も破壊力のある、実写化を経験した)の、お二人の対談から引用します。07年4月白泉社メロディ掲載。太田出版「あのひととここだけのおしゃべり」収録。
よしなが:読者さんに捕まえられて、(中略)もうすっごい顔が怒ってて、「なんであんな事(ドラマ化)許可したんですか!」って言われたことあります。(中略)
そのお客さんは、まごうことなく私のマンガを愛してるんですよ。(中略)だからこそのお怒りなわけなんですよ。で、読者さんはメディア化になったときに、傷つくんですわ、自分の大切なものを無理矢理こじ開けられて、(中略)そういう気分になるわけ。
で、そういう不愉快な気分に私(という原作者)も含めてさせるっていうときに、非常に商業的な理由でしか、多分読者さんには見つからないのね、(中略)(メディア化を)許可した理由が。だからとっても傷つくんですよ。
ただ、これは、みんなマンガ家は分かる事なんだけど、数あるマンガの中から別の畑のクリエーターの人が、自分の作品を選んでくれたという事の、この嬉しさ、っていうのがあるんです。多分誰一人として「もっと宣伝になるから」という理由じゃないのよ。メディア化を受けるっていうのは。違う畑の、自分と同じクリエーターが、いくら人気のアルマンガといっても沢山あるわけじゃないですか、その中からこの私のマンガを映像化したい!と言ってくれたっていう・・・。(中略)
でも、これは本当にマンガ家だけがわかる喜びで、読者の人はわかるものでもないし分かる必要はないと思うんです。それよりも、怒るくらいに自分のマンガを大切に思って下さっている事についてはありがたいなあと。
羽海野:メディアミックスになるということは、ドラマなりアニメなり、(中略)同じクリエーターである人が「私はあなたのマンガに自分の1年間かけます」って言ってくれた事が、すごい嬉しいんですよ、やっぱり。でも、読者さんから返って来た反応は「そんなにまでして売れたいのか」というもので・・・すごくびっくりして悲しくなってしまって、諦めちゃいけないんだけどわかり合えないのかと、思いそうになってしまったりもして・・・。
よしなが:(中略)でも読者の方々が大事に思っているのは、あくまでもそのマンガであってマンガ家ではないと思うし、それでいいと私自身は思っているんですけど。
(中略)読者さんは、それでマンガが面白くなくなってしまうんじゃないか、とか(中略)そういうことを心配なさってる。だから、結局メディアになってもならなくっても、マンガ家に出来る事はいつも一つで、面白いマンガをベストを尽くして描こうとすること、それだけ。
たかだか1読者の私が書いた記事より、文句なしに実力ある作家の体験の方が、何百倍も深いので、引用しました。機会があったらぜひ読んでみてください。
あっ、でも、自慢臭くてごめんなさいだけど、この対談のが後です。この記事のが先です~記事は歌猫のオリジナルです~。
>正しいファンの姿勢かと言われたら
正しいファンなんていませんよー。間違ったファンもね。ファン=好き、は、私個人の思いなんだもん。まあ、迷惑なファン、は、いるかな(苦笑) 私も、迷惑と分かっていても我慢できないこと、あるし・・・。
>再アニメを見る気には今のところなれません
うん。それでいいと思います。好きも嫌いも許せないのも、私の、1819様の、一人ひとりの気持ちなんだもの。
そしてやっぱり、少し和らいでも、やっぱりずっと、苦しいと思うの。ずっと苦しいけど・・・うん。明り、見えるといいね。
たかがマンガなのにね、ほんとに(苦笑)