乱鳥の書きなぐり

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盂蘭盆会(うらぼんえ)について

2011-08-14 | 民俗考・伝承・講演


          

 

 もうすぐ8月16日 送り火ということで盂蘭盆会(うらぼんえ)が気にかかりネットでみてみた。

 下に書く多くは ウィキペディアを参考にした。

 日本では、推古天皇14年(606年)4月に、毎年4月8日 (旧暦)と7月15日に斎を設けるとあり、また斎明天皇の3年(657年)には、須弥山の像を飛鳥寺の西につくって盂蘭盆会を設けたと記され、その5年7月15日には京内諸寺で『盂蘭盆経 』を講じ七世の父母を報謝させたと記録されている。後に聖武天皇の天平5年7月(733年)には、大膳職に盂蘭盆供養させ、それ以後は宮中の恒例の仏事となって毎年7月14日 (旧暦)に開催し、孟蘭盆供養、盂蘭盆供とよんだ。

 奈良、平安時代には毎年7月15日に公事として行なわれ、鎌倉時代からは「施餓鬼会」(せがきえ)をあわせ行なった。

 また、明治5年(1872年)7月に京都府は盂蘭盆会の習俗いっさいを風紀上よくないと停止を命じたこともあった。
 (ウィキペディア)



 盂蘭盆会(うらぼんえ、ullambana、उल्लम्बन)は、7月15日 (旧暦)

 盂蘭盆(ullambana)とよんで、父母や祖霊を供養し、倒懸(とうけん)の苦を救うという行事である。

 盂蘭盆会(うらぼんえ、ullambana、उल्लम्बन)は、7月15日 (旧暦)とあるが、先日奈良の法隆寺に行くと、写真のように盂蘭盆会は8月14日から8月15日に行われる場合もある。

 調べて見ると8月の場合が多々あり。


 



 とう‐けん【倒懸】とは
 人の手足を縛ってさかさまにつるすこと。また、非常な苦しみのたとえ。
   (大辞泉)

『盂蘭盆経 』(西晋、竺法護訳)『報恩奉盆経 』(東晋、失訳)などに説かれる目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母への供養の伝説によるらしい。

 ゆえに鬼子母神と関連があるのかと調べてみたが、無関係のようす………か…?。




 盂蘭盆は、サンスクリット語の「ウランバナ」の音写語とは、以前からよく聞いたり読んだりする。

「ウランバナ」は「ウド、ランブ」(ud-lamb)の意味があると言われ、これは倒懸(さかさにかかる)という意味。

 亡くなった魂は中空に逆さにつり下げられたような苦しい状況にいると考えられていたから。




 古代イランの言葉で「霊魂」を意味する「ウルヴァン」(urvan)が語源だとする説があると、ウィキペディアにも書かれている。

 サンスクリット語の起源から考えると可能性が高いとあるが、いろいろ言われているようなので、私にはわからない。

 古代イランでは、祖先のフラワシ(Fravaši、ゾロアスター教における精霊・下級神。

 この世の森羅万象に宿り、あらゆる自然現象を起こす霊的存在。

 この「フラワシ」は人間にも宿っており、人間に宿る魂のうち、最も神聖な部分が「フラワシ」なのだと言う。

 ここから、フラワシ信仰が祖霊信仰と結びついた。)すなわち「祖霊」を迎え入れて祀る宗教行事が行われていた。

 一説によると、これがインドに伝えられて盂蘭盆の起源になったと言われている
。(ウィキペディア)




 一般にはこの「盂蘭盆会」を、「盆会」「お盆」「精霊会」(しょうりょうえ)「魂祭」(たままつり)「歓喜会」などとよんで、今日も広く行なわれている。

 この行事は本来インドのものではなく、仏教が中国に伝播する間に起こってきたものであろう。現在、この「盂蘭盆会」のよりどころとしている『盂蘭盆経 』は、『父母恩重経』や『善悪因果経』などと共に、中国で成立した偽経であると考えられている。したがって、本来的には安居の終った日に人々が衆僧に飲食などの供養をした行事が転じて、祖先の霊を供養し、さらに餓鬼に施す行法(施餓鬼)となっていき、それに、儒教の孝の倫理の影響を受けて成立した、目連尊者の亡母の救いのための衆僧供養という伝説が付加されたのであろう。

 盂蘭盆経に説いているのは次のような話である。

 安居の最中、神通第一の目連尊者が亡くなった母親の姿を探すと、餓鬼道に堕ちているのを見つけた。喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出したが、ことごとく口に入る直前に炎となって、母親の口には入らなかった。

 哀れに思って、釈尊に実情を話して方法を問うと、
「安居の最後の日にすべての比丘に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入るだろう」
と答えた。

 その通りに実行して、比丘のすべてに布施を行い、比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをした。

 すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり、母親の口にも入った。
 (ウィキペディア)



 お盆には先祖の霊が帰ってくる日ということで、親戚一同が集まってお迎えし供養する地方もあると言う。

 盆棚(ぼんだな)には、14日ソーメン、15日ぼた餅などと、水の子といって生(なま)米と生ナスのさいの目に切った物を、蓮や桐の葉に盛って供えます。

 16日になると、仏さまは牛にのり、馬に荷物を背負わせてお帰りになり、ナスとキュウリの牛馬が供えられる。

 地方によって、棚の四角(すみ)に青杉や青竹を立てるのは、正月の年神の松飾りと同じ風習らしい。




 先日奈良の斑鳩の地場産菜販売所に行くと、くるくると巻いた蓮の葉がお盆用として一巻198円で売られていた。

 いえに帰り、友人二人に電話をかけて聞いてみたが、誰も知らない。

 私だけかもしれないが、京都市内では蓮の葉が売られているのをみたことが無かった。

 今回 盂蘭盆会をさらりと簡単にみていて、蓮の葉の使用法がわかったのは幸運だ。

 これで解決。

 今日は友人にメールを送っておこう…。



 盂蘭盆会の供養に参加できない場合は、キキョウ、萩、ホオズキなどお盆につきものの花や先祖の霊が乗るといわれる、キュウリやナスビで作った馬や牛のお飾りっをまつると良いらしい。

 ようは気持ちと多少の行動。

 お盆を気持ち良く過ごしたい。







【精霊(しょうりょう)送り(送り火)】

 仏さまを送る日は、多くは15日か16日で、川原でオガラをたいたり、送り舟といって、舟を供物(くもつ)とともに、川や海に流すところもある。
 環境問題のため、お寺など決まった場所に納める。
 迎えるときと同じに「盆の仏さま、これについていにやあれ」などと唱えて、大切にお送リする。


【盆棚(ぼんだな)(精霊棚)】

 供養のためにお迎えした仏さまは、どこに迎えるかというと、盆棚や魂棚(たまだな)、先祖棚と呼ばれる位牌を安置し、供え物を飾る特製の棚を設けて迎える。
 棚をつくらないところでは、特にお仏壇を整えてお迎えします。
 棚経とは、お坊さんが供養すること。
 盆棚を設ける日は、たいてい13日の朝。
 新盆の家は早く1日か7日までに設け、特に念入りにつくるべき。
 この棚に、よく団子を供えるのは、落付団子(おちつきだんご)などといって、お墓に精霊を迎えに行ったすぐ後に供えるため。
 盆中の14日 ソーメン、15日 ぼた餅などと、水の子といって生(なま)米と生ナスのさいの目に切った物を、蓮や桐の葉に盛って供える。
 16日には、仏さまは牛にのり、馬に荷物を背負わせてお帰りになり、ナスとキュウリの牛馬が供える。
 七タ馬も同じこと。
 地方によって、棚の四角(すみ)に青杉や青竹を立てるのは、正月の年神の松飾りと同じ風習。


【盆踊り】

 夏の風物詩として親しまれている盆踊リも、お盆にお迎えしたご先祖や亡き人の霊をなぐさめ、生者をたたえるとともに、豊年を祈るため。
 ご先祖の霊をなぐさめるよう、盆に踊る。
 生きている者もともどもに楽しむとされる。


【門火(かどび)(迎え火)】

 この行事は、13日の夜、門口でオガラや松明(たいまつ)などをたくこと。
「ジイさまバアさま、この明リでおいでやれ」
と言い、仏さまを迎える目印にする。








『盂蘭盆』(うらぼんえ)を探していて、次のような興味深いページを見つけた。

   お盆のこんな話さまより ▼


              ■お盆のいわれと由来■

お盆の正式名称は[盂蘭盆会・うらぼんえ]と言います。
先祖の精霊を迎え追善の供養をする期間を「お盆」と呼びます。

・7月または8月の13日より16日までの4日間をさします。
・13日の夕方に迎え火を焚き、先祖の霊を迎えます。
・期間中には僧侶を招きお経や飲食の供養をします。
・16日の夕方、送り火を焚き、御先祖さまにお帰りいただきます。

◆逆さ吊り?    

[盂蘭盆会・うらぼんえ]とはインドのサンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)を漢字で音写したもので、 転じて「逆さまに釣り下げられるような苦しみにあっている人を救う法要」という意味です。

・お盆の行事はお釈迦さまの弟子の一人、目連尊者(もくれんそんじゃ)が母を救う話に由来しています。

目連尊者はある時神通力によって亡き母が餓鬼道に落ち逆さ吊りにされて苦しんでいると知りました。 そこで、どうしたら母親を救えるのかお釈迦様に相談したところ、 お釈迦様は言われました。

「夏の修行が終った7月15日に僧侶を招き、多くの供物をささげて供養すれば母を救うことが出来るであろう」と。

目連尊者がお釈迦様の教えのままにしたところ、その功徳によって母親は極楽往生がとげられたとのことです。

・それ以来(旧暦)7月15日は、父母や先祖に報恩感謝をささげ、供養をつむ重要な日となりました。

わが国では、推古天皇の14年(606)に、はじめてお盆の行事が行われたと伝えられています。
日本各地で行われるお盆の行事は、各地の風習などが加わったり、宗派による違いなどによってさまざまですが、一般的に先祖の霊が帰ってくると考えられています。

お寺では施餓鬼供養をしますが、家庭では先祖の霊が帰ってくる日としてさまざまな行事を行います。

■日本のお盆■

◆ 日本における「お盆」は、
仏教に於ける盂蘭盆(ウランバナ)の行事―地獄の苦しみをうけている人々をこの世から供養することの功徳によって、その苦しみを救いたいという行事―と、
昔からの今の自分があるのは、ご先祖さまのお陰であると感謝する先祖崇拝の心と合体したものです。

古くからの農耕儀礼や祖霊祭祀などが融合して伝えられてきたのが日本のお盆です。
お盆の習わしも、地域や宗教・宗派によって、あるいは時代によって、 さまざまに形を変えながら伝えられてきました。

その意味では、これが絶対に正しいという決まりはありません。
しかし、親族が一堂に会し、先祖や故人を偲び、今日ある自分をかえりみるという、 お盆の根幹をなす理念は、千古の昔から変わらないものだといっていいでしょう。

◆わが国の朝廷で行われたのは推古天皇(606年)十四年七月十五日斎会を設けたのが初めてとされ、斎明天皇(657年)三年七月十五日飛鳥寺で盂蘭盆会が催されたとあります。

江戸時代以前のお盆行事は武家、貴族、僧侶、宮廷の上層階級で主に催され、一般庶民に広まったのは江戸時代のようです。江戸時代に入ると庶民の間にも仏壇やお盆行事が普及し、又、ローソクが大量生産によって安価に入手できるようになってから提灯がお盆にも広く用いられるようになりました。

◆盆と正月・・・・・藪入り(やぶいり)
「盆と正月」という言葉が聞かれるほど、日本人にとってお盆は大切な行事と考えられています。 最近は藪入り(やぶいり)という言葉も死語となってしまいました。

江戸の時代、お正月とお盆には奉公人が休みをとって実家に帰ることが出来る時期で、これを「藪入り」と称しました。
当時は、仕事を見習うために、職人・商人ともに、十三・四歳頃から師匠や商家を選んで丁稚奉公にでたものです。丁稚たちは例年、正月の薮入りに主人から衣類万端与えられ、小遣いをもらって親許へ帰ります。

この時期はまた、他家に嫁いだ女性が実家に戻ることの出来る時期でもあり、自分と自分の家(先祖、ルーツ・・・)の繋がりを確認する大切な行事でありました。



 


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2 コメント

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行事の内容 (やまとなでしこあん)
2011-08-18 07:51:19
地域によって違うようですね。世の中がグローバル化してきたからか、均一化が激しいですね。お盆に海外とかリゾートに出かける人も多く、うらやましくも思いますが・・。帰ってこられる仏様も様々なんで個性があるのでしょうね。みんなに集まって自分たちに感謝してもらいたい人。みんなが楽しく過ごしている姿を見るのがうれしい人などなど??
さて、実家のある地域ではお墓まで提灯をもち、お迎えにいっておりました。

今朝は蒸し暑いですね。昨日はヨガの時にミントなどをいただいたので、今日もミントティをいただこうと思っています。
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行事の内容 (Rancho)
2011-08-18 11:17:11
 やまとなでしこあんさん、貴重なコメントをありがとうございます。

 おっしゃるように、風習や行事など、地域によって違うようですね。赤松氏は隣町や隣家になると違うので、一概には言えないと書いておられます。地域により傾向はあるのかもしれませんね。
 ご実家ではお墓まで提灯をもち、お迎えにいっておられたのですか?素晴らしいです☆美しい日本だと感じます☆貴重なお話を聞かせていただきありがとうございます!!

 本当に暑いですね!昨日は矢田丘陵から平群の方向に歩きましたが、暑くて頭がボーーっとしました@@白石は他に行きました☆ミントティ、良いですね!ミントは肉料理にもおかしにも合うので、好きです。
 ところでやまとなでしこあんさん、ヨガをされてるの?ステキ!!!
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