一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。
故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?
ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、
外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。
これを世の人は「奇祭」と呼びます。
奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。
これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」
「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、
奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。
よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り
(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、
ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、
開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。
これから数回に渡って奇祭を特集していきます。
その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、
祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。
特に言う必要はないと思いますが、
以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、
れっきとした郷土芸能であり、
日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。
今回は、長野県諏訪大社の御柱祭です。
御柱祭(諏訪大社:長野県諏訪市)
御柱または御柱祭とは長野県諏訪地方で行われる祭りです。
諏訪大社における最大の行事です。
正式には「式年造営御柱大祭」といい、寅と申の年に行われる式年祭です。
また、長野県指定無形民俗文化財でもあります。
正確には満6年間隔で行われる「6年に一度」なのですが、
慣例として数え年の7年目ごとという意味で
「7年に一度」と表記されることが多いようです。
最近は「7年目」もしくは「数えで7年」という表記に変わりつつあります。
大きくは「山出し」と「里曵き」に分かれそれぞれ4月と5月に、
そして下社は上社の一周後に行われます。
諏訪地方あげての一大行事です。
【歴史】
起源は、平安時代以前と言われます。
諏訪大社は五穀豊穣、狩猟・風・水・農耕の神として古くから信仰されていて、
それらを祈願するものだったと推測されています。
江戸時代以降は、宝殿の造営と御柱の曵き建てが行われています。
【神話伝説】
「日本書紀」に記述があるもので出雲のオオクニヌシが
高天原から降ったニニギに国譲りを承諾したとき、
ただ一人反対したタケミナカタは武神タケミカヅチに追われることとなりました。
結局諏訪湖畔まで逃げてきて降伏し、
この際この地から出ないことを誓って許されました。
その時結界として神社の四隅を仕切った、という話が残っています。
地鎮祭の神話的表現とも考えられます。
実際には記紀神話以前からの諏訪地方の信仰との関係が深いと言われています。
神長官守矢氏の伝えるところによるとこの御柱はミシャグジの依り代だそうです。
【概要】
山中から御柱として樅の大木を16本(上社本宮、前宮、
下社秋宮、春宮各4本)切り出し、
長野県諏訪地方の各地区の氏子の分担で4箇所の各宮まで曳行し
社殿の四方に建てて神木とする勇壮な大祭です。
この御柱祭は7年目ごとに行われ、柱を更新します。
日本三大奇祭の一つとされ、氏子は木遣りや喇叭に合わせて曳行します。
建御柱の前後に本来の式念祭といえる宝殿の造営がされますが、
一般には取り上げられることはありません。
これは御柱の曳行と建立が氏子の奉仕によって行われるのに対し、
宝殿の造営と遷座は諏訪大社の神職が中心となって執り行われる行事のためです。
次回の開催は2016年で、主要な行事は以下の日程で行われる予定です。
4月2日~4日 :上社山出し
4月9日~11日:下社山出し
5月2日~4日 :上社里曵き
5月8日~10日:下社里曵き
5月7日 :下社宝殿遷座祭
6月15日 :上社宝殿遷座祭
【交通アクセス】
電車:JR中央本線「下諏訪」駅下車、徒歩約10分。
バス:中央高速バス新宿~諏訪・四谷線「下諏訪」停留所より徒歩7分。
車 :長野自動車道「岡谷IC」より約15分。
いかがでしたか。
祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。
長年にわたって受け継がれてきた祭りには、
理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。
たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?