![]() | ヤングガン・カルナバル (トクマ・ノベルズ)深見 真徳間書店このアイテムの詳細を見る |
「うー、〆切り〆切り」
いま漫研の原稿締め切りにおわれている僕は、高校に通っているごく一般的な高校生。
強いて違うところをあげるとすれば、殺し屋をやっているってことかナ--名前は木暮塵八。
そんなわけでボスに云われて皆殺しにやって来たのだ。
という感じのラノベだった。
鈍感でオタクっぽい少年が実は凄腕の殺し屋で、というと完全に願望充足型のぬるい少年漫画の世界にしか思えないが、さにあらず、作者の性根の問題なのか、陳腐とも思える設定なのに読ませる読ませる。
まず銃器に対する知識の豊富さと、それの自然な説明の仕方が見事というほかはない。
いくら銃器カタログを読み込んでもわからないような、使っているものにしかわからない実感のこもった感覚的な説明がたまらない。
「コイツ、確実に撃ってる!」
そう思わせるだけの危険さが説明のあちこちからにじみ出ている。
その危険さは文章のドライさにもあらわれている。
じつに景気良く人が死ぬのだが、それがもう、盛り上げようとして殺しているのでもなく、かといって若者特有のリアリティの欠如というのでもなく、ただ「人は撃たれたら死ぬ」という当たり前すぎる常識を当たり前に描いてしまっている。
同様に、あらゆる犯罪を「実際、世界のそこかしこでこれくらいあるからね」というノリで普通に描いてしまっている。
その普通に書いてしまっている感覚が物騒でこわい。
作中で組織のボスが主人公を評して「正しい狂気を持っている」と述べているが、それはそのままこの作品への評価になる。
こういった二重生活ものというのは、たいてい学園生活のノリの延長で戦闘が始まってしまい緊迫感に欠けるものになるか、あるいは戦闘がはじまった瞬間にキャラがすっかり変わってしまうかの二択になりがちだ。
ところがこの作品では「正しい狂気」を備えた主人公が、学園生活と殺しをまったくもって等価の現実として捉えている。地の文章自体もそうだ。
この殺しと学園がシームレスに同居して違和感がないという奇妙さこそが、この作品の特色だろう。主人公の木暮塵八というキャラクターは、まさしくそれを体現している。
一方でもう一人の主人公、鉄美弓華は帰国子女で傭兵訓練を受けていて野生児で格闘技の達人でレズで美少女、というコテコテのキャラ付けをされていて、この少女が実に男前で惚れ惚れしてしまう。
萌えとかそういう次元ではなく、本当に男前だ。素で女を押し倒しそうになりながら自制する姿がたまらない。
ストーリー自体は、シリーズの一巻目なので設定の説明とキャラ紹介に終始して、開幕編としかいいようがない。つまり良くも悪くもない。
だが、作者の銃器の知識と素で殺伐とした書き口に興味が湧いたので、ちょっとシリーズ通して読んでみようかな。
話自体が面白くなるならいいんだけど。
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