語り得ぬ世界

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防人の旅、時々妖怪_49【第3日04】

2024-03-25 07:23:02 | 珍旅道中記
珍旅東下り3日目最初の訪問地は『迎賓館赤坂離宮』です。



9:45 四ツ谷駅赤坂口はホームの一番端にあります。和服女子を追いかけるように(笑)赤坂口側の階段へ。



意外と閑散とした四ッ谷駅。長靴を履いた着物女子(40代?)が絵になりますな。



9:46 赤坂口改札口です。工事中っぽいですけど、23区の駅舎はいまだにJR、私鉄、メトロのどこも何がしかの工事が進んでいますよね。



改札口を出てから振り返ったところ。地の利のない珍は目的地へ向かうのにGoogleマップを見ながら進んでいくことにします。駅から徒歩7分てほんまかいな。



跨線橋から見下ろす雨に煙るJR四ッ谷駅。23区粋のJR中央線は都心の谷底に沿っているわけですけど、タモリさんの好きな江戸・武蔵国の特徴的な丘陵・峡谷の凸凹した地形がよくわかりますね。



9:52 赤坂離宮が見えてきました。四ッ谷駅赤坂口からここまで6分。ふむふむ、確かに徒歩7分は合っています。ですが、それはあくまで施設まで、もっと言うと敷地までの所要時間です。胡散臭い不動産屋が駅からマンションまでの徒歩所要時間のサバを読むのと同じでんがな。実はここからは入れません。見学受付は西口と書かれてありましたが、そもそも西口ってどこ?
Googleマップでとりあえずの方向へ向かいしかないかと思ったところへ合羽を着た若い警察官(もしかしたら警備員さん?)が通りかかりましたので、
「見学者ですが受付の西口はどこですか?」
と尋ねると丁寧に教えていただけました。



さきほどの正面から右へ向かったところにある交差点がこちら。鳥が舞い木立のあるところが、今上陛下もお通いあそばされた学習院初等科です。ここを今度は左へ折れ、しばらく行くとようやく見学受付のある西口に到着しました。けっこう遠かったです。途中道を聞いたとはいえ、駅から余裕で10分以上かかりました。集合は10時までに西口でしたから、結局まあまあギリギリでした。早めの列車で来て正解でした。
西口にある見学受付では(写真を撮れる雰囲気ではありません)スタッフの数がえらい多く、また見学者もそこそこ集まっていました。和風別館の見学には事前予約が必須でして、珍はもちろんweb予約をしてあったのでスマホを取り出し、受付完了メールを見せようとしたのですが、けっこう雨の降りがきつくてモタモタしていたら名前で予約確認をしてもらえました。その後はセキュリティチェックはあったものの、券売機でチケットを購入しスムーズに見学待合室へ。



施設全部を見学できるコースを予約してありました。入場料は税込2,000円也。
ところで、事前予約後に着信した受付完了メールには細々と多岐にわたる注意事項や禁止事項が書かれてありまして、中でも服装に関する禁止事項はツッコミどころ満載です。以下に引用しておきます。

③次に掲げる服装で敷地内に立ち入ること。
・公序良俗に反する服装
・素肌の露出が極端に多い服装
・迎賓館の品格・雰囲気を著しく損なうおそれのある服装又は他の参観者が不快と思われるおそれのある服装
・ウェディングドレス、白無垢、色打掛
・警備員等の制服又はそれを模したもの
・着ぐるみ


「公序良俗に反する服装」の基準が不明です。何かの判例に基づくのでしょうが、当然時代とともに許容範囲は変化するものですから、コスプレでもどこまでがOKでどこrからがNGなのかとかね。まあ全体を包括的に縛る事項は当然必要ではあります。ただ、後段の「迎賓館の品格・雰囲気を著しく損なうおそれのある服装又は他の参観者が不快と思われるおそれのある服装」という上から目線のこの項目は公序良俗違反とかぶるような気がしますけど…最初の公序良俗違反禁止事項があれば、こんな基準がより曖昧な(恣意的に運用できる)項目はお止めになったほうがいいような気がしますが…。
「素肌の露出が極端に多い服装」って、夏場の女性外国人観光客がイロイロ心配です(苦笑)
「ウェディングドレス、白無垢、色打掛」ってそんなヤツおんの?(苦笑)この手の禁止事項って過去の事例に基づいていたりしますからねぇ…。宮内庁は前例踏襲主義の権化みたいな役所ですから、ほんとにおったんかもしれまへんな。ホラーやん。こえーよ、マジこえーよ(怖)
「警備員等の制服又はそれを模したもの」これはわかります。そんなヤバいヤツは絶対入れたらあきまへん。
「着ぐるみ」も過去にいたのかもしれませんな。まあ土壁や調度類を傷つける可能性大ですし、そもそも何のために着ぐるみ着るのか…SNS不適切投稿のアホボケカスが一向にいなくならない現状、こんな禁止事項も必要なんでしょうね。



10:11 待合室です。見学開始は10時半。珍と同じ見学時間帯の人たちが集まってきました。注意事項などのブリーフィングが終わると、まずは「迎賓館赤坂離宮和風別館『游心亭』」へと進んで行きます。見学者で10時半ギリギリに来た迷惑野郎が1名いましたが、全員揃った時点で少し時間前でしたけど問答無用に出発。



10:30 迎賓館本館の前庭を横切っていきます。



おおっ、さすがなかなか威風堂々たる佇まいですな。ネオ・バロック様式の宮殿建築です。



本館真正面です。『迎賓館赤坂離宮』はもとは紀州徳川家の江戸屋敷があったところでして、皇居が火災に遭った際は明治天皇の仮御所が置かれ、その後皇太子(後の大正天皇)の東宮御所として約10年の歳月をかけ明治42(1909)年に完成しました。地上2階地下1階延床面積約1万5千平米の建物の建築費は、現在の貨幣価値に換算すると1,000億円以上という一大国家プロジェクトでした。しかしながら、あまりに華美で、住居としての使い勝手も良くなかったたため、皇太子殿下がお使いになったり、お住まいになられたことはほとんどありませんでした。

そんな状況でもあり、皇太子殿下が天皇としての即位後に東宮御所から「赤坂離宮」と改称されました。なお、その後皇太子裕仁殿下(後の昭和天皇)は、大正13(1924)年婚礼の儀の後、数年間ご一家の住居となりましたが、天皇即位後は離宮として使用されることも稀だったんだとか。戦前の昭和10(1935)年4月と昭和15(1940)年6月には満州国皇帝愛新覚羅溥儀陛下の来日時の宿舎として使用されました。

戦後は皇室から国所管となり、国立国会図書館などの各種施設として使用された後、昭和49(1974)年3月に迎賓館としてリニューアルされました。田中角栄首相時代です。最初にお迎えした国賓は同年11月に来日したフォード米国大統領でした。その後は平成18(2006)年から20(2008)年にかけて行われた大規模改修工事を経て、平成21(2009)年12月8日「旧東宮御所(迎賓館赤坂離宮)」として明治期以降の建築物では初の国宝に指定されています。23区内の国宝建築物はここだけだそうです。意外ですよね。文物絵画彫刻などは東博を始め東京都内にはけっこうありますけど、関東大震災や東京大空襲の影響でしょうね。

明治西洋宮廷建築の粋を集めた建物は、英国人建築家ジョサイア・コンドル(もともと現東京大学工学部の工部大学校教師として来日)の弟子でもある宮内省内匠寮設計技師、片山東熊(かたやまとうくま)設計です。迎賓館として再整備の際は村野藤吾が本館部分で設計協力しています。当時としては東京駅丸の内駅舎や日銀本店、大阪市中央公会堂など(この3つはいずれも国重要文化財)の設計で有名な辰野金吾と並ぶ西洋建築の第一人者でした。片山と辰野は工部大学校の同窓生でもあり、コンドルの弟子でもあります。ちなみに、以前珍ブログでも美術展を紹介しましたけども、コンドルは河鍋暁斎の弟子です。



晴れていたら青空に映えたでしょうな。



本館前庭を越えると和風別館『游心亭』のエリアです。写真左側(写っていない先)がそのエリアになります。
(つづく)
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