宇ゐの里山徒然記

町屋暮らしの後、2013年10月北山杉の里、右京区京北町に移り住みました。
周辺の紹介と暮らしの事など綴ります。

麻の糸 幻の布

2010年08月05日 | 旅紀行
ブログを着物の話題とそのほかと分けてUPしているのだが
今回のテーマは悩んだ。

最近ジェットコースターのようにだだだーーっとハマっているのが
先日ここで『麻の実』とUPもしたが、麻(大麻)に関することである。
着物に関することを生業としているので
当然麻の着物を取り上げるのならキモノブログの方なのだが
今回の“大麻糸”に関してははるかにきもの未満なので
こちらにUPすることにした。

先日、興味が高まってとうとう那須の“大麻博物館”へ行ってきた。
博物館とはいえあくまで私設で、観光地の一角のログハウスといった感じだった。
いろんな産地へも行きたいのだが
まずは“知る”ことからという思い。

    



そこで大麻の糸の話をいろいろと聞くことが出来て
ようやく私の中の“麻の糸とは。。。”というカテゴリーが茫洋とではあるが
その形が見えてき始めた。
まずはその呼び方なのだが、大麻はヘンプ(hemp)とも言い、
どうもごっちゃになるので、輸入の物はヘンプ。
そして純日本産のものを大麻と分類するとわかりやすい。(大麻博物館T氏の助言)
先日UPのオイルや実、ナッツ全てヘンプ食品。
タオルや衣服、今話題の褌などなども全てヘンプ製品だ。(主な輸入元はカナダや中国)


では国産大麻糸はどこにあるのか。
正直、ふつーの我々の生活の中には“ナイ”のである。
かつては日本中のいたるところで栽培されていた大麻は
戦後、その姿をほとんど消してしまった。
今では栃木県の野州麻・群馬県の岩島麻ほか滋賀県のわずかな農家。。。etc。。。
出荷先は伊勢神宮や宮内庁など国産に限るものを求める場所のほか
奈良県の奈良晒・大分の久留米絣のくくり糸・弓弦・和楽器(大小鼓の調緒(しらべお))・神社の鈴縄や結界・横綱の化粧回しなど、数えられる程のお得意様用である。
神社にまつわるものや安産関連の商品はヘンプを使用しているところも多く
“御利益”商売も国産ではまかなえないのが現状だ。
当然衣類や着物・帯に回る数があるはずもなく・・・




さてその貴重な国産大麻。
刈り取った大麻を熱湯に浸し乾燥。
さらに麻船で濡らして菰を被せて醗酵させてから繊維となる皮を剥ぐ。

昔使っていた麻船(オブネ・アサブネ):奥と
収穫した生麻(ナマソ)を熱湯に浸けるユカケに使用したテッポウガマ(手前の大砲のようなもの)↓

      



それを乾燥させると『精麻』ができる。
不純物を取り除かれ、黄金色に輝くその束はとてもきれいだ。
精麻の中でもいい糸がとれる等級の高いものは
新聞に当てると文字が透けて見える。


            


そしてここから糸をとるのだが、
単に裂いて績むだけでは出来た糸は硬い。
精麻の状態から細く裂いた後に“麻打ち”をしなくてはならないのだ。
その方法は砧打ちのような小槌でトントン・・・ではないそうだ。
ぬらした後に床に適度な力で叩きつけるらしい。
そうすると繊維が長いまま切れずに柔らかくなるとのこと。
もちろんその麻打ち(麻ぶち)はかなり熟練が要る。

麻打ちをした糸↓

     



外の光で撮る。↓こんなにしなやかで美しい。

  


糸績み途中の資料糸↓

        



この“麻打ち”の具合次第で糸績みをして出来上がった糸に雲泥の差が出る。
苧麻の上布の糸績みは細く裂いた麻繊維を撚り繋いで糸にしていくが
大麻は精麻と糸績みとの間の“麻打ち”にその糸質の生命線があるようだ。

まだ実際に“麻打ち”作業を見学したことがないので
出来ることなら糸作りの現場で見てさらに詳しく調べていきたい。




大麻博物館へ伺った日は猛暑日だった。店員さんのM嬢が首に何やら布を巻いていて
それは大麻布であるという。
F県S村で織られたという大麻の布を水に濡らしたものを巻いて垂らしていた。
当然下に着ている木綿のTシャツが濡れるだろうと心配になったが、
なんと、Tシャツは濡れていないのだ w(゜ロ゜;)w
びっくりで写真を撮りそこなってしまった。。。。。

幅十数センチの濡らした細長い大麻布を試しに私も首からかけさせてもらった。
今までに触ったことがない感触の少しもったりとした肌触り。
腰がありながら柔らかい布だった。
そして水を含ませるとひんやりとして気持ちがよく夏は重宝しそうである。
やはり私も着ている服に水分が移って濡れてしまうことはなかった。

布に含まれている水分はなぜ外に沁み出ないのか聞くと
大麻布の糸はその繊維の中が空洞状態になっていて
いったん含んだ水を外へ逃がさないとのこと。
含まれた水が自然に蒸発しない限りは濡れたままだそうだ。
これって何かに活かせないだろうか・・・

大麻布への興味はまだまだ深まりそうである。
麻打ちや糸績みの担い手がいないという課題をなんとか解決して
布→きものや帯へと発展していくことがあるよう願わずにはいられない。
国産大麻布はまさに幻の布なのだ。






       
       麻紙ランプ


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いろいろな歓迎・・・

2010年07月02日 | 旅紀行
開田高原を再び訪ねた。

今回は“衣”と“食”に関連した、とあるテーマがある。
一回では書ききれないので内容については数回のUPにて。

開田高原に到着してお世話になった『わらび野』さん。

        

前回の訪問より数棟の建物が増えていた。

軒下では可愛らしい姿が歓迎してくれる^^

   

口だらけの顔で必死に生きようとしている。けなげな事この上ない。



そして、泊めていただく棟へ入ろうとしたその時・・・・・
手荒い歓迎が待っていた。








              
 

うぎゃ~。。。青大将。。。(@_@;) 
玄関の戸のところであやしく鎌首をもたげている。

抜け殻はお財布に入れた事があるが
“生もの”を自然の状態でこんなに間近に見たのは初めてだ


見ているとゆっくりと形を変え、、、

       
これってなんか文字のようw  
でも力を身体にためて構えている様子。。。
ジャンプもするらしいのでこのショットはかなりびびって撮った。


       
そして去る。 体長は1mをゆうに超している。
蛇は何かの化身という話を聞くので、悪いアクシデントとは思えなかった(思いたくなかったw)





興奮もおさまり、ティータイムで一息いれる。

  
麻の実ナッツのバナナケーキと美味しいコーヒー
これが今回のテーマ“麻”の入り口だ。

卓の傍らには野バラが可憐に揺れていた。
センスを感じる素敵な空間。



                  


          道端に咲いている野バラ。桜はバラ科であることがよくわかる。
          




次は“麻の実を食す”編。






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麻布のフレンチレストラン

2008年12月26日 | 旅紀行
何度いただいても『おいしい~な~』と思う一皿がある。

フォアグラのリゾット。
決してお手軽な料理ではないし、しかもフランス料理。
自分で作ろうなんて大それたことも決して考えないごはんだ。
フレンチで、フォアグラ・・・となると贅沢と言われるかもしれないが
出会ってしまったので仕方がないw

東京のお店なのでそうしょっちゅうも行けないしコースの中の一品。
アラカルトで単品でも食べられるけどせっかくのフレンチである。
やはりいろいろ食べたい。

まず、そのお店の名前は「Aux Gourmands(オー・グルマン)」

  

飯倉片町という交差点の近く。
東京タワーが見える麻布台の起伏のあるエリアの一角に
そのお店はある。(茶色の建物は麻布郵便局)

ここの横崎シェフは元プロボクサーという異色の料理人。
風貌はややいかついが人懐っこい笑顔と、
とても繊細な味の組み立てで胃袋はわしづかみにされる。

今日のメニューは
◆アミューズ(突出し)
   写真を撮るのを忘れてぱくっ・・・(;^_^A

◆ほろほろ鳥、フォアグラ、キャベツのバロティーヌ(←包んで巻いたもの)

        

◆鯖のマリネ、じゃがいものラタトゥイユ添え

        

そしてそしてお目当ての

◆黒トリュフとフォアグラのリゾット

        

 これがとにかく絶品、、、味の説明はできないけどw
 食べて減っていくのが悲しくなるような一皿だ。

◆北海道十勝野レイトン豚(デュロック100%)の炭火焼

        

アミューズや前菜、リゾットなどたくさん食べた次のメインがコレ。
出された時にはその量にやや腰が引けたが
これが残さず食べられたのである。
交配されていないデュロックという種類の豚肉なのだそうだが
正直豚肉がこれほどあっさりとジューシーなものとは思わなかったほど。


◆デザート 洋梨ムースグラッセ・ガトーショコラ・ミアス

        

この中で耳慣れない名前・・・ミアス
フランスの地方菓子だそうで、食感はモチモチとしている。
カスタードクリームを焼いた感じで西洋ういろうといったところ(^^ゞ
素朴で甘さも控え目。これも気に入ってしまった。


            

素材や季節をソースに頼らず味わえて
しっかり目の味も質も量も毎回感激ものである。
大きなお店ではないがカウンター席があって一人でも行けるところもイイ。


着物が大好きなシェフとシェフの奥様。
話がはずみ、いつも長居をしてしまう。


               



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石垣島 空編

2008年07月17日 | 旅紀行
PCの調子がかなり悪い。。。
ブログ更新を試みるも3度に渡ってフリーズを繰り返す
文章を入れて写真を貼った直後になるのはかなりキツイ
これもちょっと書いては保存をかけながら・・・
そろそろ変え時かしら


帰りの話を既にしてしまっているが
改めて石垣島行きについてを。

リフレッシュと仕事に関する勉強も兼ねてのふらり旅である。
訪ねた染織の工房についてはきものに関することとして
宇ゐのキモノブログ”で紹介する予定。

この時期はもっとも天候が安定しているとの事なので
思い立って・・・とはいえ結果いい時期だったと思う。
現在は台風も来つつあるようなのだが・・・

乗り物が好きなので当然飛行機も窓際をGET
私の周囲には飛行機がニガテな方たちも多い中であるが 
いきなりの空からの写真。

    


そして沖縄の色ともいうべき珊瑚礁のコバルトブルー。
  

石垣島の知人を訪ねた後、車で川平湾へ。
20分強で着いてしまったのは夕方近かったせいで海に向かう道がガラガラだったからかな。
石垣市街地は島の南なので北端にある川平まででほぼ島を半周していることになる。
川平には川平織と称している石垣で絹織物を織っている工房があったので
そこを訪ねる。
突然訪ねたのだがそこの深石先生にいろいろお話を伺うことができた。
数日、日照り続きで木々の水遣りが大変だと先生が話している時に
スコールが・・・
雨脚を見つめる先生もほっとした表情。

           

やはり私は雨女か・・・

工房でいただいた『ワンピ』という果実。庭に生えている木になっている。
ブドウのようだが“ミカン科”だけあって味は柑橘系。ほのかな甘さと香りが爽やかだ。 

  


工房を辞去したのは7時近くになってしまった。
ご飯どきだったのに長居して申し訳ありませんでした<(_ _)>

石垣市街地へ戻る途中、海岸線を走っていると
まだお日様がある・・・(◎◎!)
さすが西の地だ。
そろそろ日の入りなら見晴らしのいいところへ行ってみようと観音崎へ。
岩場に腰掛けて夕日を堪能。

      

そして ジュッ  なんと19:34である。

   


圧巻は日が沈んだ直後の空。神々しいの一言につきる。

   

こうして初日は暮れていった。
 (やっと書き終えられた・・・)

   
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いろいろな乗り物で・・・

2008年07月09日 | 旅紀行
昨晩まで二泊三日日程で石垣島へ行ってきた。
その詳しい様子は後ほどとして
いきなり帰りの様子を・・・

昨日、朝ご飯の後に離島桟橋から“船”で竹富島へ。 

    や  
の写真を撮っていたら・・・

    やっぱりアブナイよね。。。
どうりで近くに座っていたおにいちゃんがジロジロ見てると思った。ヒンシュクでしたw

竹富島では 

またで石垣島へもどる。

そして石垣空港から 那覇へ。
駐機場混雑のため20分ほど待たされなかなか降りられず。

那覇から再び 

関空より『はるか』で京都へ。
誰かが神戸あたりの線路に侵入したとのことでまた遅延。
疲れもたまってきてややムッとしはじめる。。。

そして問題の京都からの在来線
まず、前の人と50センチほどの狭い間隔で並んでいた私の前に
酔っ払ったおじさまが割り込む・・・
ぇっ・・・と思いつつまぁいいかとそのまま電車へ。
すると、隣に立っていたおにーさんがやおら携帯を出したので
メールかな~と思っていたら、どこぞに電話しだした。。。
そして大きな声で『何してんの~?会いたいな~と思ってたんだけどぉ、、、』
などとしゃべっている。(聞こえながら恥ずかしくなってくる)
スーツ姿でしかも酔っている風ではないのだがしゃべり続けて切ろうとする気配はゼロ。
(━_━)ゝウーム・・・中にはいるんだよね~こういう人。。。と思いながら
イライラがつのりだしたところで
さっき割り込んできた酔っ払いのおじさまが隣の同僚とおぼしき人と
“さらに”大声でしゃべりはじめた。。。
会議の進め方やだれかの仕事の仕方などを論じている。

携帯の話声と会議の話声がワンワンと社内に響き、
私はひたすら目をつぶって、
隣のにーちゃんの携帯を取り上げてパタンッ!と閉じる妄想に駆られ続けた。
最寄り駅までの10分を長~~く感じながら
ようやく着いて酔っ払いともデリカシー欠落男ともサヨナラ 

極め付けに京都駅からの差額を払おうとした際、『270円です。』・・・ 
『えっ????? なんでそんな金額なの?』(その駅から京都駅までは180円)
と聞くと
『はるかからの乗車ではエリアの都合で差額がそうなるのです。』
とのたまう。
どうもJRの乗車運賃のエリアというものがあるらしい。
鉄道マニアでもないのでそういう隙間の問題はあまりつっこみたくないが
それにしてもどう考えてもおかしいように思う。
一連のイライラから納得いかなさ度が200%なのだが
駅員さんがひたすら恐縮して頭を下げているので気の毒になってしまい
270円を払う。
ため息をつきながら駅を出てタクシーを拾う。
もう何も起こらないでくれ~~と願いながら。


行き先を告げて道順などを言うと
タクシーの運転手さんが

『オモローー!!』(世界のナベアツ風)と言った








ように聞こえた・・・

ぁ・・・『御室』って言ったのね。。。。。。。。

肩を揺らして笑いをこらえながら力が抜けていったw





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鹿児島!

2007年12月05日 | 旅紀行
鹿児島へ行った。
航空会社のキャンペーンのツアーとして行けたので格安
空港バスを降りると指宿からの農産物の朝市

   
 いきなりのサツマイモで鹿児島へ来た実感がw


仕事は初日にほぼすませ、夕方ホテルへ。
その際に見えた桜島。

     

実はこの数分前はオーストラリアのエアーズロックの有名な姿のような(実際には見たことないガw)
赤々と夕日を受けた見事な雄姿だった。
チェックインの際の手続きや部屋での説明を聞くのももどかしく
展望ロビーへ上がったのだが既にお日様が沈んでいた

翌日はささっと市内観光でもと思ったがバスや市電ではもどかしい。
そしてひらめいた
坂が少ないのでがよさげ

かくしてホテルでレンタル 
甲突川沿いに駅の方へ。
西郷隆盛・従道誕生の地(石の塔のみ)から
まず一つ目の銅像大久保利通〔1830年9月26日(文政13年8月10日)~1878年(明治11年)5月14日〕の像。

      
西郷隆盛・木戸孝允とで維新の三傑と言われ、倒幕・明治維新に絶大な功があり、
明治の政治に重きを為した勤皇志士出身の政治家の一人。

      

次に通りかかったのが『薩摩義士の墓』。大中寺の中にある。
初めはここは戊辰戦争などの戦いで命を落とした人達のお墓かと思っていたら
全然違った

   

 『薩摩義士』とは
  宝暦3年(1753)「徳川幕府」が洪水や悪水停滞で困窮している
  木曽・長艮・揖斐三川流域の住民救済のため、大規模な治水工事を計画し、
  薩摩藩にお手伝い普請を命じた際に赴いた藩士達のことである。
  藩は平田靭負(ひらたゆきえ)を総奉行として派遣。
  一年三ヶ月を要して完成したが、難工事に加え幕吏や地域住民との対立、
  悪疫の流行などにより、平田靭負を始め切腹した者五十四名、
  病死した者など三十四名という数多くの犠牲者をだした。 

  
 
・・・とのこと。(右:平田靭負)
・・・(-_-)ウーム・・・


            

次は方向を変えて「ザビエル滞鹿記念碑」
そう。スペイン人宣教師フランシスコ・ザビエル。

  

1549年8月15日、ザビエルが鹿児島へ上陸。
  布教のために出帆した先のマラッカ(現マレーシア)で、若い薩摩人ヤジロウに出会い、
  ヤジロウはザビエルの案内人として日本へ伴った。
  1551年ザビエルがゴアに戻るまでに、なんと500人の日本人のクリスチャンが誕生しているとのこと。
  ザビエルはその翌年の暮れ、その後の日本におけるキリスト教の弾圧を知らずに亡くなっている。。。

             

そして城山にある『照国神社』。島津斉彬(↓右)が主祭神。

 

2008年のNHK大河で登場する「篤姫」は1853年にこの斉彬の養女になり、
  鹿児島を後にして江戸に入る。その後近衛家養女となり13代将軍家定の御台所に。
  家定にとっては3人目の奥さん。前の二人は病死で3人目は健康な女性をと
  篤姫に白羽の矢がw
  しかし結婚生活も1年半ほどで今度は家定死去・・・

照国神社境内にはほかに島津忠義・島津久光の銅像も。

  


左:島津久光は幕末の薩摩藩における事実上の最高権力者。
   島津斉彬の異母弟。
  右:島津忠義は久光の長男。10代当主斉彬の遺言で11代当主に。


               

それから鹿児島城跡に立つ『黎明館』へ。

 

    ↑けっこう時間かけて見学

ここまででを借りてから約2時間半。
黎明館見学でやや疲労してホテルへ帰ることに。

いつも乗っている自分の自転車よりサドルの位置が低く調節できなかった為(硬くて動かず)
ホテルへ着くとかなりのダメージ・・・*o_ _)o
エントランスのスロープを押していたら
パーン

・・・・・・・・タイヤがパンクした・・・
着いてからでよかった・・・・ε~( ̄、 ̄;)ゞフー

そしてお腹がすいたので仕事先近くで・・・

  

 黒づくしの鹿児島。ラーメンも黒いw
    (最後はやっぱり食べ物)



コメント (2)
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