~上原正稔vs琉球新報の戦い~ 4
ところが、その日闘志満々のぼくにもう一つ水をぶっかける事件が起きたのだ。 次回に予定されている証人尋問の重要証人である前泊博盛の証人申請を被告弁護士側が撤回したのである。 ぼくは大田昌秀に負けず劣らず嘘つきの前泊をやっつけてやるぞ、と意気込んでいたから、これにはガッカリした。 「沖縄をダメにした百人3」で記したが、前泊は「偽造文書」を作り、「上原は新資料だけを使う」という執筆契約をしたと述べていた。 2006年連載の「戦争を生き残った者の記録」、そして2007年~2008年8月の「パンドラの箱を開ける時」には池間聡、前泊博盛、玉城常邦、名城知二朗の四人の連載担当記者が関わっているが、彼らの仕事はぼくの秘書屋比久君から送られたメール原稿や写真を琉球新報夕刊のワクに張り付けるだけであり、彼らとは契約を交わすことは断じてない。 (ここで明示しておくが、池間と玉城とは仲良く仕事ができたことに感謝している。)そもそも新聞の連載について文書で契約を交わすなどということはなく、話し合いであっさりと決まるものだ。 短い連載については文化部の部員との話し合いで”軽く”決まるし、ちょっと長い場合は文化部長との間で、”あっさり”決まるものだ。 そこには”契約”という堅苦しいものは全くない。 それでも、口に出すこともないが、ぼくに著作権があることは当然であり、常識なのだ。
ぼくは醜い戦争の物語の中に最も美しい物語が隠されている”人間賛歌”を謳ってきた。 上原正稔という作家を新聞社内で唯一、理解し、高く評価してくれたK編集長の依頼で長期連載が始まったものであり、彼とはウチナー口で話せる親友だ。 だからぼくは裁判所に提出した文書の中でも”K”と記し、彼を表に出して辛い思いをさせてはならぬように気を配った。だが、いつか、Kの名を明かす時が来るだろう。
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