上原正稔日記

ドキュメンタリー作家の上原正稔(しょうねん)が綴る日記です。
この日記はドキュメンタリーでフィクションではありません。

沖縄をダメにした百人 36

2013-03-30 09:20:36 | 沖縄をダメにした百人

前回の続き

~1フィート運動騒動記~ 20-2

 3月16日の琉球新報は社会面で「1フィートの会解散」を白々しい嘘で飾り立てる一方で、「100人委員会19日発足 ─大学人ら沖縄問題解決目指す」ことを小さく報じた。 会の発足に向け、大田昌秀元知事、石原昌家上里賢一比屋根照夫高良鉄美照屋寛之名誉教授の肩書き持つ者や候補者らが名前を連ねている。

 ぼくはオヤッと思った。 かつて何を成したのか、はっきりしないまま、消えてしまった「平和100人委員会」を思い出したからだ。 今回はぼくがいつも「人間のクズだ」と呼んで軽蔑している大田昌秀が仕切っていることは明らかだ。 彼は閑古鳥が鳴いている大田平和総合研究所を改名して国際平和研究所にしたが、それでも相変わらずガラガラだ。 彼が自分の研究所を存続させる唯一の目的であることは一目瞭然だ。 大学の教授、名誉教授というロクでもない肩書きを振り回すのは学校内でしてくれればよい。 大学の先生は社会の先生ではないことを自覚すべきだが、そんなまともな人間は教授あるいは名誉教授には一人もいない。

 3月20日の琉球新報は「平和創造へ英知結集 ─100人委員会発足」と報じたが、3月19日大田昌秀沖縄国際平和研究所に集まっていたのは、大田昌秀石原昌家上里賢一比屋根照夫高良鉄美の5人と身元不明の女性4人だけであり、この100人委員会が1フィート運動を潰した福地曠昭中村文子が負け惜しみで言う「発展的解消」を遂げるのは目に見えている。

 発足人のメンバーを見ると、ぼくがよく言うように大田昌秀は「沖縄の政治と文化をダメにした男」であり、石原昌家大田が上原正稔から奪い取った「沖縄戦メモリアル」を改名した「平和の礎」建設委員会の代表を嬉々として受け、大田に頭が上がらない「ダメ人間」であり、しかも安仁屋政昭と2人で強制集団死という言葉を発明し、悦に入り、沖縄タイムス琉球新報が無批判にその言葉を乱用している始末だ。 比屋根照夫は1フィート運動と関係ないということで、ぼくが選んだ「沖縄戦メモリアル」委員会のメンバーだったが、大田昌秀知事から上原のメモリアル委員会から手を引けと言われて、手を引いた情けない男だ。 一度、ぼくが道で会った比屋根に「君は恥ずかしくないのか」と怒鳴りつけると、顔を真っ赤にして逃げていった。 時々、沖縄県公文書館でぼくの姿を見ると、知らぬふりをして逃げていく。 そんな「ぐうたら人間だ。 高良鉄美はいつもボロ雑巾を頭に巻いているまよなかしんやと同じく、いつも帽子をかぶって離さない。 帽子100個集めることを人生の目標にでもしているのだろう。 「沖縄の平和創造と人間の尊厳の回復を求める100人委員会」より意味があるだろう。


つづく


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