今、このブログを見ている者は皆、昨年の暮れぼくが一フィート運動解散記者会見の席に乗り込んで、福地曠昭、新崎盛暉、石川元平、まよなかしんやら人間のクズどもがぼくが創り上げた一フィート運動を乗っ取って潰してしまったことを暴露したことを知っているに違いない。その場面はインターネットで動画で公開したのであっという間に全世界に広がったが、記者会見現場に押し寄せていた20数人の記者らは誰一人それを報道しなかったことも知っているはずだ。これが今の表向きのマスコミの実態だ。「沖縄をダメににした百人」はまだ半分も真実を伝えてきれていない。つまり、まだまだ続くのだが、今日はぼくが「集団自決」とどのように関わってきたのか伝えよう。
ぼくは84年4月アメリカに出張し、一フィート運動のフィルム12本を入手し、5月に那覇市民会館で大々的に上映会を催したが、ぼくがアメリカで入手したのは単にフィルムだけでなかった。戦時中の新聞やG2戦時資料も大量に入手していた。ぼくが一フィートを乗っ取られた具体的な経緯は後に「沖縄をダメにした百人」に記すことにするが、乗っ取られてからぼくはその資料を沖縄タイムスの編集長に見せると、ぜひ沖縄タイムスで連載してくれということになった。
ぼくは85年冒頭から「沖縄戦日誌」というタイトルで連載を開始した。その中でニューヨークタイムズの伝える渡嘉敷の集団自決の目撃証言がぼくと「集団自決」の関わりの始まりだった。第77歩兵師団のアレクサンダー・ロバーツ軍曹が伝える「集団自決の目撃証言」は実に衝撃的なものだった。だが、ぼくがその時、気付かなかったことがある。「救出されて食事を取っている住民の中にこれも救出された数人の日本兵が入ってくると、住民は怒って彼らをなぐり殺そうとした」というのだ。後になって分かったのだが、実は”日本兵”とは”防衛隊員”であり、アメリカ兵は日本兵と防衛隊員の区別がつかず、記事は「Japanese soldiers」と記していたので、ぼくはそのまま「日本兵」と訳してしまったのだ。後に判明したところでは渡嘉敷島には70名の防衛隊員がいたのだ。また、そのニューヨークタイムズの記事にはジョン・エバンス伍長の腕に抱かれた小っちゃな少女はその時は全く知らなかったが、その後「赤松嘉次戦隊長は集団自決命令を出していない。実に立派な人だ。」とぼくに教えてくれた渡嘉敷の金城武則さんの奥さんだったのだ。金城武則さんは渡嘉敷島の集団自決についてその全容を知る唯一の信頼できる証人だ。金城武則さんも裁判でぼくが勝利するXデーには心から喜んでくれるだろう。
7月29日(月)午後1時10分に
福岡高等裁判所那覇支部にて判決が出ます。
徳永弁護士も手弁当で支援して下さっていますが、
打ち合わせ等をするにも交通費等の出費を無視できません。
カンパは支援している三善会にお願いします。
ぼくを応援してくれている皆さんに心より感謝申し上げます。
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