ある人から聞いたことだが、あるテレビのバラエティ番組で瞑想が紹介されたようだ。
その番組では、瞑想の効用を脳科学的に説明していたらしい。前頭葉の働きを休め、海馬の機能を高めるとか。
しかしその脳科学的裏付けよりも、そういう視点から瞑想を捉えるということが私にとっては衝撃だった。
私は最初から、「あなたは教祖になりたいんでしょ」と人の運命を予言したり、霊魂や神様の話を当然のように平然と語る、そういう世界を信じられない人が信じられないと語る人々に囲まれて生きてきた。
だから、脳科学を語りそれに納得する人たちのほうに異界性を感じ、霊界を語る人たちのほうに同界性を感じる。
しかし私も少しはその異界の人々に馴染んできたから、そういう情報が入ってきたのだろう。
霊性、いや冷静になって考えてみれば、世間のフツーの社会人がこころの安定を求めて瞑想をしようという時に、何も霊魂や神様の話を持ち出さなくとも用は足りる。
ということで、この脳科学の理論を支持します。
ところで私が勧めるフツーの人向けの瞑想は
正座をし、背骨を床から垂直に立て、手のひらは腿の付け根に置き、目を閉じて意識を鼻先に集注して呼吸を数えること30。
これで充分です。ともかくこれを毎日あるいは週2回は行いましょう。
瞑想は反省ではありません。
何も考えず想わず、感じる、あるいは見つめることです。
何かの問題解決にも役立ちますが、役立たないかもしれません。でも結果に関わらず続けると何かが変わってきます。
さらに瞑想の対象はいろいろあります。
芸術にも科学にも、スポーツにも。
それはその行為に無心に身を入れて取り組むことです。
そこからいろいろな気づき、発見、発明が生まれます。
さらには、関係性に活用もできます。それは関わる相手をただ見つめ、受け容れ、感じることです。
その番組では、瞑想の効用を脳科学的に説明していたらしい。前頭葉の働きを休め、海馬の機能を高めるとか。
しかしその脳科学的裏付けよりも、そういう視点から瞑想を捉えるということが私にとっては衝撃だった。
私は最初から、「あなたは教祖になりたいんでしょ」と人の運命を予言したり、霊魂や神様の話を当然のように平然と語る、そういう世界を信じられない人が信じられないと語る人々に囲まれて生きてきた。
だから、脳科学を語りそれに納得する人たちのほうに異界性を感じ、霊界を語る人たちのほうに同界性を感じる。
しかし私も少しはその異界の人々に馴染んできたから、そういう情報が入ってきたのだろう。
霊性、いや冷静になって考えてみれば、世間のフツーの社会人がこころの安定を求めて瞑想をしようという時に、何も霊魂や神様の話を持ち出さなくとも用は足りる。
ということで、この脳科学の理論を支持します。
ところで私が勧めるフツーの人向けの瞑想は
正座をし、背骨を床から垂直に立て、手のひらは腿の付け根に置き、目を閉じて意識を鼻先に集注して呼吸を数えること30。
これで充分です。ともかくこれを毎日あるいは週2回は行いましょう。
瞑想は反省ではありません。
何も考えず想わず、感じる、あるいは見つめることです。
何かの問題解決にも役立ちますが、役立たないかもしれません。でも結果に関わらず続けると何かが変わってきます。
さらに瞑想の対象はいろいろあります。
芸術にも科学にも、スポーツにも。
それはその行為に無心に身を入れて取り組むことです。
そこからいろいろな気づき、発見、発明が生まれます。
さらには、関係性に活用もできます。それは関わる相手をただ見つめ、受け容れ、感じることです。