時折、人が歩いている後ろ姿を観察する。
歩く姿、身体動作には、人それぞれいろいろ癖がある。
尻を振って歩く人、足を投げ出すように歩く人、腕を大きく振って歩く人など。
しかしそれはすべて無自覚のうちに行われているから、そこを指摘されればみんな驚く。
その歩く姿には、その時の生理的状態から心理状態まで、いろいろなものが表現されている。
歩くことそのものが身体表現であると言える。
だから歩く姿にその人の素顔が現れている。
その無自覚な歩く姿を自覚することは、自分を知る第一歩となる。
歩く癖に気づき、敢えてその癖を強調して歩くと、自然と身体動作に変化が起こり、歩き方が変わる。
歩き方が変わるということは、背骨や骨盤が矯正されることになる。
もちろんそれは身体の表層においてであるが。
もう一つに、人それぞれの癖の中にある共通した特徴が見られる。
それは身体の表層を動かしているということ。
その癖は、目に見える、耳に聞こえる、五感に具体的に捉えられる物理的現象に影響されているということ。
そこに気づき、身体の深層(インナーマッスル)を動かして歩くことを修練すると、目に見えない、耳に聞こえない、五感で捉えられないものに感性が開く。
能の基本動作である「すり足」にはその意味がある。
まずは、歩く姿の自覚から始めてみよう。
歩く姿、身体動作には、人それぞれいろいろ癖がある。
尻を振って歩く人、足を投げ出すように歩く人、腕を大きく振って歩く人など。
しかしそれはすべて無自覚のうちに行われているから、そこを指摘されればみんな驚く。
その歩く姿には、その時の生理的状態から心理状態まで、いろいろなものが表現されている。
歩くことそのものが身体表現であると言える。
だから歩く姿にその人の素顔が現れている。
その無自覚な歩く姿を自覚することは、自分を知る第一歩となる。
歩く癖に気づき、敢えてその癖を強調して歩くと、自然と身体動作に変化が起こり、歩き方が変わる。
歩き方が変わるということは、背骨や骨盤が矯正されることになる。
もちろんそれは身体の表層においてであるが。
もう一つに、人それぞれの癖の中にある共通した特徴が見られる。
それは身体の表層を動かしているということ。
その癖は、目に見える、耳に聞こえる、五感に具体的に捉えられる物理的現象に影響されているということ。
そこに気づき、身体の深層(インナーマッスル)を動かして歩くことを修練すると、目に見えない、耳に聞こえない、五感で捉えられないものに感性が開く。
能の基本動作である「すり足」にはその意味がある。
まずは、歩く姿の自覚から始めてみよう。