気まぐれ日記

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色々な木工作品の紹介やの取り組み
教育の意見や考え

思い出6

2017-03-28 10:13:47 | 日記

中学であのような状態だったので、最初からつまらなく期待はずれですぐに勉強がいやになってしまいました。クラブも無線や電気のようなのはないので、仕方なく長距離走が得意だったので、陸上部に入りましたが1年ほどで行かなくなり、時々絵画クラブに顔を出すくらいでした。このころ高校の近くに自衛隊の駐屯基地があり時々近くの道を小さな戦車と歩兵隊員が武装して行進していました。 町の中を堂々と行くのですからびっくりです。そのころ道は地道ですが地響きがしてすぐわかります。授業そっちのけで見ていました。僕の印象ではこんな立派な戦車でなくもっと小さなものだったと思います。 実際はもっとしょぼくれて見えました。この時面白くない高校を辞めて自衛隊に入ろうかと思っていたのですが、やめました。しかし、友達が駐屯地の近くに住んでいたのでそこに遊びに行きよく学校をサボるようになりました。さぼって駐屯地に入り込み小銃や機関銃の薬きょうや弾を探し集めて業者に売るのです。どうやら収集家に売るみたいです。 この当時は撃ちっぱなしで後の弾などは集めていませんでした。戦車も時々撃っていました。さすがに薬莢は回収してましたが、弾は僕らのものでした。もちろん夜中に浸入します。 友達の家は工場を経営してましたが倒産し兄弟ともに自衛隊に入りました。僕はとうとう出席日数が足らず落第になりました。でも、あのみすぼらしい自衛隊に行こうとはもう思いませんでした。親父に言われてもう一度同じ学年になり屈辱的でしたがそのおかげでがんばり大学に受かりました。今から思うと誰もあまり経験しないことです。同じような成績の子は一ランク下の高校へ編入していきました。大学ではESSクラブと言う英語クラブに入り、今度は講義そっちのけで英語漬けになってしまいました。先輩に巣恋イングリッシュな人がいて憧れそれ以上になろうとしましたが、僕が学んだのはアメリカンでした。後でわかったのですがアメリカンは田舎英語と評価されるのです。でも、僕がくっ付いてた牧師はアメリカ人だったのでしょうがないです。ちなみに、英語のために僕はクリスチャンになりました.

 1年の時のエピソードです。まだたいして英語会話が出来ないのに無謀にも3人で京都に外人をナンパしようと言うのです。この当時観光客自身少ないので若い外人の女性を探すだけで大変なのにです。僕は無知でした。外人はみんな英語がしゃべれると思っていたのです。引っ掛けても英語が通じません。びっくりしました。一緒に始めた勇敢な友達がなんと彼女を見つけみんなに紹介してくれたのです。なんとドイツの人でした。ドイツ語なんかわからないのにすごいです。その彼女は今その彼の奥さんになっています。その上その彼女はドイツのシーメンスと言う大きな会社の重役の娘だったのです。彼は今もドイツに住みその会社の重役になっています。この前東洋支配人の肩書きで帰ってきてまたびっくりでした。本当に世の中、分らないものです。

そして、大学4年のとき大阪万博がありそこの通訳として活動することになりますが、この話は次回です。四日ほど留守にします。


思い出5

2017-03-27 09:25:58 | 日記

小学校の時の修学旅行は強烈な思い出になったのですが今思うと教師になって判ったことですが、当時どうやら学校(校長)と業者(旅館・お土産業者)が相当癒着していたようです。ですから中止ができなかったのでしょう。今ではやはり考えられないことです。

 さて中学校ですが、一番の思い出はクラブです。クラブは)電気クラブと言う変なクラブです。担当の先生が元通信兵で無線機に詳しく1級の無線免許を持っていて1000ワットの出力で海外と通信するのです。ものすごく憧れて無線機にのめりこみました。  こんな設備が中学校にあったのです。これも考えられないことです。最初は3球ラジオを作りました。トランスやコイルなど手作りで 放課後遅くまでみんなで作っていました。初めて作った無線機もこんな感じでした。それでも数百メートル届いて大感激でした。当然、理数系ばかりが面白く、すでに微分積分など高等数学をクラブ員はマスターしていて無線機の原理や設計が出来ました。僕はその後無線機でなくオーディオに興味を持ちステレオばかり作ることになるのですがどちらにしてもお金のかかることで、中学生で新聞配りをして部品を日本橋まであの自転車で何時間もかけて買いに行ってました。本当に今は便利な時代です。ネットで安く座っていて手に入るのです。この苦労はもう味あうことはありません。便利な世の中が良いか悪いか微妙です。

 ちなみにこの時のクラブ員達はみな一流国立大学の工学部に行きました。僕は高校まではなんとか1.5流に行きましたが、高校の勉強があまりにもつまらなく離脱してしまいました。今思うと一流高校へ行けばよかった。その高校ではトップに近い成績で入学できたのですから?しかしこの離脱が僕にとって後でたいへん有意義なものになりました。後で話します。人生何が幸いするか本当にわからないものです。次回は高校の話です。


思い出4

2017-03-26 18:59:44 | 日記

小学5年になれば急激に世の中が豊かになってきました。我が家も水道に続きガスが来て風呂焚きもなくなりました。 冷蔵庫にはびっくりしました。氷は凍り屋さんで買うものだったのです。テレビも近所に見せてもらいに行きました。当時は野球と相撲しか放送してなかったのですが、我が家にテレビが来たときには鉄腕アトムとか鉄人28号などのアニメもありテレビにかじりついていたのを思い出します。 それまではラジオで漫才やお話を聞くのが娯楽でした。 こんなラジオで今でも残っています。6年になってなぜか台風のことを思い出します。第二室戸台風です。家の屋根が飛びみんなで裏の茶畑に避難したことです。家がこのようになり生きた心地はしませんでした。続いて伊勢湾台風です。これも強烈でした。 学校が飛んだのです。信じられないことでしたが偶然古くて取り壊しの予定でしたので教室は無事で勉強は出来たのですがびっくりしました。伊勢がえらい事になっているのになんと伊勢の修学旅行は延期しただけで行きました。当然ですが鉄道は途中から切れているので歩かされました。 今では考えられないことです。やっと伊勢についても悲惨な光景を見るだけで台風の爪あと見学のようでした。 付いたときは片付けられ境内はスカスカでものすごく明るいのです。 旅館は板で応急修理され板で覆われ暗かったのを覚えています。無謀な修学旅行でしたが思い出として強く残っています。次回は中学です。


思い出3

2017-03-25 09:59:33 | 日記

小学4年以降の思い出は、なぜか「死」に関するものが多いのです。それまでもたくさんの「死」に出会っていたのですが?ほとんどが食べるための死でした。ザリガニ、小魚、時にはウナギです。こんなこともありました。暮れになると近所のお百姓さん宅で飼っていた鶏をつぶすのですが首を「ちょん」と切って吊るすのです。それを解体しおすそ分けに預かるので、その光景はよだれが出るのです。 また話は逸れるのですが、今の子供たちには到底経験できないことでしょう。ザリガニ捕りや魚獲りは遊びで食べないのですから。ブロイラーも工場で処理されスパー売られか、から揚げで見るだけです。鶏を食べているとは絶対に思いません。生きるために他の動物の「死」があると感じません。「生命を大切に」といくら「道徳」で習っても実感は無いのです。

4年のとき近所の小さい子供が行方不明になり村中で探し回ったのです。ところがその家の井戸から見つかりました。その子の遺体を目の当たりにしてものすごくショックでした。ついさっきまで一緒に遊んで騒いでいたのに白い小さな人の塊になっていたのです。「死」に対する「恐怖」とも「恐れ」とも言えないもので、しばらく「夢」に出てきました。そのころは人の死は間近なものでした。町では「赤痢」や「チフス」などの病気で子供がよく死にました。学校でも子供同士の噂でだれだれが赤痢で死んだとか聞きました。 しかもこのころの葬式は寝棺でなく桶棺でした。 死体をもろに折り曲げ入れるので死ねばこんなふうになるんだと思ったものです。

その上土葬ですから余計です。今のようにきれいな葬式ではありません。今では目に触れるのはきれいな死に顔とお骨拾いだけです。なかなか「死」を実感できなくなってきました。葬儀はまるで画一された儀式とラインにのって処理されるだけです。もうほとんど子供たちには実感できなくなってきました。死を直接見るとしたらもう「事故」しかないのでしょうか・・・そのころ僕は「死」を強く意識できるようになったと思います。「死」と「生」は裏表です。死を実感しない限り生の意識は生まれません。この時代は否応なしに意識できたのです。ちょうど家にも水道が来ました。 やっと水汲みから開放され、その上食料事情は良くなり「食料集め」はしなくて良くなりました。

 父がどこからか古い自転車を貰ってきました。これよりもっと無骨で配達用でした。このように斜め乗りをしてました。次回はこの自転車で行動範囲が広がった話です。


思い出2

2017-03-24 12:50:27 | 日記

 僕は戦後すぐ生まれで俗に言う団塊の世代です。ですから小学校のときは食糧難の時代でした。周りもみんな貧乏で食うに困っていました。住んでいた村は西野新田と言い裕福な農家は少なくみんな渇渇でした。僕の家庭はお婆ちゃんが二人もいて兄弟も多く8人で父は公務員でしたのでそのままでは餓死しそうでした。この当時の公務員は薄給でした。僕は長男でしたので食料集めや家の手伝いを率先してするよう命じられていました。井戸から水汲みをして五右衛門ふろを沸かすのが第一の役目です。 井戸から離れの風呂まで20mぐらいを何十回も往復するのです。それも毎日遊び疲れてからの手伝いで辛かった思い出の一つです。時々食料集めに行きます。家の近くの狭山池から流れる西除川にザリガニを捕まえに行くのです。 これは市販されている「もんどり」と言うものですが金網と竹を使って作ってもらったのを夕方沈めておくのです。えさはカエルを捕まえ足をちぎって縛っておきます。そうすると次の朝ザリガニが大量に入っているのです。調子がよければ数百匹です。それを持って帰るとお婆ちゃんが茹でてこんなふうに真っ赤になったのを剥いて身をほぐして醤油で煮て食べました。信じられないでしょうがすごく美味しいのです。ブラックタイガーより美味しいかも。小さなえびや魚はこう言うガラスの「もんどり」で採ります。 面白いようにとれるのです。それも醤油炊きで食べました当時の貴重な蛋白源で僕が一番ポイントを知っていて自慢してのを覚えています。この思い出は楽しかった。ちなみに狭山池は当時競艇場だったのです。 これも今では不思議なことです。すぐに廃止され4年生では放置されたボートを池に出して遊んでいたのを思い出します。このボートを使って菱採り をしていて池にはまり足に菱が絡みつき溺れかかったのです。もう死ぬかと思っていたところ反対に潜ったら抜け出せました。友達は悪ふざけと思ってたそうです。こんなのも食べていたのです。それと今は登美男丘高校になっている場所は西野の山と言って山だったのです。そこでは秋になるとマツタケがたくさん採れました。 またこの山では近所のガキ集団でウサギ追いをして罠に追い込み捕まえたこともありました。ウサギは料理され大人の口に子供は飴だけでした。そばを通ったのですが、考えられないくらい変わっていました。半世紀もたてば様変わりするものです。


思い出1(60年前の話から)

2017-03-23 09:40:27 | 日記

 今までの話は30年前からの仕事の話からでした。これからはそのもっと前の60年前からの話です。それが終わってから、趣味や興味からの話にします。

 僕の小学校のときからです。その当時北野田に住んでいました。堺市東区ですがそのころは南河内郡西野でした。今では考えられないほど田舎でした。なんしろ北野田駅には蒸気機関車が貨物を運んでいました。 電車は木で出来ていて 乗降口は階段でした。スピードも自転車並みで時々動かなくなるのです。北野田の駅前はそのころ墓地で沼の様なところに 墓があり当時土葬でした 小学校のころよく肝試しに行ったのです。ちょうど「人魂」を見たのもこの場所です。 お墓は人だけでなく動物の死体も放棄されていました。本当に人魂は同時多発的に発生するのです。結構きれいなもので、恐怖より見とれていたのを思い出します。今はその上に大きなマンションが出来ていますが、あまり評判はよくありません。やはり出ると言う噂です。 それと反対側の野田側は野田城跡があります。 ここは南北朝時代南朝の楠木側でした。それで足利側に攻撃され逃げ遅れた村人が300人磔にされたとのことです。近くの富士車輌と言う電車や軍事車両を作っていた工場があったのですが、その防空壕によく遊びに行ったのですが,後でそのトンネルは野田城跡につながっていたと聞きました。北野田の歴史は結構強烈だったのです。また、この工場ですが子供のころの遊び場の一つでしたが、タイヤの付いた戦車のようなガラクタでがあったのですが、大人たちは爆撃と機関銃でやられたと言ってました。戦争末期には駅と工場が狙われ大勢死んだそうです。駅の近くにコンクリートの四角い窓のない大きな建物がありそれも遊び場でしたがやはりそれも戦争の遺物でした。



本能3(DNA遺伝子の不思議)

2017-03-22 16:33:52 | 日記

DNAの話からです。以前にも少し触れましたが、DNAは未だによくわかっていません。構造は解明できましたが、起源などは諸説あり生命の起源や不思議と同一のことで解明は難しいでしょう。 僕は宇宙起源説を指示します。地球にたどり着いたDNAが元でここまで繁殖拡大したと思っています。理由は地球上のDNAは同じ構造と起源を持っているからです。もし、地球上で発生したならもっと色々なDNAがあってもいいわけです。ですから、この宇宙からのDNAは頑丈で順応性がすごいし繁殖力が旺盛で拡散が究極の目的になるのです。こう考えると、宇宙は生命で満ちていると思うのです。 このDNAは時々不思議なことを行います。もちろん目的のためですが、思いっ切り雑多に色々な種を作り出します。カンブリア紀と言う数億年前の地球では 進化と言えるようなものでなく訳のわからない生物に満ちているのです。この中から生き残ったものが進化の道に乗れるのです。DNAは突然このような不合理なことをするのです。「数打ち当たる」のやり方です。

 前置きが長くなりましたが、我々の脳の中でこのような事が起こったようです。多分、進化を待っていられなくなったのではないでしょう。このままでは恐竜の脳が人類の破滅を招くかもと危機感を持ったのかもしれません。ちょうど500年前ぐらい前からです。自閉症スペクトラムとかADHDなどの発達障害が見られるようになります。近年では6.4パーセントもいてるのです。脳のカンブリア紀です。DNAは脳の欠陥を一挙に解決しようとしたのかもしれません。特に自閉症では脳幹辺縁系を抑える働きが見られます。喜怒哀楽が乏しいのです。自閉症の人はパニックになって暴れることがあっても、攻撃をしません。アメリカのある研究者がそう言ってます。僕もそれを強く感じます。しかし、反対に社会性が損なわれてしまいました。ADHDや自閉症の周辺はたくさんのタイプがあり一人ひとり違うほどです。中には天才的なケースもあります。特別な能力を持った人もいます。サヴァン症候群と言われる人たちでコンピュータ以上の能力の人もいます。残念ながら「天才と紙一重」と言われるように、やはり社会性に問題があるのです。カンブリア紀と同じように生き残れるケースは少ないでしょう。成功すれば、恐竜の脳を押さえ込むことが出来るでしょう。多分数世紀以上かかるでしょう。どんな人が生き残るのでしょう?新人類が出現するまで地球がもてばいいのですが・・・  臨死体験から宗教教育と止めどもなく話してきましたが、そろそろ種切れです。次から僕の趣味を中心に書いていきます。


本能(2)

2017-03-21 09:24:30 | 日記

本能はこのような歴史を持っているのですが、人類は少し特別です。人類は殺さなくてもよいのに殺します。自然の摂理に反しているのです。他の動物は生きるために殺戮しますが、人類は快感や欲に拠ってでも殺戮します。この欲と快感は人類特有のものです。主に前頭葉(おでこ)から来ます。元々「創造」の原動力なのですが、コントロールが難しいので暴走しがちです。そのため大量殺戮や富や権力の巨大化が現在も過去も絶えないのです。したがって地上最強であって、もっとも残酷な動物と言えます。しかし、1万年前までは人類も他の動物と同じように自然の摂理に従っていたのですが、どこかで道がずれていったようです。もちろんこのことは人類も気づき何とかしようと試みます。それが芸術やスポーツです。宗教もそうです。ちょうど時期が重なるのです。スポーツは闘争心の昇華としての模擬戦闘のようなスポーツです。現代人がみたら気絶するでしょう。芸術は欲を昇華しようと絵や音楽に投影したようです。「欲」は食欲、性欲、睡眠、征服、など当時でも多くあり厄介なものだったようです。現在はもっと複雑ですが?「宗教」はもっと積極的にこの衝動を押さえ込もうと試みたものです。「禁欲」や「解脱」はその表れの一つです。しかし、未だに成功していません。ますます酷くなるように感じます。

 なぜか?考えたのですが、もう一つ人類は厄介なものを持っています。それは「恐怖」です。恐怖は全動物に共通ですが、人間は長い間「非捕食者」だったのです。すぐに追い詰められ食べられてしまったでしょう。他の動物は「恐怖」を感じれば,逃げ出します。追い詰められれば攻撃に出ます。「窮鼠猫をかむ」の例えですが,人間はその暇もなく攻撃の態勢に出なければ生きれません。そのため「恐怖」がそのまま攻撃に繋がったのでしょう。人間は「恐怖」で大量のアドレナリンを出すように出来ているのがその証拠です。アドレナリンは攻撃物質とも猛毒とも言われています。恐怖に対し過剰反応をするのが人間なのです。 「恐怖」の前では宗教も芸術もスポーツもすべてが無力です。現在の世界情勢もこの「恐怖」に支配されつつあります。恐怖を煽る大統領や独裁者、過激派など人類が1万年かけて工夫してきた試みを破壊しようとしているのです。人間の脳はこのように未完成でいびつなのです。 この脳自身が自ら改善しようと試みていることがあります。次回はそれをお話します。

 


本能について(1)

2017-03-20 11:01:46 | 日記

 本能は人類が何億年も欠けて積み重ねてきた能力です。生まれながらに持っているもので、年齢と環境で起動するものもあります。生きるうえで絶対必要なものばかりです。ですから人間の行動を根底から支配しているのです。よく人間はDNAによって決定されていると言われる訳です。この「本能」の理解ぬきでは子供を含め全ての人間の行動を理解できません。もちろん問題や障害もです。

始めに脳の成り立ちからです。脳は数億年前はただのマカロニのようなものだったようです。

 それが魚類になりやっと脳幹が発達します。このときに獲得した能力は多くの「本能」になっています。例えば「食欲」などの基本的なものです。次に爬虫類になり脳幹辺縁系(脳幹の上の部分で中脳にあたる部分)が発達します。下の図では視床に当たります。この部分は感情や情動、記憶など種族保存自己防衛、闘争に関わる部分で人間では「喜怒哀楽」を支配しています。爬虫類も喜怒は存在すると言われてます。

  最近では恐竜の実体が解明されて怒ったり笑いはしませんが喜んだりの痕跡が見つかっています。闘争本能や子育て本能などが出来たようです。 次に哺乳類です。この時期に大脳が発達します。大脳は社会性(集団性)に大きく関わった部分です。 母性や愛情など「哀楽」にまで発展するのです。

 このように脳は数億年かけ上へ上へと積み重なっていくように発達していきます実際は発生時点で大脳までの道は用意されていました。ですから肥大化のほうが正しいのですが。そして人類です。人類は前頭葉(おでこ)の部分を発達させました。この部分は「創造」の脳と言われています。

 この脳のおかげで現在の科学や芸術、創造物が出来ました。地球上のあらゆる人工物はこの脳が作り出したのです。

 しかし、人間は魚類、恐竜、哺乳類など全ての脳を抱き込んだ状態です。我々は恐竜の脳も持っているのです。まだ恐竜の方がましでもっと凶暴な爬虫類(亀や蛇)だったころのもあるのです。爬虫類はなんでも動くものを捕食します。人間は満腹でも食べものを採ります。地球上から食べ物がなくなる日が来るかもしれません。恐竜の闘争は相手を絶対に殺します。今や人間は前頭葉の脳が強力な武器をたくさん生み出しました。ちょうど恐竜が機関銃やミサイルを持っているようなものです。戦争がなくならないはずです。もちろん人間はこのことに気づいています。この脳をどのようにコントロールするか数万年らいの課題になのです。次回はこのことについてです。


ひきこもり

2017-03-19 09:51:10 | 日記

 引きこもりは登校拒否と同じジャンルに入るのですが、少し違います。まず、引きこもれば必然的に登校拒否になるのですが、登校拒否はそのまま引きこもりになる訳ではありません。登校拒否でも家では元気にしている子もいます。

 「引きこもり」も最近の現象で半世紀前には登校拒否と同じく言葉すらなかったのです。日本が裕福になったからでしょう。「引きこもり」も永遠に続けることは出来ません。いつかは出てくるのですが、10歳ぐらいではそんな例を聞きません。比較的大きくなってからの現象なのです。だから家族が戸惑うのです。高年齢化もあるそうです。小学校の先生ではこう言うケースは稀ですがたまにあります。ほとんどが男子です。男子の依存性が長引くのと言語性が低いのが影響しているのかもしれません。自分の気持ちを言語に表すのが苦手なのです。ですから余計聞き取りやカウンセリングが困難です。ほとんどの場合原因がわかりません。本人もわからないようです。「ひきこもり」は精神疾患だそうです。アメリカが発祥の疾患ですが世界的にあるそうです。相談の機関は児童相談所ですが、神経内科でも出来ます。先生は軽く考えずに専門家に相談し、不登校のような家庭訪問しかありません。学習に応じてくれればいいのですがたいがいだめです。焦らず待つしかないのです。それより保護者のサポートの方が大切です。保護者が焦ると暴力的になったりします。

 この「ひきこもり」もやっぱり本能的な防御反応だと思います。うまく集団と折り合えなくなり閉じこもる(逃げる)ことで回避しようとしていると思います。次回はこの「本能」についてもう少し詳しく書いてみます。


ネグレクト・虐待

2017-03-18 10:35:38 | 日記

 ネグレクトとは保護責任放棄なのですが、虐待と同じ根を持っているのでまとめて書きます。これらは不登校や閉じこもりとはまったく違う原因なのです。どちらかと言えば「いじめ」に近いものがあります。どちらも本能的な動機です。本能なのだから「どうしょうもない」と言う訳には行かないのですが・・

 ここで少し「本能」について書きます。本能として知られているのに「母性本能」「闘争本能」「自己防衛本能」「生殖本能」などたくさんあります。生まれながらに備わっている場合と後の経験で起動する場合があります。しかし、どの場合でもDNA遺伝子のなせる業なのです。 遺伝子情報の量は一つの染色体でDVD100枚以上だと言われています。全ての生命の元なのです。しかもこれらのDNAの究極の目的は子孫を増やすことです。そのためにありとあらゆる戦術や戦略を駆使して生き残るのです。人間も例外ではありません。しかし、人間だけは他の生命と同じようには出来ません。人間が同じようにすれば地球が壊滅するからです。 人間だけは「本能」のまま生きてはいけないのです。「本能」は両刃の剣なのです。また少し外れますが、この遺伝子を人類はとうとう操作しようとしています。もう遺伝子工学は当たり前になってきました。この行為はたいへん危険を伴っているのです。遺伝子自身は意識を持っていませんが遺伝子の総体すなわちある生命体になれば別です。恐ろしいウィルスを作ってしまったりはもう現実になりつつあるのです。その上もっと高度な生命体を作ろうと人類はしています。DNAは拡散増殖することが目的なのです。暴走すれば誰も止められません。原爆よりもっと危険で人類滅亡も充分考えられます。より強い生命(DNA)が生き残るのです。そうなれば80億の人類が滅亡するのです。原爆の方が少しは生き残るでしょう。

 元にもどって虐待は本能の情動なので、他の動物でも多く見られます。人間に近いサルも知られています。種族保存本能が働きオスが自分以外の遺伝の子供を殺すのです。時々人間でも報道されています。メスの場合育児放棄が多く動物園での繁殖を妨げているのですが、人間の場合はネグレクトとして表れます。メスとオスでは動機が少し違ってメスの場合は子育てを種族保存本能から拒否しようとします。パンダの場合双子の大きい方しか育てません。また、障害や弱い子供を殺したり放棄したりする場合も多くあります。オスは自己保存本能から自分の遺伝子の拡散と増殖のみです。単純ですが結果は悲惨です。 

 このようにネグレクトや虐待は「本能」からなので厄介です。だれでも起こりうることなのです。重大な結果を招いた親が裁判でなぜこうなったか解らない、もう止められなかったとよく言ってます。普通の人からはこの心境が理解できません。そうなってみないと解らないからです。それからもっと厄介なのがプライバシーのことです。これらの親や家族はプライバシーを盾に隠そうとします。また子供は親から見離されまいとして隠します。実はこれも本能のなせる業なのです。鳥類は生まれてすぐのものを親として認識するそうです。それと同じような能力が3歳までの子供に備わっています。認識すれば従属するのです。狼やゴリラに育てられたりの話は赤ちゃんの生き残るための戦略なのです。学校の先生は子供の話を鵜呑みする傾向があるので注意がいります。先生はこんなことも知っている必要があるのです。要するにネグレクトや虐待は感ずいたらすぐに関係機関に通知しなければなりません。最近やっと関係機関も連帯が取れるようになって来ましたが、警察はこのようなことには及び腰です。警察は事件が起こって初めて権力の行使ができるので、親から子供を引き離す権力はないのです。もちろん児童・家庭相談所にもありません。虐待の相談があれば担当者が何とか説得しようとします。実はこのようなことは無駄ではないのですが役に立ちません。問題は本能的情動行動なのですから。まず、子供を引き離すことです。クールダウンが必要なのです。アメリカではすでに強制力を持った専門機関があります。ただし、アメリカはこのような問題が数倍多い国なので・・・日本でも必要になってきています。 手遅れで子供が犠牲にならないようにしなければなりません。次は「引きこもり」です。

 


これから子供自身のの問題点

2017-03-17 13:02:47 | 日記

 これまで書いたように有能な先生が集まりにくい。そのため昔のような先生集めに奔走する状態が出現し質が落ち厳しい現場がより悲惨になる悪循環になりそうです。文科省は解っているのに?このことはまた後で書きます。これから三日ほどは不登校、閉じこもり、ネグレクト、虐待などを書いていきます。

 今日は不登校です。不登校は字の通り子供が学校に来ないこれない状態です。もちろん半世紀前にはなかった言葉です。我々の世代では考えられません。学校に行けば働かなくてもいい楽でき遊べるからです。反対に子供に仕事を手伝わせ行かせない親がいたぐらいです。農繁期にはたくさんの子供たちが休んでいました。 不登校は経済成長と生活が裕福なったからでしょうか?多分それもあるでしょう。学校に行かなくても生きて行けるし,不自由しないからでしょう。テレビはあるし、ゲームも出来る。先生や親は反対に心配でかまってくれるかです。多分こう言う側面もあります。「あまえ」から来る不登校は子供の社会性や精神性が育ってない側面を感じます。 このようなケースはあまり深刻でないので無理をしないで家庭訪問で学習の保障をサポートします。引っ張りだそうとすれば悪化します。担任はたいへんですが、保護者と親密になれるし周りの保護者の評価が上がるので損はしません。そのうち子供とも親密になり先生に甘えてきます。そうなれば学校に来てくれるようになります。

 少し深刻な例です。親子関係または家族関係に問題のある場合。親の子離れ子の親離れが出来てない場合これも「あまえ」と同じようにできますが、母親のネグレクト性が原因の場合は先生が間に入って関係の修復をしなければなりません。この場合少し専門性がいるので、児童相談所の専門の人やその他の機関の専門の人に相談すべきです。 ネグレクトとは保護責任放棄と訳されますがまた後で書きます。最近は家族関係は核家族化で少なくなりましたが、離婚や嫁姑問題などが引き金の場合これも家庭相談所に声をかけます。何でも単独で解決しようとしないで、校内の誰かに相談すべきです。本当は各校にスクールカウンセリングを置くべきです。しかし、そのカウンセリングの人が定年退職者では心もとないです。最低専門資格者を置いて欲しいものです。

 他に「いじめ」が原因の場合もあります。単に「不登校」と片付けてはいけません。不登校が表面的な表れの場合もあるのです。また子ども自身の精神障害(ストレス性障害)も考えなくてはいけません。家庭訪問で子供の聞き取りでおかしな言動を感じれば疑う必要があります。この場合も専門家に相談します。僕の赴任していた市には教育研究所があり相談できましたが、医療機関の方になるでしょう。

 このように原因は多様化し益々専門性が必要になってきました。しかも年々増加傾向です。

増加の原因に文科省の調査が精密になったことと社会の多様化、複雑化が考えられます。学校は社会の鏡なのです。次はネグレクトと虐待です。


先生の資質

2017-03-16 09:23:22 | 日記

 学校の現場は一応校長を頂点に教頭→教頭→教務→学年主任→担任となってますが、実際には管理職と職員の横並びです。年齢が同じようなことも原因で管理職もみんなお互い横睨みです。しかし、団塊の世代が退職で大きな穴が出来上と下というような構造で中がない状態だと思います。 若い人を指導する世代がいないのです。このことは若い新人が自分自身で問題を解決しなければならないことを意味しています。極端な話現場には新人と管理職しかいない状態と思えばいいのです。

  先生の資質は一般的に考えれば「子供が大好き」でいいのですが、これでは潰れてしまいます。ひと昔前では酷い先生が結構いました。簡単に先生になれたからです。問題の先生が各校に一人や二人いました。市教委は判っていて分散させるのです。今では採用時に厳しい「ふるい」にかけるのでいないでしょう。 では、どんな資質がいるのでしょう。今の新人は一定以上の能力を持っていると思います。しかし、現場はたいへんな状況です。なんしろ戦場なのですから。全ての問題が学校に集まっていると言っても過言ではないでしょう。真面目な人ほど潰れるのです。しかも先生になりたい人ほど真面目なので困ります。不真面目でも困ります。まだいい加減な方がましです。新人が真っ先に直面するのが保護者問題です。家庭問題、地域問題が学校に集中するのです。

 ひきこもり、ネグレクト、虐待、登校拒否、家庭崩壊などもう末期的状態と言えるでしょう。ベテランの教師でもたいへんでうまく出来ない方が多いのです。ましてや今の現場の状況で新人が単身対応するのは無理があるでしょう。管理職はもう手一杯でしょう。これに地域の問題(困難校区)が加われば絶望的でしょう。僕は現役のとき生活指導として全校のこれらの問題を取り組みました。このときはまだ人材が豊富で分担できました。登校拒否も一人では到底対応できません。児相も家相もこの程度では本気にしないので学校で対応します。原因は多様でそれを特定するだけでもたいへんな努力と経験が要ります。判れば担任だけでも対応可能です。ネグレクトや虐待になればもう学校だけでは対応できないので児相や家相その上警察も巻き込まなければなりません。このような状況で一番困るのはプライベートの問題です。これは日本独特の問題だと思います。「プライベート」の本当の意味もわからず権利として親が振り回すのです。その上、児童相談や家庭相談所、警察は教育委員会と別系統で福祉です。これらの出先機関との調整は先生がすることになってしまうのです。こんなことが新人に出来るわけがありません。当然あっちこっちで問題が起き最悪子供が犠牲になり新聞に載るのです。先生はタフでネゴシエーターでなければならない。体力と機転、調整力も必要です。また聞き上手でなければならないでしょう。親の話を根気良く聞くわけです。こんなことは大学では教わりません。担任になると突然直面するのです。子どもの非行(万引きなど)がかわいらしく感じるほどです。今は「親の非行」の方が深刻で大変なのです。学校の中にこれらの問題を専門に扱う人を配置する動きはありますが、やはり人材難と予算がないのだそうです。僕の子どもたちには先生になるのを勧めませんでした。もちろん親の大変さを見ているのでなるつもりはなかったでしょうけど・・・しかし上記のような資質をもっていればどんな大企業も歓迎するでしょう。文科省の危機感の希薄さが酷いです。確かに今の文科省に期待するのが間違いなのでしょう。自分のこと「天下り」で精一杯では・・・・?このまま行けば先生の希望者が激減するでしょう。その上辞める先生やリタイア病休に入る先生が増え臨時講師の先生ばかりになるかもしれません。文科省は先生の空きを講師で埋めようとしています。そうなると、先生の資質は保障されません。免許があれば誰でも出来るのです。僕も4年経験しましたが、当然玉が飛んでくるような前線にいません。陰に隠れて静かにしているだけです。臨時ですから長くて1年だけなのですから。それに最近臨時講師の不祥事が多くなっています。それは質の問題と臨時の割合が多くなってるからでしょう。非正規が教育現場にも影響しているのです。政府の考えがわかりません。「どうなる日本」

 次は登校拒否などの問題です。


学校の現場

2017-03-15 09:40:59 | 日記

 学校の現場をレポートするような記事はあまり見ません。これは10年以上前の話ですのでそのつもりで読んでください。それでもなんだか密告するようですが・・・

 学校は子供たちを預かり健やかに心身ともに育てる場所です。当然保護者や地域ともに密接に連帯して進めていくべきです。これらは建前です。現実にはそうは行きません。まず、連帯には開かれた学校が必要です。だれでも自由に参加できる現場です。しかし、安全は誰が保障するのでしょう。あの池田事件から学校の安全が求められています。 

言うのは簡単です。市教委や文科省から次々と通達が来ます。しかし、つぶれた塀や古い門は誰が直すのか?事件直後は急いで修理してくれましたが簡単に乗り越えれる施設はそのままです。安全と開放は矛盾するのです。お金と人を出して安全を確保して開かれた学校を指示するのなら解りますが・・・

結局現場に押し付け安全担当主任を設けるのですが、生活指導と兼任になり仕事がどんどん増えるのです。次から次へと新しい事態が出現するので文科省も手を打たなければならないのは解りますが?省庁は縦割りですから違う所から次々と指示が出されますが、集まる所は同じです。ですから最近は地域や保護者に学校サポートの集まりを作って分担してもらう動きが広まっているようです。しかし、困難校区は無理があります。僕は困難校を二つほど経験してきたのですが、それどころではなく中からの脅威の方に備えなければならないのです。

 話しがそれますが、困難校に限って有能な管理職が来てくれません。人事ですが、管理職は別系統で任命されるので能力とは関係なく派閥やコネで決まるのです。ですから厳しい所に無力な人が来易いのです。平の教師は事務局で決まるのであり程度実情に見合った人事がされます。

 話を戻して、安全を優先するのでますます閉鎖的になってきています。先生でも自由に出入りできないのです。子供たちは逆刑務所に入れられているわけです。さて学校の内部ですが小学校は担任制です。担任がほぼ全教科を教えるのです。大きな学校は教科制併用もありますが、少ないでしょう。いまでは各学年1クラスも多いと思います。僕は大規模困難校を歴任してきたので想像できません。日本で一番と二番の規模です。いまではそれも想像できないでしょう。一学年380人1クラス50人以上でですから。3000人以上いたのが今では三つに分かれて500人いないそうです。少子化は激しいです。学年主任そのまとめ役と日々の行事などの進行を担う教務主任と各主任(教科、保険。給食、生活など)その上に教頭です。そして学校全体の責任者として校長です。 この管理職ですが、実はほとんど権限がないのです。あるのは校内人事権だけです。それも放棄する管理職がいてたのには驚きです。これもある意味学校の体質と言えます。横並びでみんなで決めて傷の舐め合いですね。無責任そのもので組合が強いとか言うのではないのです。ほとんどの権限は市教委が持っています。校長は何かあった時の頭を下げる役です。せめて予算権でもあればいいのですが、校内で自由に出来る予算は消耗品ぐらいなのです。備品も市教委にお伺いをしなければなりません。教頭はもっと悲惨です。職員、保護者、地域と校長との間で調整連絡、指示、お願いをしなければなりません。サンドイッチ状態です。校長は校長会などからの市教委からの上意下達でいいのです。ただし、有能な校長はこの時すでに根回しをしお膳立てをします。そうなれば教頭はサンドイッチにならなくて済みます。それに予算も採ってくる人もいます。めったにこんな校長には巡り合いませんけど・・校長は学校の要なのです。しかし、自覚していない人は多いです。未だに飾り物でよいと思っている校長の場合、先生は悲惨です。トラブルに油を注ぐ校長もいるのです。言わなくてよいことをいい、言わなければならないことを言わない校長です。いない方が「まし」と思うことさえあります。先生も校長もお互い選べないのです。これからは有能な校長は減るでしょう。それは校長になるには教頭を経てからでないと試験を受けれないからです。いま、教頭試験を受けようと思う人が減っているそうです。現場で教頭の厳しい状態を見れば誰も受けようとは思いません。大阪市が民間からの採用で補おうとしたようですが、どうやら失敗のようです。僕はもっと役所の中の人材を使うべきだと思います。消防、税務、保険などの教育以外の管理職を活用する方が成功するのではないでしょうか。僕が仕えた校長で一番すばらしかった人は自治省から府教委に出て市教委にこられた方です。顔が広いのにびっくりしました。消防所長が校長室で最敬礼するからです。もちろん市教委の偉いさんもです。僕はいろいろな主任を兼務していましたが、スムーズに行くだけでなくトラブルや苦情はすぐ消えました。今思うと天国でした。次回は先生の資質についてです。


先生の仕事

2017-03-14 17:33:56 | 日記

 前回書いたように先生の評価はとても微妙です。元々先生が先生を評価することが無理なのです。評価をするのは本来子供たちや保護者でしょう。東京都がちょっとやったことがありました。校区の枠をはずし学校を自由に選択できるようにしたのです。当然、保護者の評価を受けることになるのです。その後どうなったか知りませんが、多分、偏りができやめたと思います。なおさら、子供たちが評価するなどとても考えられません。が学級の枠や定員は代えれないでしょう。

 では本題の先生の仕事です。先生の仕事は事務仕事と教鞭そして校内の分業です。事務はお金の管理は学級費・給食費・積み立て金などです。子供たちの健康管理は各種測定(体重・身長・体力測定)の管理と医療的管理は歯科や医科(予防接種など)です。それに出席状況などが主です。最近はこれに教育委員会や文科省からのいろいろな調査やアンケートが多くなってます。増えることはあっても減ることはありません。予防接種の種類も増えました。本来、病院がするべきですが・・・手っ取り早く確実なので学校にどんどん押し付けてこるようです。このように事務の仕事は多くて要領よくしないと残業です。基本資料を持って帰ることは禁止です。だけどトラブルは絶えないのは絶対量が多いからです。次に校務分掌です。これは学校全体の仕事を分業でみんなに振り分けるものです。例えば給食主任とか保険主事、生徒指導主任などこれも結構多く小規模ながっこうなら掛け持ちでしょう。この中でも生徒主任は校区の状況しだいできつい仕事です。主事や主任なら普通は責任とそれに従う手当が付きますが、手当はありません。

 それに肝心の学習指導があります。 普通これだけで手一杯です。 子供たちと放課後遊ぶなど過去の情景になりました。これだけをそつなくできれば100点です。しかしそうはいきません。トラブルや苦情は日常的です。最近の文科省の調査でも文科省の言う軽度発達障害(アスペルガー・ADHD)などですが、6.4パーセントも存在すると報告されています。これは世界的にも同じ数字だそうです。要するに30人学級なら二人いると言うことです。これらの子供が引き金になりトラブルが発生します。それが発端となってモンスターペアレントたちが暴れだすともうパニックです。100人に一人いると言われています。 先生の仕事は純粋に子供たちと向かい合えればこんな幸せな仕事はありません。しかし、最近は厳しい仕事になってしまいました。ある調査では先生のストレスは戦場の兵士と変わらないそうです。こんなことが続けば先生になる人はいなくなるでしょう。いくら教職手当てを貰っても合いません。次回は学校の現場を報告します。