中学であのような状態だったので、最初からつまらなく期待はずれですぐに勉強がいやになってしまいました。クラブも無線や電気のようなのはないので、仕方なく長距離走が得意だったので、陸上部に入りましたが1年ほどで行かなくなり、時々絵画クラブに顔を出すくらいでした。このころ高校の近くに自衛隊の駐屯基地があり時々近くの道を小さな戦車と歩兵隊員が武装して行進していました。 町の中を堂々と行くのですからびっくりです。そのころ道は地道ですが地響きがしてすぐわかります。授業そっちのけで見ていました。僕の印象ではこんな立派な戦車でなくもっと小さなものだったと思います。 実際はもっとしょぼくれて見えました。この時面白くない高校を辞めて自衛隊に入ろうかと思っていたのですが、やめました。しかし、友達が駐屯地の近くに住んでいたのでそこに遊びに行きよく学校をサボるようになりました。さぼって駐屯地に入り込み小銃や機関銃の薬きょうや弾を探し集めて業者に売るのです。どうやら収集家に売るみたいです。 この当時は撃ちっぱなしで後の弾などは集めていませんでした。戦車も時々撃っていました。さすがに薬莢は回収してましたが、弾は僕らのものでした。もちろん夜中に浸入します。 友達の家は工場を経営してましたが倒産し兄弟ともに自衛隊に入りました。僕はとうとう出席日数が足らず落第になりました。でも、あのみすぼらしい自衛隊に行こうとはもう思いませんでした。親父に言われてもう一度同じ学年になり屈辱的でしたがそのおかげでがんばり大学に受かりました。今から思うと誰もあまり経験しないことです。同じような成績の子は一ランク下の高校へ編入していきました。大学ではESSクラブと言う英語クラブに入り、今度は講義そっちのけで英語漬けになってしまいました。先輩に巣恋イングリッシュな人がいて憧れそれ以上になろうとしましたが、僕が学んだのはアメリカンでした。後でわかったのですがアメリカンは田舎英語と評価されるのです。でも、僕がくっ付いてた牧師はアメリカ人だったのでしょうがないです。ちなみに、英語のために僕はクリスチャンになりました.
1年の時のエピソードです。まだたいして英語会話が出来ないのに無謀にも3人で京都に外人をナンパしようと言うのです。この当時観光客自身少ないので若い外人の女性を探すだけで大変なのにです。僕は無知でした。外人はみんな英語がしゃべれると思っていたのです。引っ掛けても英語が通じません。びっくりしました。一緒に始めた勇敢な友達がなんと彼女を見つけみんなに紹介してくれたのです。なんとドイツの人でした。ドイツ語なんかわからないのにすごいです。その彼女は今その彼の奥さんになっています。その上その彼女はドイツのシーメンスと言う大きな会社の重役の娘だったのです。彼は今もドイツに住みその会社の重役になっています。この前東洋支配人の肩書きで帰ってきてまたびっくりでした。本当に世の中、分らないものです。