開基は伝教大師最澄、本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)である天台宗の祖最澄(伝教大師)が比叡山延暦寺を開くにあたって、山頂に僧侶の住坊を幾つも作りましたが、その一つの「青蓮坊」が青蓮院の起源であると云われています。伝教大師から円仁(えんにん、慈覚大師、安恵(あんね)、相応等、延暦寺の法燈を継いだ著名な僧侶の住居となり、東塔の主流をなす坊鳥羽上皇の第七皇子覚快法親王が行玄の弟子として入寺してより後は、皇家や摂家の子弟が門主を務める格式高い寺院(門跡となった。山下へ移転した当初は現在地のやや北西にあたる三条白川の地にあったが、河川の氾濫を避けて鎌倉時代に高台の現在地へ移った
梶井(現在の三千院)、妙法院と共に、天台宗の三門跡寺院とされる。「門跡寺院」とは皇室や摂関家の子弟が入寺する寺院のことであり。国宝の青不動明王二童子像は平安仏画の最高傑作の一つ。境内には相阿弥作・築山泉水庭と小堀遠州作・霧島の庭が配され、紅葉の美しさは格別。夜はライトアップされ、見所の苔庭は一面の星空のように瞬き、人々を魅了する。仏国土を思せる庭園、御堂を堪能したい。飛地境内の将軍塚に大護摩堂の「青龍殿」が完成し、同所にて10月から12月まで開帳された。園城寺(三井寺)の黄不動、高野山明王院の赤不動とともに三不動と言われている。
芥川龍之介は室生犀星に宛てた手紙で、高台寺が一見の価値のあること、青蓮院も人はあまり行かないが「是非見るべ」などと書き送っている門前の大クスノキ(親鸞聖人の手植えと伝えられてる)