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記入サンプル:東京太郎

地球はひとつ、世界は沢山あっていいんじゃない?

上柳昌彦ごごばん ゲスト:元ザ・タイガース瞳みのる

2011年02月09日 | Weblog

上柳昌彦ごごばん ゲスト:元ザ・タイガース瞳みのる

ピーというと
どこかの国では
排泄物のことだったと思うが
そうではなく

ある年代の方々にとっては、
元ザ・タイガースのドラマー
瞳みのるさんのことであります

昨日、
その瞳みのるさんが

本日(2.08)の
ニッポン放送のラジオ番組に
ゲスト出演する
という情報を小耳に挟んだので

PCに録音して
聞いてみました。

なんと
マスコミに登場するのは
40年ぶりなのだそうだ

ちなみに
ザ・タイガースというのは
沢田研二(ジュリー)をはじめ
岸部一徳(当時は岸部修三:サリー)
加橋かつみ(トッポ)
森本太郎(タロー
瞳みのる(ピー)による
当時はグループサウンズと呼ばれた
バンドのこと

なお
途中で加橋かつみが脱退したので
かわりに岸部シロー(シロー)が
加入していたことがありました。

私は
まだ小学生で
殆ど記憶にないが

このブログをご覧の方の中にも
当時キャーキャー
言ってた
人もいるかもしれないし

あ~ん
ラジオ聞き逃しちゃった
っていう
往年のファンの方もいるかもしれないので
ペタリと張り付けておきます。

なお、
番組途中で
そこがモンキーズと違うところですよね
みたいなことを
インタビュアーの
上柳アナウンサーが言っていますが

モンキーズとは
'60年代に人気のあった
アメリカのバンドのこと

学校時代の友人が集まって
自然にできたタイガースと違い

モンキーズは
英国のビートルズに対抗すべく
オーデションで集められて結成されたので
そこが違うよねと言っております

モンキーズ主演の
テレビコメディーが日本でも放送されており
私はこっちのほうが好きでしたけどね(笑)


ナナナナ~♪

2010年09月07日 | Weblog
マルハンのCMでナナナナ~♪

と歌う和田アキ子

声が寄れるわ

音程が外れるわで

あまりに下手すぎないか?


新入生

2010年04月07日 | Weblog
昨晩見た
NHK関東ローカルの
ニュースによれば

昨日(4/6)
鉄腕アトムが
東京都新宿区の
とある小学校で行われた入学式に
人間の子供と一緒に出席したそうである。

昭和27年4月7日に
連載が始まった鉄腕アトムは

設定上
2003年4月7日生まれだそうで
今年はちょうど"新一年生"になる年齢であることと
作中のアトムも人間の小学校に通っていたことから
誕生の地近くの小学校の入学式に出席することになったようだ。

式では
新宿区長から
区の特別児童に任命されたそうである。


21世紀になったけど…
なんかイメージ違うなあ
20世紀とたいして変わらないね

そんな声がよく聞かれたが

そういう声の主の根源には
鉄腕アトムの影響があったろう。

イヤ、
挿絵画家の小松崎茂さんのほうが
という方もおいでだろうが
それはさておき──

アトムを作りたいと
ロボット工学を専攻した
研究者も少なくないと聞くし

産業ロボットは
海外では労働者から
仕事を奪うものとして
嫌われたらしいが

日本人は
共に働く仲間として
名前をつけて可愛がったのも
アトムの影響かもしれない。

そういや、
ハリウッド映画のロボットは
人間を襲うことが多いが
日本アニメのロボットは
お友達が多い。

私が子供の頃は
鉄腕アトム派と
もう一方のロボットアニメの勇
鉄人28号派に分かれていたが

私は後者の鉄人派だった。

ちなみに
鉄人28号は、
ロボット漫画ではなく
正しくは探偵漫画らしいが
それはともかく──

どうも
清く正しい
正義の味方
鉄腕アトムは
たまに説教臭いセリフや
テーマが前面にでることがあり
少々カンに触ることがあったのだ

その点
鉄人28号は
正義の味方でも
悪魔の手先でもない
のも魅力の一つであるが

リモコンを操作する者によって
どちらにもなる鉄人28号だが

そんなのは
ロボットだろうが
機械だろうが
武器だろうが
原子力だろうが

たとえ
なんの変哲のない道具だろうが
人間だろうが
同じこと

なんてことを
あえて口にしないのが好きだった。

たとえ
腕をもがれても
リモコンの操縦する者に従い
無表情に相手に立ち向かう様は

働くオジサンの
背中にも似た哀愁のようでもあるし

時に
ある種の恐怖感すら
感じたものである。

その他、
ロボット三等兵や
ロボタン(ロボコンではない)
丸出だめ夫のボロット
ジャイアントロボ
サンダーセブンなどなど
好きなロボットは沢山あったが

年齢的なこともあろうが
マジンガーZは好きではない。

マジンガーZは
人間が搭乗するロボットの草分けとして
ガンダムなどにも影響をあたえたようだが

その手のロボットは
マジンガーZ放映以前の
鉄人28号のエピソードに
登場したことがある。

その時
鉄人の登場人物は

あれは
人が乗っているから
ロボットじゃあない
タンク(戦車)だ。

と言っている。

つまり
私にとっては
マジンガーZもガンダムも
なんとかレンジャーが乗りこんで
巨大化した怪物と戦う人型の機械も

ロボットではなく

タンク

なのである。

だから
奴らのことは
あんまり好きじゃない

ていうか
奴らはタンクだ。
乗りモノだ。

乗りモノは
ロボットなんかじゃない。

だから好きくないのだ。

いや、
マジンガーの頃は
そろそろ大人だったし
ガンダムの頃は
もはや働くオジサンだったので
見ていないだけ…
なんだけどね


ちなみに
なんで戦車を
タンクというようになったかというと

これは戦車なんかじゃないよ
これは水タンクだよ
と偽装したことから
と聞いたが
真贋のほどは知らない。

サイナン端

2010年04月05日 | Weblog
それは
私が中学一年生だった春のこと

「日本の一番北は北海道だが
 それじゃ南はどこだかわかるかい?」

黒板の前に
大きな日本地図を広げると

ドリフターズのリーダーだった
いかりや長介似の社会科教師は

そのイカツイ顔からは想像もつかない
優しくおだやかな声で我々に問うた。

『沖縄…』

教室に
誰からともなく
小さな声が漏れる。

すると
社会科教師は
してやったりとばかりに
不敵な笑みを浮かべた。

「君たちは、
 日本の一番南にあるのは
 沖縄だと思っているんだろう?

 でもね。
 もうじきのことだろうけど──

 沖縄はまだ日本に返還されていないから
 日本の一番南は沖縄ではないんだな」

私が
中学に入学したのは
大阪で万国博が行われた
1970年のことである。

社会科教師が
もうじきと言ったように
沖縄が米国から返還されたのは
1972年のこと

この時点では
まだ沖縄は日本の領土ではなかったのである。

ただ、
この頃さかんに
テレビや新聞で沖縄返還問題が
報道されていたものから
つい錯覚を起こしてしまっていたのだ。

教室から
『あっ、そうか』
『なるほど。そういやそうだ』
という声がもれる。

「どうだい。
 落とし穴だったろ?」

社会科教師は
得意満面である。

ニヤリと笑うと
沖縄が返還されるまではと
抜け目なく前置きした上で

日本地図の
沖縄の北に位置する島を指して

「だから
 今の段階では日本の最南端はココ
 鹿児島県の与論島という島なんだな」

というのであった。

だが、
しかし。

あえて
九州弁でいうならバッテン

九州でも
福岡風ならバッテンがっくさ
熊本風ならバッテン(が)タイ
ほんでもって
なんでか
愛媛風にいうなら
ほんじゃけんどね…

この授業の二年前

私が小学五年生だった
1968年の五月に

小笠原諸島が
沖縄より一足先はやく
米国から返還されていたのである。

そういや、
小笠原ってぇのも
結構南にあるよな

そう思った私は
帰宅すると
珍しく親が買ってくれた
参考書をひらいた。

すると
小笠原諸島には
母島をはじめ鹿児島県の与論島より
南に位置する島が点在していることが
書かれているではないか。

社会科教師が
大学で学んだ頃から
授業のほんの二年前までは

日本の最南端は
鹿児島県の与論島であったろうが

小笠原返還に伴い
日本の最南端は
東京都の小笠原諸島になっていたのである。

どうやら
社会科教師は
お勉強をさぼっていたようである。

あんの野郎…
である。

授業の二カ月後

社会科の中間テストで
"日本の最南端は"という問題をみつけた。

あの得意満面の顔をしていた
社会科教師の鼻をあかしてやろうと
回答欄に"正しくは与論島じゃなく…"
と書こうしたのだが

情けないことに

小笠原の母島が
与論島より南であることは覚えていたが
それより南にある
最南端の島がなんだったかを
覚えていないことに気付いた。

どうしようか

テスト中
しばらく思案したが

しかたがなく
『与論島』と書いて
○をもらうことにした。

そうしたのには
もうひとつ理由がある。

「もうじき沖縄は
 アメリカから日本に返還されるそうだから
 そうなったら
 無論、沖縄が最南端だけどね」

授業の最後に
社会科教師が言ったように
沖縄は1972年に米国から
日本に返還されることになっていた。

だから

わずか
二年で意味がなくなる事柄で
グダグダ文句つけるのが
バカバカしくなって
思い直したのである。

やがて
時は流れ

1972年の六月に
沖縄はアメリカから返還された。

これで
社会科の教師が言うように
沖縄が日本の最南端になった。

と、
思ったら
それも間違いだった。

たしかに
人が住んでいるという条件下では
沖縄県の波照間島が最南端であるが

人が住んでいない島を含めた
日本の領土全体では

小笠原諸島の沖ノ鳥島のほうが
沖縄のどの島より南に位置している。

つまり
日本の最南端は
沖ノ鳥島なのだ。

ということは
私が授業を受けた
1970年当時から

その後の
沖縄の返還にかかわらず

日本の最南端は

小笠原諸島の

沖ノ鳥島

だったのである。

再び
勉強せぇよ
あの時の社会科教師である。

て、
いうか
今思うと
こん畜生なのは
あの時の私である

沖ノ鳥島を
覚えてなかったばっかりに
ああ残念

NHK ニュースウオッチ9

2010年04月01日 | Weblog
送りバント8本中4本がヒットという選手を
紹介したスポーツニュースを受け

学生時代ピッチャーをやっていたという
大越健介キャスターが

送りバントがヒットになると
一番がっかりする
ランナーに出たら出たで
足を警戒しなきゃいけないし

などと自分の経験をもとに
先に話題にした選手について語ろうとしたら

メインらしき
青山祐子キャスターは

「大越さんは
 足がはやかったんですか?」

野球解説者でもないくせにとでも言いたいのか
茶々を入れた

しようがないので
大越健介は

「いえ、遅かったです」

と答えたが

今度は
してやったりとばかりに
スポーツニュース担当の
一柳亜矢子とバカ笑い

いくら
野球オンチにしても
人の話の腰を折って馬鹿すぎる


社員同士の番組で
気が緩んだわけでもなかろうが

青山キャスターは
大越キャスターの
コメントが長すぎるから
ここらで…と思ったのだろう

だが、
彼のコメントは
青山キャスターへの答え
あしは遅かった
程度の長さで終わりそうだったから
余計不愉快であった。


後先考えず
思いついたことを口にするのは
封印してほしいものである。

長崎県池島

2010年03月26日 | Weblog
昨晩、
NHK総合テレビで放映された
にっぽん紀行
「忘れないで ぼくらの島を ~長崎・池島~」
を見た。

池島はかつて炭鉱で繁栄した島。
2001年の閉山後は
海外の方に炭鉱の技術を伝える
研修事業を行っていたそうだが
それも終了するという。

そんな池島で暮らす
島で生まれた日本人の子供と
インドネシアの子供が
兄弟のように遊ぶ様子と
別れを描いた作品だった。

番組で
紹介された長崎県池島は
知人の故郷であるらしいとのことで
何気なく見たのだが

鈴木杏樹の
優しさあふれる
ナレーションもあいまって
涙してしまった。

池島に興味がある人は
知人のサイト
長崎県長崎市池島
http://sites.google.com/site/ikeshima20/
が詳しい

炭鉱で繁栄した頃の島の様子などが掲載されている

なお、
長崎県内では
4月4日(日)
NHK総合 午前8:35 ~ 9:00に
にっぽん紀行「忘れないで ぼくらの島を ~長崎・池島~」
が再放送されるそうだ

赤坂のラーメン

2010年03月19日 | Weblog
昔、
バブルの頃に赤坂で食べた屋台のラーメン

のちにお店を出して
えらい人気のようだった

ある日、
若いのを連れて食べにいったが

若いのの箸が鈍くなる

若いのの顔が気まずそうになる

正直
濃いだけで
まずかった。

びっくり

2010年02月14日 | Weblog
今日(もう昨日ですが)、
TBSラジオに合わせたら
永六輔氏の声が
恐ろしいくらいに
聴きとり難くなっていてビックリした。

よる年波という問題…
以上に酷い。

北山修のバカ笑いも
聴くに堪えないので
他局にしちゃったけど

それにしても
大丈夫かね

永さん

恵方巻

2010年02月02日 | Weblog
5~6年前のことである。

「なんだよ。この店」

近くのコンビニに立ち寄ると
舌打ちをしながら出て来る男とすれ違った。

いつもは
感じの良いコンビニなのに
珍しいこともあるもんだと店内をのぞくと
店員達は皆ポカンとしている。

言葉に訛りこそ感じなかったが
トラックに乗り込むその男は
関西方面の人間だったのかもしれない。

「まったく、
 この時期に
 丸かぶり寿司がないなんて
 信じられん…」

男は、
捨て台詞を吐いて
ドアをバタンと閉めた。

その音の大きさから
男の怒りのボルテージが分かろうというものだが

『あの人
 なんであんなに怒ってるの?』

『さあ?』

店内では
いつもは愛想の良い店員達が
困惑の表情を浮かべて
互いに顔を見合わせているのだった。

おそらく、
この辺りが境界線ではなかったかと思うのだが──

今では、
お菓子屋さんに
恵方ロールなる便乗商品が売られるご時世だが、

恵方巻または丸かぶり寿司といわれる
大阪発の風習が東京地方で知られるようになったのは
つい最近のことである。

ネットによれば、
恵方巻(丸かぶり寿司)は
そのコンビニチェーンでも十年余り前から
全国展開されていたようである。

そう言われれば
この数年前から東京でもチラホラ見かけたが、
売っている当人たちも何これという感じだし
おいていない店舗も珍しくはなかった

3~4年前から
近くのコンビニでも
急に恵方巻(丸かぶり寿司)の説明をするようになったから

それまでは
コンビニチェーンの本部は
大阪発のローカルな風習を
全国的なものだとでも感違いしていたのではないか。

この頃の
東京地方のコンビニの店員からすれば

『なんか最近、
 助六寿司だけじゃなくて
 太巻だけってのも入荷するよね』

くらいにしか
思っていなかったのかもしれない。

コンビニの仕入れは、
店長の裁量に任されるそうだから

私の住む近隣では
丸かぶり寿司に馴染みもなく
あまり売れないという理由で
そこのコンビニでは消極的だったようだ。


コンビニ以外でも

大阪の会社に就職
または大阪のオフィスに転勤になった人が、
その風習を知らなかったために

節分の日に
職場に届いた丸かぶり寿司を

気を利かせたつもりで
一口サイズにカットしてしまい

大阪の人間から
エラい勢いで怒られた
という笑い話もよく耳にしたものである。


ところで、
私が丸かぶり寿司のことを知ったのは、
バブルがはじけて間もない
'93~'94年頃だったように思う。

以前、
このブログにアップした
『[http://blogs.yahoo.co.jp/nefs76122/1097936.html N氏とK子のおとなのしけん]』
のオリジナル版を書く少し前に
某週刊誌のコラムで紹介されていたのを読み
その内容の一部を取り入れたので覚えている。

随分
むかしのことなので
記憶が曖昧だが
そのコラムでは

丸かぶり寿司は、
お座敷がかからない
お茶引っきの芸者か舞子さんが
その年で縁起が良いとされる方角を向いて

「お座敷がかかりますように」

と、お願いしながら
太巻き寿司を丸かじりする

花街の風習だと
あったように記憶している。

ブログにアップする時は
確証がとれずその一文はカットしたが───

先に述べたように
このコラムを参考に
おとなのしけんオリジナル版の
" Case 5 [http://blogs.yahoo.co.jp/nefs76122/1166418.html お茶っぴきシスターズ] "には、

『まったく、せめて京都の舞子さんを見習って自宅で、
 太巻き寿司の丸かじりのオマジナイくらいすればよいのに・・・』

という一文を織り込んだのだが、

当時の東京には
丸かぶり寿司のことを知っている人は殆どおらず
「何これ?」で終わってしまった。


かつて、
兵庫県の明石市では
豊漁で獲れすぎたタコをさばくために
現地でいうところの"卵焼き"こと
"明石焼き"が生まれたという。

それが大阪に伝わり
ラヂオ焼きという食べ物に
タコを入れるようになって
現在のタコ焼きになったとも聞くが──

大阪の
海苔問屋さんが
それにならい

ある年
海苔が豊作で大量に獲れ
それを売りさばくために考えられたのが
現在の丸かぶり寿司の始まりだと聞いたが
定かではない。

先の
週刊誌のコラムに、
かつて花街で行われていた風習を掘り起こして
一般に広めるのはいかがなものかとあったから

丸かぶり寿司による海苔の販売促進は
その頃から始まったのかと思っていたのだが

大阪の海苔問屋さんが仕掛けたのは
'70年代のことだそうである。

私は
隠れキリシタンの里の近くで育ったが
子供の頃はバレンタインなんて知らなかった。

「バレンタインはハ~トで♪」

バレンタインを知ったのは
大阪万博の翌年にテレビで流れた
不二家ハートチョコのCMからだった。

だが、
バレンタインデーにチョコレートをというのは
戦前に神戸のモロゾフが広告を出したのが最初だそうだ。

戦後、
私がオギャ~と生まれた頃に
東京都大田区にある
メリーチョコレートも仕掛けたようだが、

全国的に
バレンタインにチョコレート
男女のはずが
女から告白と誤った形で伝わり浸透し

夜の蝶だけでなく
昼間の生保レディーや
ヤクルトレディーすら
義理チョコを配りだしたのは

バレンタインはハ~トで♪

以後の'80年代に入ってからのことである。

それを考えれば、
七十年代に
大阪の海苔問屋さんが仕掛けた恵方巻の風習が

全国的に浸透するのに時間がかかり
21世紀になってしまったのは
当たり前のことなのかもしれない。


──なんてね。
どこまで本当なんだか
あんまり本気にしないでね


なお、
本文中に出て来た"花街"という言葉は
正しくは"カガイ"と読むのだそうだ。
花街を"はなまち"と誤読するようになったのは、
三善英史が歌った「丸山・花街・母の町」という楽曲が出てからだそう。

いつぞやラジオで
最近はNHKのアナウンサーまでが
花街を「ハナマチ」と読みやがる
と花街の方が怒っておりました。

また、
ラヂオ焼きは
現在のタコ焼きのように
丸い形をした食べモノで
中の身(具)が違うらしい

ラヂオ焼きというのは
モダンな感じがするからというのと
丸い形がラジオのボタンをイメージするから
という説があるらしい。

YouTubeを探したが
'71年当時の不二家のハートチョコのCM
バレンタインはハ~トで♪
はないようだ。

YouTubeには
'77か'78年版のものがアップされていたが
CMソングは別モノである。

なお
バレンタインデーも
ハロウィン、クリスマス同様
本来はキリスト教徒と関係のない行事だったようである。


不遇な2月

2010年01月24日 | Weblog

子供の頃から
不思議に思うのが、
お正月の時期である。

どうして
年の初めが
冬のさなかにあるのか
不思議でならないのだ。

冬の
それも初め頃という
中途半端な時期が
1月1日であるおかげで

10月や11月ごろに
某地方で初雪が観測されました
などと報道されても

ぬぁに言ってんのさ
雪は今年初めの
1月・2月に降ってたじゃん
今年初めてじゃないでしょ
と言いたくなるし、

今年の冬は暖かく
初雪は例年より遅く
1月にずれ込みそうです

などと
言われたら

1月に初雪って
その方が正しくないかい?

とひねくれたくなるのである。

太陽を公転する軌道上に
ココがスタート地点です
という目印があり
それが丁度お正月の時期にあたります

というのなら納得もしようが
宇宙空間にそんなものがあるとは聞かない。

昨年の暮れに紹介した
クリスマスの原型となったといわれる
ミトラ(ミトラス)教のお祭りは、
一年で一番昼が短い冬至の日に太陽が死に
その後蘇るというような神話(?)から
きているそうだが

それならば
冬至を大晦日に、
その翌日を元旦とすれば
よさそうなものである。

だが、
そうはなっていない。

冬至に死んだ太陽が蘇るには
十日ほどの日数がかかるのか?

だから
この時期は
ただ単に"Merry Christmas"でなく
"Merry Christmas and a Happy New Year"
のワンセットなのかもしれないが──

たとえそうであったとしても
どうにも肌感覚があわない。

四季のある国で生まれ
育ったせいなのかもしれぬ。

子供の頃から
春夏秋冬というくらいだから
正月は冬ではなく春のほうが
しっくりくるのではないかしらんと思うのである。

だから
正月は梅の花がほころぶ
旧正月のほうが最適ではないか、
昔の日本人のほうが
肌感覚が正しいとさえ思うのだ。

だが、
旧正月という奴は
毎年毎年あちこちに移動して
落ち着きがないのがいけない。

年の初めというのは
その年の起点である。

何事も起点が
ズレるのは好ましくないし
なにより春の兆しとはいえ
まだまだ肌寒くていけない。

もう少し暖かい
桜の花の咲く頃がいいのではと思っていたら

なんでも
古代ローマでは
現在の3月にあたる月が
年の初めだったそうである。

その名残りは
英語の月の呼称にも残っているそうで

英語で
10月を意味するOctoberのOctは
Octave(オクターブ:8音)や
八本足のOctopus(タコ)のように8を意味し

12月のDecemberのDecも
deciliter(デシリットル)
decimal(十進数)のように10を意味するらしい。

他にも
9月のSeptemberはseven
11月のNovemberがNineを
意味する言葉からきているようだ。

つまり
これらの月を
古代ローマ時代のように
3月を年の始めとして換算すると

Septemberが7番目で
Octoberは8番目の月となり、
Novemberが9番目そして
Decemberは10番目の月となるわけである。

以上、
参考文献は
うんちく本ではなく
初版が昭和50年の旺文社「英和中辞典」

なお、
英語の月の呼称は
2カ月ずれた数字ばかりが語源
というわけではないようで

7月がJulyなのは
英語読みのシーザーことカエサル
"Julius Caesar"が7月生まれだから
というように別の由来もあるようだ。

他に6月のJuneも
人の名前のようだが
興味がある人は調べてね
貴殿が持っている
英語の辞書にも載ってるかもよ──
である。

閑話休題

なんでも
古代ローマ時代は、
1年は十カ月だったという話も
聞いたことがあるが

それはさておき

古代ローマ人は
暦を作る時に
3月を年の初めとして
1年365日を十二の月に
振り分けたそうである。

どういう神経で──

いや、
どういう理屈で
1年365日をそれぞれの月に
振り分けたのかは知らないが

結局うまいこと
均等に割り当てることができず
最後の月の日数だけが
半端な日数になってしまったという。

そして
半端ついでに
4年に1度やってくる
厄介なうるう年の閏日も
この最後の月に押し付けたらしい。

で、
そのあわれな
最後の月が現在の2月。

2月だけが
28日しかないのも
うるう年の閏日を
2月につけるようになったのも
そんな理由からだと聞いた

──が、本当かどうかは定かではない。


ただ、
古代ローマのように
現在の3月が
年の初めの方が
肌に馴染みやすそうではある。

日本の
学校やお役所の年度とも
そうたいしたズレもないし。