音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調 (ヨハン・セバスチャン・バッハ)

2009-07-12 | クラシック (協奏曲)


バッハはヴァイオリン協奏曲を3曲書いていて、第1番イ短調(BWV1041)、第2番ホ短調(BWV1042)と、もう1曲がこの「2つのヴァイオリンのための協奏曲」(BWV1043)であり、その名の通り2曲はソロのための曲であり、この曲は二つのヴァイオリンの掛け合いで構成されている。どの曲も美しい、そして如何にもバッハらしい旋律であるが、例えば、チェンバロ協奏曲でも同じメロディがあり、それを考えるとこの3曲の中では、最後の2つのヴァイオリン曲が良いと思う。ただ、「協奏曲」といってもバロック時代のものは、ソナタ形式を核としたものとは全く違う。この時代は、リトルネッロという形式で、これはヴィヴァルディが確立した当時の協奏曲の原理で、トゥッティ(全楽器の合奏)とソロ(ヴァイオリン独奏)が交替で繰り返される形式を基本としている。だが、ヴィヴァルディの「四季」がトゥッティとソロの交替が極めて単純明快なのに比べると、この楽曲ではそのバランスが均等ではない代わりに、それぞれの長さを変えることによって曲の起伏を出そうとしている点が注目される。

よく、クラシック音楽を聴きつくすと最終的に行き着くところはバッハかモーツァルトだと言われるが、私は、音楽というとてつもなく大きな世界を聴きつくすしたり、極めたりなんてことが多分できないだろうから最終的にどちらにもたどり着けないと思う。しかし、言えるのはバッハは今ですら大作曲家として賞賛しているが、私自身のバッハに対する評価は、それまで色々なところにあった音楽らしきものを、西洋音楽という括りを作ってそれをきちんと整理した人だということだ。そして、その作業をするために恵まれた才能と与えられた環境が、他の音楽に関わっていた人たちより、ほんの少しだけ良かっただけだと思う。だから、人はモーツァルトやサンサーンスのことを天才と呼んでも、大バッハのことは天才といわない。天才ではなく、コツコツと自分に与えられた仕事をひとつひとつここなしていったのである。であるが、例えば、その整理作業中に、過去の人たちよりも、ほんのすこしだけでも進歩や新しさを発見すると、自分の記録として残していった。残したのが五線譜だったので彼は見事に西洋音楽を確立させたという評価を与えられたのである。バッハの協奏曲とヴィヴァルディの協奏曲のほんの少しの違いだが、バッハは、この僅かな違いや自分の試みを臆することなく現実のものとして世間に発表したが、いわば、バッハの功績とはその繰り返しなのである。カンカータなんかもそうである。だから好き嫌いは別として、迷ったときはバッハに帰れが、私自身の習慣(何に迷うんだ???)でもある。そして、私のような音楽挫折の中途半端な人間にもきちんと回答してくれるがバッハの音楽である。


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