音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

セブン&ザ・ラグド・タイガー (デュラン・デュラン/1983年)

2010-05-02 | ロック (イギリス)


ニューロマンティックバンドの中で、恐らく日本で最もヒットしたバンドといえば、このデュラン・デュランであろう。無論、ポリスやU2が長い時間を掛けて築いたレコード・CD売上とか記録的な部分には及ばないだろうが、当時の音楽ファン、特にティーンエイジャーの心を掴んだのは、このデュラン・デュランであろう。彼らは、例えば、ベイ・シティ・ローラーズとか、クイーンとかと同じ感覚で、この音楽を日本に上陸させた。そして、音楽も容姿もビジュアルな部分の、新しい文化を日本に紹介したと言えよう。特に、ディスコティックがソウル一色であった六本木や赤坂の音楽指向までも、英国に向けてしまさったという功績は大きい。

日本上陸以前に全米でも彼らは高く評価された。特に「シングル・アーティスト」というイメージが強く、このアルバムにも収録されている、"The Reflex"と"New Moon on the Manday"更に"Union of the Snake"は、彼らの代表曲として大ヒットし、勿論、日本でもこの時代に東京の中心地では何処へいっても有線放送からデュラン・デュランが流れていた。だが私的には、なにかこの3曲はサビの部分が全部似ていて、改めて聴かないとどれがどの曲かは判別できなかったことも記憶にある。このバンドが流行したひとつの特徴として音楽のアレンジが大変上手だったことが特筆できる。例えば、全米第1位シングルにもなった"The Reflex"は最初にシングル・バージョンがあり、次にアルバムバージョンは別のアレンジで、ただこれくらいの違いは、当時の「商業音楽主義」からは、特にシングルヒットメーカーのアルバムを売る時には必須条件でもあったが(日本のミュージシャンも良く真似ていて情けないと思った・・・)、このバンドはそれ以外に、○○ミックスだの、なんだの色々なバージョンを出したり、また当時、正規のアルバムという括りではなく、リミックスアルバムを出したりしていた。この辺りの商才にも長けていたのかもしれないし、それらのニューバージョンをいち早くキャッチし、音楽提供したという意味では、ロンドンもニューヨークも東京も、ディスコティックが同じ視線と感覚でいたことに、新しい最新音楽発信基地としての役割を担った。この英米日の統一感を作り出した点は大きく、私の知る限り、その最初がこのデュラン・デュランであったために、この後のニューウェーブ、並びにニューロマンティック系アーティストが、幅広くこの日本にも受け入れられるようになったことに貢献したのである。一方で、このバンドの時代は、丁度、アナログからデジタルに、音楽コンテンツが切り替わる次第でもあり、また、映像と音楽が一体化して評価される時代でもあったので、そのルックスも評価されたのが大きかった。

今、当時と同じアルバム選曲は、恐らく再発されたLPしかなく、CDになると同じ曲の○○バージョン・てんこ盛り仕様になっている筈だし、ネット配信できる現在、アルパム発売当時とは違って、好きなものを個人が選曲できる時代だから、この商業音楽手法は通用しないかもしれないから、このバンドが今デビューしたらこれほど受けたどうかはわからない。ただ、一時期とてつもなくヒットしたという記憶には残っているバンドで、ニューロマンティックというと、音楽性云々(決して彼らの音楽性が低いとは言っていない)ではなく、第1にデュラン、第2にカルチャー・クラプを大方の人が思い出すのではないだろうか・・・?


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