音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

弦楽四重奏曲第67番ニ長調「ひばり」 (フランツ・ヨーゼフ・ハイドン)

2009-07-24 | クラシック (室内音楽)


食わず嫌いという言葉があるが、当然、音楽だってそういうものもある。例えば、音楽のジャンルで言えば、私はシャンソンなんてその部類に入ると思う。というかシャンソンって音楽のジャンルとして確立しているのだろうかとも思うし、どちらかというと先にカンツォーネありきで、イタリア民謡があったからこそ、それをフランス語で表現した。それに、どうも日本でのシャンソンの扱われ方とか取り組み方が余り好きではなくて、なんか、特権階級に居るような自己満足をもっておられる気がして嫌なのだ。まぁこれは私の回りにいる輩の話だから、そのほかのシャンソン・ファンの皆様には申し訳ないが・・・。

クラシック音楽で言うと、ズバリ、このハイドンは食わず嫌い王である。なぜかっていうと、まず時代的にどうも面白くない。バロックでもないし、確かに功績としては、交響曲の父であり弦楽四重奏曲の父だと言われるほど沢山の楽曲を残したが、交響曲だって、弦楽四重奏曲だってベートーヴェンまで来ないと本当に音楽的に面白いものではない。というか、先にベートーヴェンを聴いているから、どうも聴く気がしない。勿論、親交のあったモーツァルトとの比較が出来るわけであるが、弦楽四重奏曲は、所謂、ハイドン・セットでハイドンより先に極めてしまっている。交響曲に至っては、モーツァルト自体も然程真剣に取り組まなかった様で、名曲もあるが駄作も多い。寧ろ、ピアノ協奏曲の方に創作活動としての力が入っている。そして、ハイドンには、それ以外に聴くべき曲があるとしたら、オラトリオくらいであろう。ヘンデルも同様であるが、ただ、ヘンデルとの出会いがオケとの出会いだったので、やはりハイドンだけが食わず嫌い王になってしまっている。

しかし最近、弦楽四重奏曲にしても、交響曲にしても、音楽家たちがこれをどのように工夫し変えてきたのかということに対してはっきり把握するには、やはりそのルーツをしっかり抑えないといけないと思いつつ、そうなると急にこの音楽家は大事なポジションに居ることが分かって、嫌いという訳には行かなくなってきた。交響曲にしても、弦楽四重奏曲にしてもポイントはソナタ形式である。この67番「ひばり」の第1楽章はソナタ形式の教科書みたいな作品である。しかも導入部はひばりが鳴いている、大空高く舞い上がるという想像をさせるほど特徴のある独特の音を出している。特に、分かり易いのが第2主題で、これは第1主題が余りにも美しい旋律なので、次が旋律らしくないから、皮肉にも余計に良くわかる。ただ。残念なのは第4楽章が大変簡単に終わってしまうことにある。殆どといって印象に残らないが、それは、やはりハイドンの弦楽四重奏曲の中では名曲とされる、第17番へ長調もそんな感じだから、この曲はソナタ形式の入門編だと思えば良いと思う。

「ひばり」というのは聖書では空高く舞い上がるという象徴であるから、ハイドンが意識的にこのソナタ形式の中にも美しい旋律を作り上げたのか分からないが(「ひばり」の表題命名に関しては作曲時かどうかはっきりとしない。ヨハン・トストというハイドン楽団のヴァイオリニストに献呈され、トストが後に書き加えている)、ソナタ形式は西洋音楽の基本となるのである。


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