音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

香港庭園~ザ・スクリーム~ (スージー・アンド・ザ・バンシーズ/1978年)

2012-11-21 | ロック (イギリス)


セックス・ピストルズによるロンドン・パンクの隆盛は驚くほど一瞬であった。ポピュラー音楽の中で、これまでにも幾つかのムーヴメントは介在したが、かくも短かったブームというのも他にあんまり例がないが、考えてみれば、丁度10年前のサイケデリックも音楽ムーヴメントの一つと考えると、10年後のパンクと同じくらいの短い期間だったかもしれない。ただ、ひとつだけ決定的に違うのは、ロンドン・パンクの場合はピストルズで始まりピストルズで終わったということ。しかも正式なアルバムは「勝手にしやがれ」の1枚だけだったこと。筆者的に言えば、ロンドン・パンクはこの1枚だけなのである。但し、後世に残した影響、あらゆる音楽を開花させた功績は大きい。これは、このパンク・ロックというのがポップ音楽の中で唯一、70年代にオリジナルとして誕生した貴重な存在(それ以外の音楽の基礎はすべて60年代に出来上がった)であり、それは同時に大変価値のあることだ。

で、このスージー・スーは、そもそもが、ピストルズの親衛隊であったことは有名である。しかし、彼女の評価はデビューした頃ではなく、寧ろバンドとしては中期から後期にかけてが高く、スージーの奇抜なメイクやファッションから、ゴシック・ロックの元祖的な存在となったことが彼女の存在価値を大きく上げた。だが、筆者は(無論、当時からその要素はあったが)スージー・アンド・ザ・バンシーズのデビューアルバムが最も好きである。この作品にみられる彼女の音楽は流石にピストルズの親衛隊だけあって、そのサウンドの基盤は間違いなくパンクにあるのだが、ある意味ではピストルズのパンクにはなかった、強烈なサウンド展開は最初に聴いたときには大変驚いたものだ。筆者的には当然、この時分にはNYパンクの大姉御、パティ・スミスにかなり填まっていたが、それはパンク音楽がよく勘違いされる「アナーキズム」ではなく、NYパンクに共通するインテリ性であった。しかしロンドン・パンクが追い求めた、「ロックの衝動」という部分にそのインテリ性は見事に玉砕したという見方をされた。無論、ロンドン・パンクとNYパンクを現代において同軸で語る者はいないと思うのであるが、しかし、当時まだ、両者の中に「パンク」という共通語しか紹介されていなかった一リスナーからしてみれば、やはりこのスージーのヴォーカルっていうのはピストルズを継承している凄い女性ヴォーカルバンドだって単純な評価しかできなかったのは事実。だが、この作品を何度も聴いている内に、スージーの奥底にある一種、暗澹冥濛な部分は恐らく根本的に彼女を支配しているのであろうが、一方で、音楽的素養としてそれらを打開しようという意欲に満ち溢れている。特に"Switch"はまるまる1曲がそういう変化に富んだ楽曲で、このアルバムの中でも最も印象的に仕上がっている。更に、ビートルズの名曲”Helter Skelter”は結構多くのミュージシャンがカバーしているが、このバンド独特のアレンジは中々で全く違う曲にも聴こえるし、一方でちゃんと「ヘルター・スケルター」になっている。更に最初は入っていなかったが後にテイクされた”Hong Kong Garden”のオリエンタルなアレンジもスージーの声質に合っていてこのアルバムの中では流石に浮いているものの、このバンドのその後の方向性を示唆している曲である。

ロンドン・パンクは一時期であるが時代が欲していたロックの軌道修正だったんだと筆者は思っているが、一方で商業的に「過激」に扱われたことが、ロックの黎明期とは環境が違っていた事である。だからピストルズは1枚で良かったし、彼らに共感を受けたバンドは次の場面を求めていた。そういう相乗効果があったからパンクの価値があったのだし、スジバンの様な21世紀でも通じる音楽がこの時代には多く生まれたのである。


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