音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

永遠の詩 (レッド・ツェッペリン/1976年)

2010-07-29 | ロック (イギリス)


レッド・ツェッペリンの最初で最後のライヴアルバムである(但し、彼らが解散後に2枚のライヴを発表しているが、まぁ、ファンとしては活動とリアルタイムでないものは作品と考えて良いのかどうか疑問であるから)。しかし、このアルバムは大変評判になったと同時に、「狂熱のライヴ」という映画化もされた。映画側からみればこのアルバムは「サウンド・トラック盤」であるらしい。

だが、はっきりいってこのアルバムに映像はいらない。というか、私自身は映像を見てしまったために逆にがっかりしてしまったのである。レッド・ツェッペリンは、1971年、72年の2度来日した。勿論、私はこのライヴを見に行っていない。だが、このアルバムが凄いのは、一度もゼップを見ていないファンに取っても、そのステージがどんなものだかという映像の想像が可能にしてしまうほど、とても興味深いアルバムなのである。無論、例えば「BBAライヴ」より凄いかと言われたら、答えはNOだ。或いは、パープルの「ライヴ・イン・ジャパン」と比較しても、勿論、パープルの方がずっと良い。そう、ライヴアルバムとして果たして名盤かというと、かなり疑問符が付いてしまうのである。だが、なぜ。このアルバムが凄いのかと言えば、このアルバムには、聴いた人が聴いた数だけ違った印象を持てる、ファンとっての「オリジナル・ゼップ」をそれぞれが作れることができるのだ。私も大好きな(だったが正しい?)ロープレゲームの代表作「ファイナル・ファンタジーⅢ」で、初めてジョブシステムと題して、キャラクターを好きな仕事に就かせることができるというオリジナリティー発表したのが1990年のことで、それよりも早く、ゼップは音楽の土壌でファンの持つオリジナリティーを実現させた。その点がこのアルバムの価値なのである。例えば、「ロックン・ロール」で始まるこのコンサート。しかし、これがゼップだから良いようなものの、もし、他のバンドだったら、こんなロックンロールナンバーを冒頭からやるだろうか。普通のバンドなら顕かにアンコール・ナンバーである。続く、「祭典の日」は1曲目を引き継いでの流れだが、スタジオ録音曲とは随分印象が違うだろう。そして、「永遠の詩」。アルバムタイトルにもなっているが、丁度ライヴの録音時期が「聖なる館」の発売直後だったために、ステージではそのアルバム紹介のナレーションが入っているが、この曲はそもそも「レインソング」への繋ぎの曲で、いわば「序曲」でインストルメンタル曲であったのが、「聖なる館」の録音中にロバート・プラントによって詩がつけられてこの形になったが、それが正解だったことを誇示すねような演奏っぷりであり、強弱やメリハリもしっかりしている。私は知らないが、前述の1972年の来日の際にも「ゼップ」と紹介していたから、レコード発表前から、この曲は彼らのファンの動向を曲作りに活かしたのだという言い方もできる。私は好きな曲だが、意外だったのが、「ノークォーター」の収録であった。これはジョン・ポール・ジョーンズの曲であるが、ベーシストでなくキーボードで参加している、いわば、彼の見せ場でもある。だが、面白いのは、その次が「天国への階段」で、これは何と言ってもジミー・ペイジの見せ場、そして、「もピー・ディック」はドラムソロ、ラストの「胸いっぱいの愛を」は、無論、プラントがヴォーカリストとしてその可能性を追求している(単に遊んでいるという解釈もできる)。こんな曲の順番だが、もし、これを実際のコンサートでやったらどうなるのだろうか。これは、ライヴの編成でも無ければ、ある程度実際のライヴを想定させるライヴアルバムの構成だとしても厳しい。だが、そこに、ファンひとりひとりの想像力が働き、映像となって脳内を駆け巡る。過去にこれほど、音源だけで、ステージ風景を想像させることのできたライヴアルバムがあるだろうかと、その辺りが良いのである。

このアルバムは前述した要素が、逆にオーバーダビングだったり、映画とは違う場面があったりなど、賛否両論あった。また、初めてのライヴに対する選曲の不満も多く、随分後になってから「最強盤」と題したアルバムが追加発表されたが、この中では、やはり「あなたを愛し続けて」と「ハートブレイカー」が矢鱈良いと思ってしまうのは、どうも私はやはり初期ゼップのファンだったのかと思い直してしまう。


こちらから試聴できます(最強盤)


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