音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

アウト・オブ・アワ・ヘッズ (ローリング・ストーンズ/1965年)

2011-07-18 | ロック (イギリス)


ビートルズストーンズに関しては、このブログでもそうだが、どうしても体系的にバンド活動を把握するのが難しい。どうしても「リアルタイム」でないというのがその理由であるが、それでは単なる逃げ口上になってしまう。最近、気がついたことだが、私は自分で思っているほど音楽そのものに精通していないのが総じてその理由なのだと考える様になった。要するにビートルズの本当の意味での良さを理解できたのもここ10年くらいだし、ストーンズに至っては、未だ、彼らの作品を通しで全部聴いたことが一度もないし、自分の持っているアルバムが英仕様なのか米仕様なのかを確認したことも無い。(大体、アメリカ発表盤を持っている筈なのだが)。

ストーンズを語る時にいつも引っかかるのがブライアン・ジョーンズの存在である。これも、私がストーンズと本格的に出会ったのは1973年頃だから、ブライアンは既に他界していた。しかし、そこは何故か、ジャニスやジミヘン、ジム・モリソンと同じ、この世に居ないことへの必要以上な感慨と切望が働いたことも事実である。この作品は英で3枚目、米で4枚目に当たるが、私のコレクションはLPもCDも米仕様。なぜならあの名曲「サティスファクション」が収録されているからである。この曲の大ヒットで事実上ストーンズは変わった。全米のシングルチャートで4週連続No.1となり、ビルボード誌の1965年年間ランキングでは3位となった。また、ストーンズにとって初のミリオンセラーシングルであるこの曲の勢いもあって、このアルバムはストーンズ初の全米No.1を獲得したのである。これは同時期にビートルズが「ラバーソウル」で全米No.1を獲得し、それと同時にそれまでのビートルズ音楽を一蹴したセンセーショナルな事件に比べると余り重要視はされていないが、実は大変なことであった。要は、ストーンズの根本が崩れていくきっかけとなってしまったのは残念なことであるが事実である。「白人の観客の黒人のブルースを」、それが結成時からのストーンズの、ブライアンの音楽指向であり、当時のアメリカ社会を逆行する崇高な意思であった。そして、それを壊したのは、いつの時代にもミュージシャンの才能を食い物にする醜いプロモーターという名のハイエナ達である。結果、いつも「メンバーの仲違い」で片付けられるのは、ストーンズもビートルズも一緒である。しかし、音楽ファンなら分かる通り、例えばこの作品に、或いは「リボルバー」に、メンバーの仲違いというキーワードを探しだせるであろうか? どの曲に、どの小節に、どの音符にそれが見つけられるか? 音楽なんてそんな理屈ではなく、自己表現以外の何ものでもないことが、この作品を聴いているとよく分かるのである。

このアルバムも名曲が多い。そしてそれは「時代」が作用していることが最近漸く分かって来た。そう、ロックという音楽の大半は1965年から1968年に完成してしまったのであり、そう定義づけるとロック音楽を理解するのが、とても簡単になってしまうのである。


こちらから試聴できます。


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