音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

ライヴ!(ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ/1975年)

2011-08-28 | その他のジャンル


このブログを始めてからずっと、「夏」になったらレゲエ・アーティスト作品のレビューを書こう、書こうと思っていて、いつも忘れてしまっていた。で、今年も既に暦の上では「秋」。しかし、今日は久々に暑かったので、この日を逃してはいけないと、兎に角1枚でも書いておきたい。海には行ってないが、シテュエーションは脳裏に想像し、窓から家の前を流れる隅田川を見ながら。

レゲエで真っ先に浮かぶ作品は、なんといってもこの1枚、ボブ・マーリー&ウェイラーズの「ライヴ!」。レゲエで1枚作品を選べと言われたら、私は何も迷わずこの作品を選ぶ・なぜなら。この作品はレゲエというジャンルのみならず、とてもスタンダードなポピュラー音楽の記念すべき1枚だからである。例えば同じボブのライヴ・アルバムでも、作品の出来を考えたら"Babylon by Bus"の方が聴きごたえはずっとあったりもする。また、スタジオ盤でも"Exodus"の方が斬新で面白かったりもする。しかし、どうしてもこの作品がいいのかというと理由は幾つかあって、まずひとつはメンバーである。このライヴは新生ウェイラーズの公演であったことと、そしてその場所がイギリスで行われたことだ。この豪快なライヴは後々にイギリスのミュージシャンと音楽ファンに強烈な印象を残し、それが、パンクの後に来るニューウェーブに多大な影響を与えたということは音楽ファンには周知の事実である。このサウンドを初体験した当時にイギリスっ子はこの虐げられた第三世界の音楽を如何に受け止めたのか。かくして、ストーンズから10年、R&Bも、そしてある意味ソウル・ミュージックもすんなりと受け入れた英国の音楽シーンというのは決して寛大なんかでなく、強烈なメッセージの発信力を失った、もはやアメリカ音楽大市場に完全に飲み込まれた一部と成り下がっていた。そう、簡単にいえば、イギリスは発信力を失ったというよりも実はそれ以下で、発信する理由すら見失っていたのである。そんな中で、このジャマイカの小島の音楽パワーは彼らに生命力を与えたといっても過言ではない。それが、70年代後半の新しいポピュラー音楽のムーブメントに繋がる。それは67年に、アメリカに渡ったイギリスのミュージシャンが発信したのではなく、本国からの発信であった。そしてそれは80年代以降、今にも繋がっている。その母体となったのがこのツアーであり、このライヴ・アルバムなのである。アナログ盤でいうところのB面の3曲はまさに圧巻だ。そしてこれは、誇り高き英国人が何世紀振りかに、いやもしかしたら殆どはじめて聞いた「魂の叫び」であったの違いない。

私事であるが、私はボブの死を暫く知らなくて1981年に行きつけの渋谷のpubでBGMにこのアルバムが流れたとき、一緒に飲んでいた友人からその事を聞き、ショックでテーブルを引っくり返した序に、自分もひっくり変えるまで飲んだ。恐らく人生最初の自分を失うまで飲んだ(最近はしょっちゅうだが)夜だったと記憶している。彼の死から3ヶ月以上たった、そう今日みたいな暑い残暑の日だった。


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