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近年、ショックだったのが、ハイドン絡みの2曲に関して、まず1曲は「おもちゃの交響曲」がモーツァルトの父レオポルド作曲だったという事実と、この17番がハイドンの作品ではなく偽作であるということ。勿論、この曲をレポートに選んだ当時はそんな究明がされていなかった。
本年2009年は没後200年になる「ハイドンイヤー」であるらしいが、然程盛り上がってないし、「熱狂の日」もハイドンでなく、バッハがテーマであった。私的には没より、メンデルスゾーンの生誕200年だから、勝手に「メンデルスゾーン・イヤー」にしてしまっているのであるが。ただ、幼い頃から、やはり聴き分けが難しいのが、ハイドンとウォルフガングの弦楽四重奏曲であった。尤も、私が本格的に室内音楽を聴きだしたのは、もう少し後のことであるから、実はこの当時はハイドンは「交響曲の父」という印象が強かった。しかし、当時なぜ、その数ある交響曲の中から鑑賞曲を選ばなかったのかというと、それはやはり先にルートヴィッヒの交響曲を聴きつくしていたからに相違ない。ルートヴィッヒと比較すると、ハイドンの交響曲はなんと単調なものばかりなのだろうと思うし、同時に、弦楽四重奏曲に関しても、ウォルフガングには「ハイドン・セット」といわれる名作が残っているし、さらに、その後にはルートヴィッヒが素晴らしい楽曲を書き上げ、さらには(大変勝手な意見だが)、我が愛するヨハネスの弦楽六重奏曲に繋がっていると思うと、確かにクラシック音楽の方向性を導き出した点、且つ、それに向かって作曲した、「沢山の楽曲群」の試みに関しては敬意を表するものの、残念ながらそれ以上ではない。
この楽曲を選んだのも、そんな「交響曲の父」が一方で「セレナード」(第2楽章のみ、別の名曲オムニバス版で聴いた)のような繊細な名曲を作曲していて、たどってみたら弦楽四重奏曲第17番だということが分かったというバッハの「G線上のアリア」と同じパターンだったからである。この随分後に、67番「ひばり」、76番「五度」、77番「皇帝」という名曲を知ることになるのだが、「ひばり」なんかと聴いているとやはりウォルフと何が違うのだろうと思ってしまう。そして、ハイドンファンには申し訳ないが、なんと退屈なんだろうと思ってしまうのである。
ただ、この第2楽章の「セレナード」だけは名曲で、オムニバスの定番だと言うことは否定しない。だからこそ偽作が事実ならショックなのである。
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