音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

ショウビズ (ミューズ/1999年)

2012-03-18 | ロック (イギリス)


ミューズというのはギリシャ神話のムーサ(音楽・舞踏・学術・文芸などを司る女神Musa)の英語名であるが、このバンド名の由来かどうかは詳しくしらない。だが、このバンドは実に興味のある活動を行なっているのは事実である。この作品は彼らにデビュー・アルバムで、この作品が発表されたときに、ロックの行き場が一体どうなってしまうのかという時代でもあったから、色々な言い方をされた。このことに関しては後述するとして、私がこの作品を最初に聴いたとき思ったことをはっきり言うと、正直、英国版"L'Arc~en~Ciel"だと思った。勿論、ラルクは丁度、この頃活動の絶頂期にあったが、流石に英国の片田舎までラルクが知られている訳がない。しかし、そう思ったのはラルクというのは当時のジャパン・ロック界において、類稀な高い音楽性を持っていて、個人的には世界に通用すると思っていた。特に、当時はレディオ・ヘッドがやはりその高い音楽性を認められていた。ジャパン・ロックでいえば(またこんなことを言うとファンに怒られる・・・)B'zやGLAYみたいな、洋楽の焼き直しとも、サザンの自己満足な音楽とも違っていて、"L'Arc~en~Ciel"はちょっと凄いものを持っていた。しかし、結局この狭い島国で終わってしまうのは残念だ。ラルクのことはもし機会があったら、このブログにも書くかもしれないが、それがミューズの第一印象だった(個人的には、ヴィジュアル系としてではなく、ラルクがヒットしている日本人の音感には少しだけだがほっとしているのだ)。

ミューズと、やはりこの直後にファースト・アルバムを発表したコールドプレイのルーツは完全にレディオ・ヘッドにある。レディオ・ヘッドは「オルタナ」の部類(私はオルタナの代表として考えているが)には属さないという意見が多いが、それは彼らの持つプログレッシブな要素のせいである。しかし、この当時、もうプログレは完全に過去のものになってしまった。フロイドが「ウォール」を発表したこと、そしてイエスが「90125」で大きく変わったこと、勿論それだけではなく、音楽自体が70年代より、その資質としてプログレッシブな要素、あるいはエレクトリックな要素が不可欠になってしまったこと、そしてテクニックの向上は当たり前どころか、楽器だけではなく、コンピュータも使いこなせないと成り立たないものの変形してしまったのである。そのために、敢えて「プログレ」という領域の音楽はやらなくなってしまったに等しい。だが、レディオ・ヘッドはそこが違っていて、自分たちではわざわざプログレなんて名乗らないが、完全にその要素を飲み込んでいたのである。そして当時はトラヴィスなんかも、最初はオアシスをリスペクトしていたが、この頃は完全にレディオ・ヘッドのフォロワーになっていた。このミューズもそんな流れを持っていたのだが、しかし、このファースト・アルバムから、後々のミューズの活躍は全く想像できなかった。ミューズほど、アルバムを出す毎に評価をあげ、ファンを増やしていったバンドも近年、稀な存在であろう。だが、この作品も決してクオリティが低いものではない。そう、なにしろ「英国のラルク」だと思ったほどなのだから。

私もこのバンドの音楽はどんどん好きになっていった。そして、レディオ・ヘッドもまた、あの「キッドA」という決定打を出し、その後も更に良くなっていく。音楽というのはこの様な相乗効果が出てくるから面白い。ポップ音楽は21世紀になって、新しい領域に入っていった、そんな序章的存在であるこの作品、このバンド。流石に音楽の女神「ムーサ」なのである。


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