サザン・ロックと言われたジャンルがあった。1960年代のクリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)あたりがその発祥であろうか、私はアメリカン・ロック通ではないかに良く分からないが、基本的な定義は、旧アメリカ南部連邦諸州出身のバンドということらしい。勿論、そうでないメンバーもいるが、もうひとつは、バンドのリーダーは白人らしい。そう聞くとなにかとても歴史的政治要素の強い音楽だと思ってしまうのだが、決してそんなことはない。
サザン・ロックと言って私がすぐバンド名を思い出すのはふたつ。ザ・バンドとこのレーナード・スキナードであるが、ザ・バンドは実はカナダのグループであって、正確にはレヴォン・ヘルムだけがアメリカ人である。また、オールマン・ブラザーズもサザン・ロックだと言われるが、私的にはあのバンドはどう考えてもブルースロックである。だから、正統なサザン・ロックというとどうしてもレーナードを第一に思いつく。そして、実は最初にきちんと聴いたアルバムがこの作品であるが、このバンドは例えば、「スウィート・ホーム・アラバマ」という名曲があったり、更に伝説のライヴ映像はしょっちゅう、テレビでも流れていて、ある名曲「フリーバード」のライヴ演奏はアメリカン・ロックの歴史を象徴するステージ映像だと思っている。なので、例えアルバムをしつかり聴いていなくてもこのバンドの魅力は十二分に把握していた。だからこそ、衝撃的だったのが、このアルバムを出した後のワールド・ツアーの最中の飛行機事故であった。当時あのニュースはまだCNNジャパンもなかったのだから当然リアルタイムではなく、NHKの海外ニュースでも取り上げられなく、確か全米トップ40が最初だったと思う。とてもショックであった。しかもこのアルバムでは、メンバーが炎を浴びていて呪われたジャケットだと当時必要以上に注目されてしまった。無論、アメリカでは人気バンドだったが、この呪われたアルバム・ジャケットの話題は世界を駆け巡り、妙なことで有名になってしまったバンドであった。ただ、この作品は音楽的には彼らの作品の中では可なり洗練されていて完成度も高い。そして、何処か、それまでのサザン・ロックから大きく一歩踏み出した印象があった。特に最初の3曲はレーナードなのだけれどサザン・ロックっぽくないというサウンドであり、また、3曲目の「ワン・モア・タイム」は「フリーバード」に繋がる要素もあり、悪い言い方をすれば商業っぽさが前面に出てきたというか、アメリカ音楽ファン好みの作品になっていた。そんなレーナードは残念な一方で、逆に今考えると、最後になってしまったメンバーがもし、この結果に満足していたのであればそれで良かったなと思うのみである。
しかし、彼らは復活した。レーナードはなんとかその名前で活動を続けているし、途中で38スペシャルという、ヒットメーカーの活動にも繋がった。フリーバードはフェニックスだったのだと改めてあの名曲に拍手をしたいのだ。
こちらから試聴できます