燕のため風花のため

短歌や文化のみち二葉館(名古屋市旧川上貞奴邸)の文学ボランティア活動(春日井建の蔵書整理)を紹介します

文学ボランティアメモランダム・23

2007-01-24 | 文学ボランティア・メモランダム
年が明けてからはじめてのボランティアの日、新しいノートをめくるような気持ちで二葉館の戸を開ける。

今年は暖冬だが、書庫でずっと座り続けていると、しんしんと足元から冷えてくる。もちろん、暖房ははいっているのだけれども。これは冬だけではなく、書庫は夏でもひんやりとする。それで、かれこれずっと冬も夏でも、ひざ掛けと予備の靴下を持ってくるようになっている。まあー、極度の冷え性な私ではあるのだが。


今日は、歌集の整理が多かった。


伊藤一彦歌集『火の橘』には、春日井建のものと思われる書き込みが少しだけあった。えんぴつとペンの二種類の跡。この歌集の代表歌とされるような、「啄木をころしし東京いまもなおヘリオトロープの花よりくらき」のものにはしるしはなかった。たとえば○がついていたのは、こんな歌である。


われもまた破れをもてば立ちつくし羽をひろげし孔雀に応ふ 伊藤一彦


寒ざむしき朝日なるかな真鴨らに羽摶(はう)て羽摶てと声投げつけし 同


『薫染』は、1928年刊行の九条武子の歌集。平福百穂の装丁。口絵に、武子の肖像写真が掲載されている。着物姿が多い中で、洋装で白い毛皮を首にかけている一枚がなんともゴージャス。麗人と呼ぶにふさわしい。また、この歌集の序は佐々木信綱なのだが、44ページにもわたっている。序というには長いかも。この歌集はなかなかおもしろく、九条武子の歌をもっと読んでみたくなる感じがしてくる。


たたけどもたたけどもわが心知らずぴあのの鍵盤(きい)は氷(こほり)のごとし 
九条武子



春日井の歌集『海石榴』は、たしか前に整理したおぼえがあるのだが、今回ふっと奥付に目がとまる。印刷日が、1977年12月20日で、発行日が1987年1月18日なのである。春日井建と春日井政子のそれぞれの誕生日ではないかと気がつく。


「短歌四季」の、尾崎左永子アルバムの中に、春日井建の姿を見つける。1993年NHK全国短歌大会のときに対談をしている写真である。また、これには、春日井建の歌が三首掲載。


雑木の芽立ちのうへをははらぎて日にきらめける雨の吹き過ぐ 春日井建

雑木々は雨後の光にけぶりたち柔らかき浄衣ふはりとまとふ 同

風象はおのづから見ゆひるがへり芽裏を見せる柳細葉に 同



●本日の蔵書整理(整理順)

森山晴美歌集『畑中の胡桃の木』1985年
伊藤一彦歌集『火の橘』1982年
高瀬一誌歌集『喝采』 1982年
小瀬洋喜歌集『地球遺跡』 1974年
九条武子歌集『薫染』 1928年
春日井歌集『海石榴』 1978年
川田順歌集『寒窗記』 1940年
「東海地域文化研究」創刊号 1990年
「短歌四季」夏 1995年


迎春

2007-01-01 | 日日雑感
明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

元旦もよく晴れて、雪におおわれた山々がとてもきれいに見える。
午後から母と初詣に出かける。今年は、越中稲荷神社(写真)に出かける。小さな頃に時々、お祭りで来たことがある神社なので、なんとなく周りの雰囲気に覚えがある。

おみくじをひくと、私は末吉、母は小吉。あまり変わらないと思ったけれど、母のほうはいいことが書いてあるのに、私のほうは、いまいち。まあ、でも母のほうに、よいことがあるほうがうれしいかもしれないと思う。そう思いつつ、松の枝におみくじをふたつ結ぶ。