C.S.ルイス 作 瀬田貞二 訳
(岩波書店)
ナルニアの国のとある場所で、ずるがしこそうな毛ザルのヨコシマと、人はいいが少し考えの足りないロバのトマドイは、滝から流れ落ちた黄色いもの・・・ものを言わないライオンの死んだあとの毛皮を拾い、それをトマドイがかぶってアスランに扮せば、この国はいずれ自分たちの思い通りになるという悪巧みを考えました。
この偽者のアスランを単に見かけたというものが後を絶たず、そのときのナルニア王・チリアンは心躍らせます。
しかし、星で事象を占うセントールの星うらべは、星ぼしはそのような事実を知らせてはいない、だからうわさを本物と信じていけないと忠告しました。
しかし、チリアンと愛する一角獣・たから石はやはりアスラン出現のうわさをいたるところで耳にします。
しかし、行き着くところで彼らが見たものは、毛ザルがふんぞり返りアスランの唯一の口ききと豪語し、ナルニアの様々な動物たちにカロールメン人のために働くようアスランの名の下に命令をしている姿でした。
どうやらこの企てには、カロールメンのあやしいタルカーンも一枚加わっている様子。あげくに毛ザルとタルカーンはカロールメンのあがめる神タシとアスランは同じ存在だとうそぶくのでした。
チリアンはナルニア最後の王となってしまうのか・・・。危うし!ナルニア。
彼は以前聞いた、違う世界からやってきてはナルニアの窮地を何度も救ったという子どもたちの助けを一心に望むのでした。
そこへ現れたのは、ジルとユースチスでした。
彼らは毛ザルとタルカーン率いるカロールメンとの戦いに備えるべく、策を練るのでした。はたして本当にナルニアは救われるのか!?
最後にはナルニア一の王・ピーターにエドマンド、ルーシー、ディゴリー、ポリーがやってきます。(ここでもうスーザンは、子ども時代の冒険のことはきれいさっぱり忘れてしまい、最後の戦いには参加しません。)
ルイス氏もこのシリーズをどうやって終わらせるか、悩み考えたのでしょうか?
でも悲しい結末ではないので、ご心配なく。
こうやってすべての巻を読み終えて感じるのは、読まれた方のほとんどがおっしゃる、キリスト教の影響が強いということ。
この最後の巻も、ノアの箱舟に似た箇所もあるし、最後などは究極の神の救いを表しているのでしょうか。
え!?そうなの?と思いましたもの。(ナルニアは人々が人生をかけて願う、最後の希望のパラダイス=天国だったのですね。)
どの巻でも作者の感情でだったり、登場人物のセリフにだったりにあらわされている言葉に、「最近の学校ではこんなことも教えないのか!?」というようなものが出てきます。
当時(今も、かもしれないけど)、一般に信心が薄くなっているのかもしれない風潮を憂いてのことなのでしょうか。
あまり仏教国で育っている私たちにはピンと来ない部分もあるかもしれませんが、それを引いても楽しい、読みやすいファンタジーであることには違いありません。
(岩波書店)
ナルニアの国のとある場所で、ずるがしこそうな毛ザルのヨコシマと、人はいいが少し考えの足りないロバのトマドイは、滝から流れ落ちた黄色いもの・・・ものを言わないライオンの死んだあとの毛皮を拾い、それをトマドイがかぶってアスランに扮せば、この国はいずれ自分たちの思い通りになるという悪巧みを考えました。
この偽者のアスランを単に見かけたというものが後を絶たず、そのときのナルニア王・チリアンは心躍らせます。
しかし、星で事象を占うセントールの星うらべは、星ぼしはそのような事実を知らせてはいない、だからうわさを本物と信じていけないと忠告しました。
しかし、チリアンと愛する一角獣・たから石はやはりアスラン出現のうわさをいたるところで耳にします。
しかし、行き着くところで彼らが見たものは、毛ザルがふんぞり返りアスランの唯一の口ききと豪語し、ナルニアの様々な動物たちにカロールメン人のために働くようアスランの名の下に命令をしている姿でした。
どうやらこの企てには、カロールメンのあやしいタルカーンも一枚加わっている様子。あげくに毛ザルとタルカーンはカロールメンのあがめる神タシとアスランは同じ存在だとうそぶくのでした。
チリアンはナルニア最後の王となってしまうのか・・・。危うし!ナルニア。
彼は以前聞いた、違う世界からやってきてはナルニアの窮地を何度も救ったという子どもたちの助けを一心に望むのでした。
そこへ現れたのは、ジルとユースチスでした。
彼らは毛ザルとタルカーン率いるカロールメンとの戦いに備えるべく、策を練るのでした。はたして本当にナルニアは救われるのか!?
最後にはナルニア一の王・ピーターにエドマンド、ルーシー、ディゴリー、ポリーがやってきます。(ここでもうスーザンは、子ども時代の冒険のことはきれいさっぱり忘れてしまい、最後の戦いには参加しません。)
ルイス氏もこのシリーズをどうやって終わらせるか、悩み考えたのでしょうか?
でも悲しい結末ではないので、ご心配なく。
こうやってすべての巻を読み終えて感じるのは、読まれた方のほとんどがおっしゃる、キリスト教の影響が強いということ。
この最後の巻も、ノアの箱舟に似た箇所もあるし、最後などは究極の神の救いを表しているのでしょうか。
え!?そうなの?と思いましたもの。(ナルニアは人々が人生をかけて願う、最後の希望のパラダイス=天国だったのですね。)
どの巻でも作者の感情でだったり、登場人物のセリフにだったりにあらわされている言葉に、「最近の学校ではこんなことも教えないのか!?」というようなものが出てきます。
当時(今も、かもしれないけど)、一般に信心が薄くなっているのかもしれない風潮を憂いてのことなのでしょうか。
あまり仏教国で育っている私たちにはピンと来ない部分もあるかもしれませんが、それを引いても楽しい、読みやすいファンタジーであることには違いありません。