世間で言われているイメージとは、だいぶ違うとかんじた。
曹丕と似ている、とも言われるけど、むしろ真逆じゃないのかな?
曹丕に関しては、OROCHIプレイ時から、自身の存在価値に対する不安定さを感じてるんですが。
司馬懿は、自分の才能と能力と実力に対して、絶対の自信を持っており、自分の存在価値について疑ったことなどないと思うんですよ。
むしろ、自分は他の凡才とは明らかに別格の存在だと、確信していると思う。
上から目線言動は、彼の出自を考えたら(祖父が穎川の太守なんでしょ?)、別に格別取り上げるほどのことでもないし。
生来の才能があって、それを磨く環境があって(魏書司馬朗伝に父親の記憶力が良かった的な記述あったし)、その結果、挫折を知らなさそうだし。
で、兄とは八歳違いで、競争相手として見られるには遠く、子供の競争相手として認識するには近い、絶妙の年齢差じゃないですか。
後継でもなく、責任のない、自分のやりたいことだけを出来る立場にいるお坊ちゃんなんじゃないかなあ、と思うわけですよ。
だから、軍略を競うのも、帝位を望むのも、野心じゃなくて、彼にとってはゲームだと思う。
自分の能力でどこまで出来るかを試すゲーム。
しかも、自分が負けることなど、露ほども考えていない、遊戯。
ツンデレとかじゃなくて、普通にいいとこのボンボンだと思うな。
曹丕の言動は、虚勢というか、“曹魏の後継者”という存在価値を得る為に装わなければならない鎧だと感じる。
存在価値を持ち続ける為には、能力においても実績においても、結果を出し続けなければならない。
そういう、切羽詰ったかんじを受けるんだよね。