チューリヒ、そして広島

スイス・チューリヒに住んで(た時)の雑感と帰国後のスイス関連話題。2007年4月からは広島移住。タイトルも変えました。

寒い部屋

2007年11月22日 13時25分05秒 | Weblog
10時半からの演習、教室に行ったら、参加者の一人が「寒い、寒い」を連発。確かに部屋が寒いのです。

大学のある西条は、広島市内と比べてもずっと寒いのですが、加えてこの部屋には暖房がない! いや、あるにはあるのですが、事務室に尋ねたら、12月1日からでないと稼動しないとのこと。信じられない話です。

仕方ないので、研究室にあった電気ストーブを取ってきて部屋を暖めました。風邪をひいて鼻が詰まっている学生もいるというのに、12月まで暖房を入れないなんて非常識な話です。この融通の利かなさがいかにも……らしい。西条の寒さをわかっていない規則としか思えません。

不思議なのは、研究室や事務室にはちゃんと暖房が入っているということです。う~ん。節約の仕方を間違っているとしか思えない。

日本聖書学研究所公開講座

2007年11月13日 22時50分45秒 | Weblog
11月10日(土)午後2時から5時まで、東京の日本聖書学研究所で公開講座が行われ、後半(新約)部分を担当しました。

当日の朝広島を出た時はすっきりと晴れていたのが、東京に新幹線が近づくにつれて空が暗くなり、雨が降り出しました。そんな悪天候にもかかわらず、会場となった富坂キリスト教センターの会議室はほぼ満席。毎年恒例の講座ですから、よく知られているのでしょう。

前半(旧約)部分は、東北学院大学の北博教授が担当。「黙示文学研究の諸問題と今後の方向」というテーマで、長年積み重ねてこられた研究成果を、研究史を辿りつつ披露されました。

5分の休憩を挟んで、今度は新約の部。「パウロ亡き後のキリスト教--『第二パウロ書簡』の背景」と題して、なぜパウロの名を冠した偽名書簡が1世紀後半から2世紀前半にかけて集中的に現れたのかという問題を、文学史(偽名文書という類型)と神学史(パウロ死後のキリスト教の状況)の観点から考える内容の話をしました。

北先生が、持ち時間90分のうち80分を講演に費やされたので、そのくらいは時間を使って良いのかと少し安心したのが仇になったのか、それとも、元々準備した内容が多過ぎたのか、60分を過ぎてもなかなか予定のところまで行き着きません。仕方ないので、最後に予定していた、終末論の多様性に関する部分はほとんど端折ってしまいました。

前の方の席におられたあるご婦人が、それは熱心に、うんうんと頷きながら話を聴いてくださるので、こちらの視線もついついそちらに向いてしまいました。やはり、「聴いてるよ」というサインを送ってくれる人の方に話を向けたくなるものです。真面目な学術講演会(?)だから、笑いを取る必要もないのですが、冗談を言ってみても、何となくノリが悪いような気がして、もう一つ調子が出なかった...ようにも思います。

何とか質問時間を15分くらい取れましたが、研究所の所員(つまり専門家ですね)からの質問や意見が大半で、一般来場者からのご質問が少なかったのが残念。それでも、終ってから質問に来てくださった方があったのは嬉しいことでした。

今年は都合で学会の類にほとんど出られなかったので、大いに刺激的な、楽しいひとときでもありました。終ってからの慰労会で飲んだビールが、喋り疲れた喉を心地よく潤してくれました。当日は東京に泊まりましたが、翌日の広島行き新幹線ではほとんど爆睡。きっと疲れたんだと思います。

とにもかくにも、今年の大きな仕事はこれでほぼ終りました。今年は久しぶりに、静かなクリスマスを迎えられそうです。礼拝で喋らないクリスマスなんて、いつ以来のことでしょうか。

佐竹明先生講演会

2007年11月06日 17時16分54秒 | Weblog
5日(月)午後2時より広島バプテスト教会で、佐竹明先生の講演会が開かれました。

7月に『ヨハネの黙示録 上巻 序説』(新教出版社)を上梓された先生が、その内容紹介も兼ねて、「ヨハネ黙示録の謎を解く」と題して2時間の講演。約70名の聴衆を前に、黙示録の概説的な内容を一般向けに、しかし時には釈義の細部にも立ち入って話されました。

もともとユダヤ教黙示者であった著者がユダヤ戦争(66-70年)に際してパレスチナから小アジアへと逃れ、キリスト教へと転換した次第、そして終末到来の確信が揺らぐ中でこの黙示録を編み出して行く様子をたんたんと、それでいて聴く者の関心を引きずり込みながら話された2時間は、決して長く感じられませんでした。

講演後に15名ほどでお茶を飲み、その後さらに夕食もご一緒させていただきました。これまで手紙のやり取りなどはあったとはいえ、初めてお目にかかった佐竹先生。広大に聖書学のポストを開かれた先生から、ドイツ・スイスでの経験をはじめ、広大での苦労話など、色々とうかがうことができ、実り多い一日でした。

70代後半にして黙示録注解を仕上げようとしておられ、その注解がドイツでも出版されようとしているという、信じられないようなバイタリティを発揮される佐竹先生。自分も負けずに、とはとても言えませんが、頑張って研究成果を挙げていかなければと思わずにはいられません。先生のご健康が守られますように。

広島の自転車

2007年11月02日 13時52分28秒 | Weblog
4月に広島へ移ってきた時、通りを走る自転車のすさまじさに驚いたものですが、その印象は今でも変わらないどころか、恐怖すら感じるようになりました。

大通りだと歩道も広いのですが、その歩道を爆走してくるのです。それも集団で。スピードもハンパじゃない。ぶつかったら確実に大きな事故になることでしょう。朝の出勤時など、歩道をふらふら歩いていたら確実に危険です。同じような光景は、北京の朝くらいしか思いつきません。

広島の人は、どんな坂でも自転車で行くと言っても過言ではないほどです。前任校では、学生の通学バイクに手を焼いていましたが、あの程度の坂なら広島人は間違いなく自転車で昇ってきます。広島女学院大学の正門近くには広い駐輪場があるのですが、バイクの数はわずかで、ほとんどは自転車が占拠しています。正門前はすごい坂だというのに。まして、駅の南側ともなれば、ほとんど平地であることも手伝って、自転車王国大繁栄です。

そういえば、広島大学も結構な坂の上にあるキャンパスですが、学生の自転車はものすごい数です。そして広大の場合、だだっぴろいキャンパスの中を行き来するのにも自転車が活躍しています。僕も、キャンパス内での移動用に1台買おうかな...いや、そんなものが要らないよう、できるだけ移動しない(つまりは会議などに行かない)生活をするよう心がけたいです。

ついで:
昨夜テレビを見ていたら、長崎県人は自転車に乗れない、という話をやっていました。検証してみたら、本当に乗れない人がいてびっくり。皆が皆そうかどうかは知りませんが。長崎なら自転車は不要かな、と納得。でも、広島人なら長崎でも乗るかも。