循環型社会って何!

国の廃棄物政策やごみ処理新技術の危うさを考えるブログ-津川敬

御殿場市で何が起きたか

2008年04月08日 | 廃棄物政策
静岡県御殿場市のRDF施設はなぜ破綻したか

1.改造直後の火災事故
 1999年5月31日夜10時30分、静岡県駿東郡小山町桑木にある「御殿場・小山RDFセンター」内で突如火災が発生しました。場所は東名自動車道が神奈川県から静岡県に入るあたりの足柄サービスエリア近くです。
 火災はRDF最後の工程である乾燥機の過熱が原因でした。乾燥機は5階建て同センター内の1階から4階にわたって設置されていますが、火災で乾燥機の内側が焼け、周辺のダクトに煙が充満したといいます。
 センターでの製造工程はごみを破砕し、生石灰に反応させて水分を抜き、クレヨン状に成型した上、乾燥させるという、しごく単純なものですが、プラントを造った企業体はもとより、発注者側の自治体側が火災事故から受けた衝撃は計り知れないものがありました。ちなみに企業体とは三菱商事、石川島播磨重工業、荏原製作所、フジタによるJカトレルグループ(以下メーカー側)であり、自治体側とは「御殿場市小山町広域行政組合」(管理者・内海重忠御殿場市長、以下組合側)のことです。
 このプラントはA、B2系列から成り、それぞれ75トンのRDF製造能力を持つ日本で最大の施設(合計150トン)として知られています。
 しかし98年4月の正式稼働以後、大小さまざまなトラブルに見舞われたため、メーカー側はやむなく1年間の工期延長を組合側に申し入れ、施設改造を敢行、ようやく99年3月、正式引渡しに至ったものです。
 ここで施設建設に至るまでの経緯を辿っておきます。
 1992年頃、組合側はそれまで進めていた清掃工場建替計画を、焼却方式からRDF製造施設に変更すると発表しました。「焼却による環境汚染を防ぎ、ごみを再生利用する」という触れ込みのRDFが全国的な話題になっていた時期です。当時、国内で有力なRDFメーカーは前記Jカトレルグループと、伊藤忠を主力とするリサイクルマネジメント社(RMJ・旧東洋燃機)でした。組合側は両者を呼んでプレゼンテーションを行った上、指名競争入札ではなく、Jカトレルと随意契約を結んだのです。理由は明らかになっていません。
 95年には建設工事の仮契約、同年11月に起工式という運びになりました。順調なら97年4月に本稼働の予定でしたが、試運転の段階からトラブルがつづき、正式稼働は1年遅れの98年4月になってしまいました。
 ところが立ち上がったあとも施設の心臓部ともいうべき重要な個所で大きな事故が相次いだのです。それは少なくとも3ヵ所ありました。
 ひとつは入ってくるごみの袋を破り、混合廃棄物を種類別、重量別に選別するという「破袋分別装置(SPC)」。
 2つ目は破砕したごみに生石灰を加え、水分を抜くという「主反応機」です。
 3つ目は冒頭の火災を起こした「乾燥機」でした。ここは圧縮成型機からクレヨン状に押し出されてきたRDFを乾燥させる装置ですが、先行した大分県津久見市のプラント(32トン/日)でもしばしば火災騒ぎがあった個所です。
 ではトラブルの状況を詳しく検証しておきます。

2.RDF化でごみが急増!
 まず破袋分別装置ですが、これはカトレルグループのひとつ、荏原製作所のオリジナル製品で、このプラントで初めて使用したすぐれもの、という触れ込みでした。
 単なる破砕機ではなく、文字通り袋を破り、装置に入った雑多な混合ごみを生ごみ、金属類、プラスチック類などに比重選別できるという最新鋭の装置です。しかし現実はそのうたい文句とはまるで違っていました。
 組合側はセンター稼働の1ヵ月前、すなわち98年3月、「RDFにできるごみとできないごみ」のイラスト入り一覧表を両市町全戸に配布しています。要するにこれまで不燃扱いだったプラスチックなどを可燃の袋に入れて出せ、ということなのです。
 さらに布団やカーペット、剪定した枝などを長さ50センチ、直径5センチ以下に裁断して出すよう求めました。そうしないと機械が受け付けない恐れがあったからです。 しかし住民にそこまで厳密な注文を出すこと自体、無理な話でした。その結果、たとえば家庭菜園に使った肥料袋やビデオカセットテープなどが装置のシャフトに絡まったり、内壁にベッタリくっついたりして装置全体のトリップ(一時停止)を招くなどトラブルがつづくことになりました。
 当初予想より可燃ごみが増えたことも原因のひとつです。
 1995年、御殿場市はごみの出し方を広島市なみの5分別方式にすることに決めました。当然プラスチックは可燃ではなく不燃ごみになっており、市民は「あと数年で満杯」となる最終処分場(市内)に配慮し、ごみを出さないライフスタイルに切り替えたのです。
 その翌年、市はごみの有料化にも踏み切りました。ただし方式はかなりユニークで、まず可燃ごみの原単位(1人1日に排出する量)から年間96枚のポリ袋が必要とはじき出し、それを市民に買わせたのですが、販売限度を80枚とし、1枚(45リッター分)を15円としたのです。その限度を超えたらどうなるのか。これが御殿場方式のユニークなところで、袋の値段は一挙に1枚140円、つまり9倍に跳ね上がります。従って市民はできるだけ規定の〝年間80枚〟に納まるよう、ごみ減量に努めたのです。ところがRDF施設が動き出したため、この方式は全面改訂され、可燃80枚を100枚に〝規制緩和〟してしまったのです。御殿場市のある市民グループが「徹底して分別」と「ごみ出し放題」を一定期間つづけて見た結果、後者のごみの出方は前者の約3倍だったことがわかり、愕然としたといいます。プラスチックでも生ごみでも、木でもゴムでも、少々の金属が混じっても、オールカマー(何でも来い)ですから、市民は混乱しながらも、堰を切ったように大量のごみを出すようになりました。これまで控えていたプラスチック容器入りの食品も平気で買うようになったといいます。
 ちなみに97年4月に排出された御殿場市のごみは(小山町も含め)1611トンでした。それが98年4月、RDF化になった時点では2100トンと、実に30%も増えることになりました。その中心はいうまでもなくプラスチックだったのです。特に塩ビ、塩化ビニリデンを含む豆腐の包装材やラップ、長靴などのビニール製品が増大しています。

3.設計ミスを認める
 廃プラスチックの予想外の増大は相対的に主反応機に入るごみの水分低下をもたらしました。従ってここでも反応が不安定となったことはいうまでもありません。
 その結果、「微妙に変化するごみ中の水分をコンピュータが解析しきれず」主反応機内が異常高温となり、爆発して内部が焼けただれてしまったのです。つまり全体が水分不足のままRDF化を強行したため、ごみが大量の粉状になって装置の至る所にトラブルを発生させた、ということです。
 こうした一連の致命的なトラブルに対しメーカー側は、①組合側の誤った「ごみ質分析資料」と、②想像以上のごみを持ち込んだ住民の責任、といい出しました。
 組合側は施設をつくるにあたってメーカー側が要求したごみ質データを提出しています。それは1988年から92年までの5年分でした。それをもとに施設設計が行なわれたのですが、実際のごみ質とはかなり違っていたのです(表)。
 組合側は94年以降のごみ質変化のデータも送っており、5分別、有料化、プラスチックの混入率など、メーカー側がその変動幅を見込んで設計しているものと考えていました。しかしメーカー側はそうした現実を無視し、当初のデータだけで設計を行なってしまったのです。「トラブルは起こるべくして起こった」といわざるを得ません。
 本来、ごみ処理施設は上下10%の余裕をみるのが業界の常識といわれていますが、メーカー側はそれを見込んでいませんでした。季節が変われば機器がダウンする危うさを最初から秘めていたのです。
ことここに至った以上、メーカー側は設計ミスを認めざるを得ず、施設改造計画を提出しました。その内容は、①荏原製作所の特許製品だった破袋分別機を撤去し、通常の破砕機を取り付ける、②主反応機のシステムを大幅に変更する、というものです。
 トラブルはもうひとつありました。それは臭気問題です。98年2月の試運転開始以来のトラブルでごみピットに溜まりっぱなしのごみが春を迎えて発酵し始めたのです。 その臭気は風向きによって隣接する東名高速足柄サービスエリアに流れ、道路公団からクレームがきたほどといいます。

4.「RDFでRDFを製造する」という神話
 生石灰で水分を抜く、というカトレル方式の心臓部が主反応機でした。しかしそこが同時に爆発や発火などのトラブル発生源になっていたとは何とも皮肉な話です。改造の 本来ならこの熱源炉で蒸気をつくり出すこともできるのですが、そのシステムにはなっていなかったのです。
 わざわざデンマークから導入したと称するバイオバーナーの構造は、①灯油を焚いて炉内を高温にし、②800℃になった時点でRDFを投入する、③RDFが徐々に燃えて灰になるとそれが捨てられ、次の新しいRDFが投入される、という仕組みになっていますが、実際には乾燥が必要なほどの水分がなく、バイオバーナーは使われなかったのです。どうやらRDFでRDFを乾燥させるという技術は理論倒れに終わったということであり、メーカー側による〝本邦初〟のお道楽に組合側が多額のコスト(総額79億200万円)を支払わされたというのが真相のようです。なお広域行政組合のコスト負担割合は、御殿場市7.5に対し、小山町2.5となっています。
 問題は改造工事に伴う諸経費の負担方法でした。
 メーカー側は最初、98年3月20日に予定していた正式引渡しを5月20まで延長したのですが、実績があがらず、7月8日に至って「99年3月まで再延長」を申し出たのです。
「違約金を含めた罰則を明確にせよ」「メーカー側の言い分に信頼が置けない」「100%の安心がないと住民は納まらない」など、組合議会は大揉めでした。 
 交渉は難航しましたが、改造コスト20億円は全額メーカー側が持つことになりました。たいへん潔い話のようですが、そこに交換条件がありました。
 それは8月以降発生するごみ、RDFの県外持ち出し(千葉県の成田や銚子の中間処理場)、施設にかかる電気代、灯油代、などは組合側負担、そしてメーカー側へのペナルティ免除です。実に筋の通らない条件ですが、御殿場側は「組合側にも見込み違いがあった」などとこれを了承したのです。小山町側は納得しなかったのですが、組合議会では通ってしまったのです。

5.明るみに出た無責任体制
 99年5月31日深夜に起きたセンターの火災事故はその後の調べで原因が次第にわかってきました。火災が起きたのはB系列の乾燥機です。乾燥機は前段にある圧縮成型機で形を整えられたRDFに約80℃の熱風を吹き付け乾燥させる設備です。この圧縮成型機は直径12~13ミリの多数の孔が開けられたダイスの内側に生石灰と反応したごみを圧力で注入し、高速回転で遠心力によってRDFを外へ飛び出させるという仕組みになっています。
 まず31日の午後、主反応機で乾きすぎた可燃ごみが圧力で注入されて目詰まりを起こし、その状態でダイスが回転したため過熱状態となってRDFが炭化してしまったのです(写真)。ダイスの穴を大きくすれば目詰まり率も減るのですが、そうもいかない事情がありました。都市ごみの中には予想外にパチンコの玉が入っており、ダイスの穴を大きくするとRDFの中にパチンコ玉が混入してしまうからです。
 目詰まりが原因の炭化状RDFがそのまま乾燥機に入って発火に至ったのですが、機内に約20分放水してようやく消火に漕ぎ着けたそうです。この時は内部に残ったRDFを手作業で除去し、残りを乾燥機内に投入して一連の作業を終えました。
 ところが午後10時半、現場の火災報知機が警報を発し、警備員が駆け付けてみたら再度乾燥機から発煙していたといいます。事故の推定原因としてメーカー側は乾燥機内に一部火種が残っていた点と、再投入した際、燻っていたRDFがあったからとしています。
 Jカトレル方式の売りは前に触れたように「主反応機内で生石灰とごみを反応させること」にありました。しかしその仕組みは以上のような危険の上に成り立っていたのです。生石灰はかつては危険物扱いの物質で、水と反応すると高熱を発し、CO(一酸化炭素)を発生させて爆発の危険性があるといわれてきました。
 ごみと生石灰、蒸気という三種のバランスがうまくとれない限り、RDF施設の運転はこの危険から逃れられないようです。
 こうしてメーカー側はプラントの修理に1ヵ月を要するとし、その間A系列だけで片肺飛行せねばならず、現場担当者は再び近県の処理場さがしに追われることになりました。ここまでの〝欠陥商品〟を掴まされた組合側や各市町はドイツのフュルト市のようにまず、施設撤去を要求すべきでしたが、怒っているのは小山町の議会だけで、御殿場市議会側では論議らしい論議は起きなかったといいます。

6.RDF事故騒ぎから見えてきたもの
 今回の御殿場RDF騒動を通して見えてきたものは何でしょうか。
 ひとつは折角定着しかかった御殿場市民のごみ減量化意識がかなり薄れてしまったことです。「RDFになってからごみの出し方が簡単になった」という市民が増えてきたともいわれています。
 御殿場市が市指定のごみ袋購入限度を〝規制緩和〟したことで、予想外のごみ増加をもたらしたことはすでに見たとおりです。有料化当初、袋数は可燃ごみで80枚、不燃ごみで20枚でした。ここ数年の収集実績からいえば可燃で16枚分、不燃で4枚分少ない枚数です。つまり「受皿を小さくしてごみを減らす」作戦だったのです。しかし98年度からはRDFをにらんで可燃分を100枚にしたのです。いわば〝RDF用の原料〟をより多く集めるためのボーナスでした。
 第二に、こうした行政側の緊張感のなさとともに、「ごみ質」の変化について厳しい検証が行なわれた形跡がないことです。メーカー側は当初予測と違う種類のごみを出した住民側に責任を押しつけたといいます。これはメーカー側が住民に突き付けた挑戦状ともいうべきものですが、地元紙の記者によれば組合側や議会はメーカー側から「ごみ質を争えばケガ人が出る」との脅しを受けたといいます。これはいったい何を意味しているのでしょうか。それが第三の問題です。
 すでに工事遅延にかかる「ペナルティ免除」という信じられない合意について住民の間から疑惑の声が飛び出しています。95年の市長選挙の際、Jカトレルグループのある企業から現市長陣営に多額の金が流れたとの怪文書がバラまかれた事実もあり、RMJというライバル会社がありながらJカトレルと随意契約を締結したことや、ペナルティ問題で強く出られなかった理由もそこにあると考える市民も多いのです。
 第四は、仮に製造工程が順調に動いたとして、できたRDFをどこで使うかが問題となってきます。A、Bの2系列(基準運転・100トン)で製造可能なRDFは1日約60トンですから、市内の健康センターや温水プールではとても消化しきれません。
そこで行政組合の事務局ではRDFの引取先として、①愛知県尾張旭市の再生紙メーカー、②群馬県赤城村の木材調質(乾燥)会社、③御殿場市駒門工業専門団地内の中外製薬研究所の3ヵ所を契約先として公表しています。夫々20トンづつの引取契約であり、一応有価物の形をとっていますが、中身は微妙です。すなわちトンあたり300円を払ってもらって、運搬費(トン500円程度)はセンターで持つ(ただし灰の処理は中外製薬を除いて引取った側)というもの。
 すでに中外製薬では7億円をかけて流動床ボイラー(バグフィルター、触媒つき)を完成させています。製薬メーカーが万一ダイオキシン騒ぎを起こしたらまさに命取り。同研究所ではRDF引取りを決めたあと、異論が続出したといいます。「なぜこの不景気の時に7億円もの投資をするのか。重油ボイラーならその10分の1で済む。その分新薬開発費に回すべきだ」というある研究員の証言もありました。
 ボイラーの塩化水素による腐食が如何にひどいか、RDF発電を計画している現場の実験でも明らかにされており、そのコストをかけられない小さな企業が「タダ同然だから」という理由だけでRDFを引取るのはきわめて危険というべきでしょう。
 第五に、あらためてRDFをつくるのに要する投入エネルギーの大きさに驚きます。98年の施設改造前の予測は灯油使用量、1日あたり6600リッターでした。リッター45円前後ですからそのコストは約30万円(1日)です。ところが改造後は7500リッターと、14%ほど増えています。契約電力も990KWから1995KWに変更されています。「ごみをRDF化するために湯水のごとく灯油と電気を使っていい」という理屈はどこから出てくるのでしょう。
 ともあれ、火災を起こしたB系列の改修工事が8月10日に終わりました。しかし現場見学はガラス越しのコースだけで、内部には立ち入れません。
 行政組合の杉山宏一事務局長はどこかほっとしたように「メーカーさん(荏原製作所と石川島播磨重工業)としてもごみに関してはひと筋縄ではいかないことが骨身に沁みたことでしょう」といい、保証期間を通常の2年から3年にさせたことを成果のように話していましたが、メーカー側は今回の設計ミスによる事故のペナルティを支払っていないこと、容器包装リサイクル法の本格施行でごみ質の変動が不透明であることを考えるなら保証期間は最低5年とするべきでしょう。「これでメーカー側もRDFの大きな施設をつくる自信がついたようだ」と杉山氏はいいますが、専門家筋は「せいぜい30トンが安全操業の限界」と冷静に分析しています。
 問題点がすべてクリアしたという保証のないまま、本稼働は99年10月からになる模様です。

《本稿はすでに絶版となったブックレット「ガス化溶融炉って何なんだ!」(1999年発行)に掲載し切れなかった小生の草稿です。御殿場ではその後この問題をキッカケに政争が勃発。当事者の内海重忠市長が落選しました。その原因が概要文に紹介した著書にあるとして著者と出版社を訴えたのです。著者はその心労で持病の療養中の胃がんが悪化、05年7月12日出廷不能のまま憤死しています。一方、行政側は03年7月2日、メーカーグループに対し損害賠償請求を起こしました。陳腐な表現ですが、まさに御殿場全体が泥沼化したのです。現在はRDFプラントを撤去、そのあと行政側はガス化溶融炉を導入するというので市民は怒っています》。

【参考資料】
〈書評〉津川敬「崩壊したごみリサイクル」週刊金曜日(2004年7月16日)
「消防士のひとりは真下の地面に叩きつけられて即死。もうひとりは屋根ごと三○○メートル吹き飛ばされ、遺体で見つかった」。昨年八月に起きた三重県・RDF発電所の爆発事故はこの〝新技術〟が孕む底知れぬ危険を全国に印象づけた。
 だが三重より四年も前、RDFに手を出して地獄を見た地方都市がある。人口約八万人の静岡県御殿場市である。そしていまなおその地獄はつづいている。
 RDFが「夢の技術」として華々しく登場するのは八○年代終わりのことであった。かつて生ごみが混入できず全国的な普及は無理とされてきたこの技術は製造工程で石灰を添加するというシンプルなアイデアによって復活をみた。ごみを焼却せず資源(固形燃料)として生かす。腐敗は石灰が抑え、有害物質はもとよりダイオキシンも出ない。建設費は焼却工場の半分、維持管理費は格安に収まり、出来上がった製品(RDF)は事業所が喜んで引き取る。折からバブルの後遺症で増え続けるごみに悩まされていた全国の自治体にとってまさに「虹のキャッチコピー」であり、いち早くそのコピーに乗せられた地方都市のひとつが御殿場市であった。
 本書はなぜ同市がプラントの維持管理にてこずったあげく、運転のパートナーである焼却炉メーカーを提訴するという異例の事態に立ち至ったかを克明に綴ったドキュメントである。御殿場市(正確には隣の駿東郡小山町と組織した広域組合)がRDF製造の大手、Jカトレルグループ(三菱商事、荏原製作所、石川島播磨重工業、フジタ)との特命随意契約を結んだのは九五年一○月のことであった。建設費総額は七九億二○七○万円。AB二系列のプラントで最大製造能力一五○トンである。〝地獄〟は早くも九八年二月の試運転時に始まった。まずメーカー自慢の破袋分別機(ごみを厨芥類とプラスチックなど雑芥類に分ける装置)のギアが破損した。さらにごみ中の水分を除去するため、生石灰を添加する主反応機というプラントの心臓部で発火、爆発事故が相次ぐ。トラブルに困ったJカトレルグループは約束の引渡し日を二ヵ月延期。だが引渡し前日、「今度は破袋分別機のモーター主軸が折れるという致命的な事故が起こった」(本書四五ページ)。
 この事態にメーカー側は工期を再延長し、さらなる機器の改造に踏み切ったが、今度は「組合側が提示した設計ごみ質と違ったことがトラブルの原因」といいだした。だがこの言い分は筋が通らない。何が入ってくるかわからないのがごみなのだから。
 著者は地元の有力紙「日刊静岡」の現役記者である。自らも御殿場生まれの著者はまる一○年にわたる現場への密着取材を通し、如何にRDFが開発さるべきでなかった新技術かを立証する。三重の惨事はRDFに生ごみを入れるという技術上の無理によってもたらされた。「御殿場の事故事例を国が早い段階で感知し、危機意識を持つに至れば三重県の死亡事故は回避できたのではないか」(一八三ページ)という指摘は痛烈である。
 さらに著者は企業体が提示した維持管理費の相次ぐ高騰でまともな予算も組めなくなっている御殿場市と小山町のいまを提示する。RDF稼働に向けた九九年度の当初予算は六億六千万円だった。だが二○○二年度のそれは一六億二千万円に跳ね上がっていた。
 本書のもうひとつの読みどころは生石灰が有機物と反応する際の危険や、RDF製造工程のメカニズムを明快に説き明かしている部分である。その分析力は中央紙の科学部記者も顔負けだが、本人は明治学院大学の仏文科出身である。それだけに一度読み出したら途中でやめられない推理小説の面白さがある。欲をいえば御殿場市における住民運動の記述が抜けているところか。
 御殿場市小山町広域行政組合がJカトレルグループに対し組合側が被った被害として七九億二○七○万円の損害賠償を求める訴えを東京地裁に起こしたのは二○○三年七月二日のことである。その額はなぜか施設建設にかかった総事業費と同額になっている。裁判は今後少なくとも五年はかかる予定という。

         「崩壊するごみリサイクル」(緑風出版・04年6月20日刊)



















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