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【諸宗教の超簡単図解の試み】⑪法華経信仰

2011-12-02 00:06:50 | 高森光季>諸宗教の超簡単図解の試み

 法華経というのは実に奇妙な経典で、また法華経を典拠とする法華信仰も、実に奇妙な展開を遂げています。法華信仰も、浄土信仰と同様、本来の仏教とはまったく異なる新宗教だったと言えるように思います。
 法華経の成立年代ははっきりわかっていませんが、紀元前後とされています。大乗仏典としてはけっこう古いわけですが、もちろん釈迦直説ではありません(信仰者は釈迦直説を信じていますが)。漢訳は2世紀が最初で、その他チベット語、西夏語などもあるようで、かなり広く受容された模様です。どのような集団において生み出されたのかもわかっていません。当時の部派仏教とはまったく思想が異なるので、それに対立した在家集団ではないかとも言われています。また、もともと今あるような形だったのではなく、いくつもの文書が複合していることも確かなようです。
 法華経は聖徳太子の頃から日本に入ってきていて、その後、仏教の最重要経典の一つと見なされるようになりました。そして、最澄は、師事した中国天台宗の智(ちぎ)が、法華経を「第一」と判定したこともあって、比叡山で日本天台宗を開いた際も、法華経を最重要としました(ただし比叡山は総合大学というかデパートといった感じで、他の宗学も研究・実践されました)。平安後期から鎌倉前期にかけては、僧侶・貴族の間で「法華八講」「法華直談」といった法華経の講読・講義が盛んでした。
 その後、日蓮が出て、法華経専修の宗派を創りますが、日蓮は禅・念仏・真言・律すべてを激しく攻撃したため、日蓮宗は逆に激しく弾圧されたことは周知の通りです。
 そして近代になって、日蓮の系譜が、日蓮正宗、国柱会、創価学会、法華行者の系譜が、霊友会、立正佼成会といった大きな新宗教運動を生み出し、日本の社会・政治にまで影響をもたらすことになります。
 いずれにしろ、法華経が日本仏教に大きな影響を及ぼしていることは確かです。

 この法華経というもの、内容はかなり“カオス”です。現代アニメのような奇想天外な物語(突然「塔」が地中から出現し空中に浮かび上がるとか、無数の菩薩が大地から湧き出るとか)があり、互いに矛盾する思想があり、「観音経」というおそらくもともとは独立していた経典ありで、「法華経ってどんなことが書いてあるの?」という問いに、一発で答えられる人はいないでしょう。(私は正直、法華経はどうもよくわかりません。ピンと来ないのです。日本史における法華経の展開についても同様です。)

 ここでは、その最も特異と思われる点を見てみましょう。
 ①「久遠仏」という「絶対者」を説いている(釈迦も諸仏もその顕現)。
 ②一切衆生は久遠仏の「子」であり、必ず成仏することになっている。
 ③法華経は「諸経の王」であり、これを読んで学んで広めれば必ず成仏する。
 ④法華経を皆が信奉すればこの世は「仏国土」となり、世界の終わりをも超えて存続する。
 ⑤死後世界はあまり問題にならない。
 ⑥法華経信奉者は世間から迫害されるが、それに堪えて法華経を広めなければならない。

 ①は、いわば一神教への傾斜と言えるでしょう。法華経の中には様々な仏や菩薩が出てきて、ダイナミックな物語が展開しますが、それらすべてを超越した「永遠の仏」への信仰が強調されます。
 ②われわれは皆、その絶対者=久遠仏の子供だと言います。どこかで聞いた表現ですが、仏教にはこうした思想はなかったと思います(仏になる素質=仏性を持っているという思想はありましたが)。
 ③法華経は繰り返し、「法華経はすごい、法華経こそ最高の経典だ、これを読めば必ず成仏する」と“自己宣伝”します。実に奇妙な構造です(正直、辟易しますw)。「法華経はすごい」と言われて読んでみると、「法華経はすごい」と書かれている。どうしてすごいのかというと、「すごい法華経に法華経はすごいと書かれているから」……あれ?
 ④が最も重要なことです。法華経には浄土という記述も出てきてはいますが、法華経の中心思想は、「誰もが法華経に帰依し、それによって現世が仏国土となる」ということだと思います。
 これは「集団救済」と呼ばれるものです。個々人が救われることは問題ではない、社会全体が信仰し、全員が救済される必要がある。ユダヤ教はユダヤ民族に対しては集団救済をめざしました。キリスト教・イスラームは、全人類が帰依して全世界救済がなされることをめざしました。法華経もまた、全人類の救済を説いたわけです。
 そして、この「集団救済」によって、“この世”に仏国土、つまり理想郷が生まれることをめざしました。死後の問題ではないのです。この世が「仏の国」になることが問題なのです。
 ですから、当然、政治に接近します。日蓮の「立正安国論」から近代の国柱会、創価学会に至るまで、法華経信仰の理想は「法華経による統治」だったわけです(創価学会は今は取り下げましたが、もともとは「国家戒壇」、つまり法華経[日蓮正宗]国教化をめざしていました)。
 ⑤については、「仏国土」をこの世に建設するという主張のゆえでしょう、ほとんど死後問題は問題になっていません。
 ⑥の「世界に広めよ」という命令と、「それは迫害の苦難であろう」という予言は、これまた奇妙なものです。宣伝し、それによって迫害の苦難を味わうことが信仰の証となるわけです。法華経を生み出した信仰集団が、もともとかなり非正統の位置におり、他のセクトと対立関係にあったことを窺わせます。
 こんな思想は仏陀にはありません。「耳ある者は聞け」が仏陀の姿勢でした(これについては「【仏教って何だろう⑩】仏教の隆盛はなぜ?」参照)。初歩の「三論」を説いて理解を示した人にだけ、教えを説いたのです。
 「迫害されても広めよ」――これは一種の闘争志向であって、日蓮の生き方を見ても、創価学会の「折伏」(本来は違う意味のようですが)を見ても、それを実践しているのかなと思います。「法華経が最高である。法華経を万民に知らしめねばならない。布教は敵対に遭うがそれをはね返すことが信仰だ」――これは権力への志向を掻き立てます。

 これだけ見ても、法華経信仰は、正統仏教とはまったく異なる、いわば新宗教だったとみることができます。ここには「空」も「八正道」も「戒」も「定」もありません。力点が「信」に移っているわけです。それは浄土教信仰も同じです。(いい悪いを言っているのではありません、念のため。)

 さらに日蓮になると、一層の過激化がなされます。それは、法華経自体を「聖なるもの」と見なすことです。もはや「久遠仏」も姿を薄くしていき、法華経が絶対になります。そしてその中核としての「名号」(南無妙法蓮華経)を称えることが最重要とされ、ついには「名号」こそが至高存在なのだということになります。日蓮の書いた「南無妙法蓮華経」の字は「本尊曼荼羅」として崇拝の対象とされました。
 ちなみに、近代に生まれた日蓮正宗(創価学会のもともとの本山)では、さらに過激になり、日蓮そのものが久遠仏=絶対者となっていきます。

 結局、法華経の中核部分を図にすると、こんなふうになるでしょうか。



 ちょっとキリスト教と似ていないでしょうか。前出の①~⑥をキリスト教用語に入れ替えて読み直してみると……
 それはともかく、こういう正統仏教から見るとかなり異端的な信仰が、日本仏教の大きな基礎となったということは、いろいろと考えさせるところがあります。


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