~日本人の外国語学習観と漢文訓読法~
飛鳥時代以降、日本は中国、韓国の発達した文化を取り入れるため、遣隋使、遣唐使、留学生を送り込み、大陸で学んだ文化を携え帰国させてきました。留学生は、現地で中国語の読み書きや、会話までをも身に付けたことでしょう。帰国して、大陸で学んだことを日本に伝えましたが、当時日本国内には中国人が身近にいなかったはずですから、ほとんどの日本人にとって、会話としての中国語を習得する必要性はなく、必要とされたのが中国から持ち込まれた中国語の文献を読み解く能力でした。
こうした背景で世界でも珍しい翻訳術を日本は編み出します。中国語に相当する日本語の意味を一対一の関係で対応させ、原文にレ点、一、二点などの返り点を振り、単語の並ぶ順番を入れ替え日本語で読む技術、訓読法です。
日本の英語教育においては、英単語と日本語とを一対一で対応させて、英語の語順を日本語の語順に並べ替えれば翻訳ができるかのような傾向があると思います。この考えは漢文訓読法の解読法に近いもので、奈良時代から現在に至るおよそ1300年間の漢文教育が、日本人の外国語学習観、翻訳観に影響していると思うのです。
漢文教育を否定しているのではありません。漢文訓読の解読法では、通訳や翻訳に限界があると申し上げたいだけです。
~暗記カード学習法の負の影響~
中学に上がり英語の勉強を始めた時に、暗記カードを作り英単語の語彙を増やしたという方もいると思います。小さなカードの表に英単語を一つ書き、その裏に対応する日本語の意味を書いた暗記用カードです。この暗記カードでの学習法は今でも使われていて、日本での英語学習に深く根ざしています。
「service」 という英単語の意味を、Weblio 英和対訳辞書で検索すると、以下の訳語が列挙されています。
労務, 儀式, 役務, 勤務, 用, お持て成し, 便, 勤め, 務め, お愛想, 御愛想, 役, サービス, 用役, 接客態度, 儀典, 労り, 奉公, 戦務, 寄与, 扱い, 骨折り, 取り扱い, 取扱い, 取り扱, 取扱, 執行, 運行, 力添え, 奉仕, 用途
こんなに沢山の訳語があり、しかもそれぞれが関係性のないバラバラの意味を持つように見えるので、どの訳語を代表にして暗記カードに書き込めば良いのか、判断のしようがありません。仮に2,3の訳語を取り上げたとしても、残る多くの訳語は暗記対象から外れることになります。
「翻訳徒然草-1」で、ソシュールの言語の恣意性について触れましたが、外国語同士では単語の持つ意味が、単純に一対一で定義できないのが基本です。漢文訓読法からくる翻訳観、暗記カード学習法には、外国語学習にとって負の側面があることを知っていただきたいです。こうした外国語学習観を身に付けたまま、通訳、翻訳をすると色々な問題が生じます。日本での英語教育の在り方が問われていると思います。
~翻訳のプロセス、原文放棄とは~
通訳、翻訳をする人の頭の中では以下の処理が行われていると言われています。
(1)原文知覚
(2)原文解釈
(3)原文放棄
(4)訳文産出
英文を日本語に翻訳する場合を例に挙げると
(1)原文知覚とは、原文となる英文を読むこと。聞くこと
(2)原文解釈とは、その英文で使われている単語の意味、イディオムの意味、文法的解釈、文脈には表れない発言の意図、執筆者の立場、専門レベルの度合、文化的要素などを理解することです。
(3)原文放棄とは、不思議な表現だと思われるでしょう。日本語文に翻訳をする時、原文の英単語の意味、使用法、英文法に引きずられては相応しい日本語訳にできないので、こうした英語の特徴をいったん頭から排除し、原文の意図を抽出しイメージだけを頭に留めると言うことです。日本の英語教育では、英語の形容詞は形容詞として、動名詞は動名詞のように訳することを求められますが、通訳、翻訳をする場合こうした表面的な形式にとらわれていては、相応しい日本語文は生まれてきません。英文解釈から日本語文作成に移る過程で、原文放棄は欠かせない処理です。
(4)訳文産出とは、原文の意図、執筆者の立場、専門レベルの度合などに釣り合う日本語の選択をし、日本語文を作成することです。英文に、合理的な文脈の流れがあり、前後関係があるのであれば、日本語文でも同じく文脈の流れが分かる訳文にしなくてはなりません。英文と日本語との間の等価性に配慮することが重要です。