「Around the world 」 感じた事を徒然なるままに・・・

世界各地の徒然、音楽、美術、時空をワープしてぼんやり世界の呟き。思ったこと、感じたことを徒然なるままに。

2013年も終わり・・・・

2013-12-30 03:16:35 | 日記

毎年、年末年始になると同じことを繰り返している。数年分の手帳を取出し、自分がどれだけ進歩したのかを確かめてみる。どうも変わらないことに気が付き、愕然と肩を落としてしまう。

 

びっしりと、スケジュールが書かれている古い手帳が懐かしい。

昨年の手帳は、総て処分してしまった。どうしても、記憶から消してしまいたいことが在り、手元に置いておけなかった。そして、完全に処分してしまってから、どんな経験をしたのも私自身だったのだから、目を背けることなくそのことに余裕の心が持てたときに、もう一度振り返り、自分の成長を確認できるように、処分するのではなかったと後悔している。

そして、今年10月から新しい手帳に変え、新しい気持ちになるはずが、次から次へと色々な事が起こり、その手帳を使うのも苦しく、12月スタートの新品を購入。しかし、それも12月前半から後半にかけて、自分の意識の変化を感じて、それも使用中止。

またまた、新しい手帳を購入してきた。元日に色々な誓いを立てるのではなく、本気であれば、なにも新年を待つ必要がない。今すぐ実行。そんな意識が何度も手帳を買い替える動機だった。

12月は、様々な思索が交差して、日夜睡眠不足が続いたけれど、これからは規則正しい生活を心がけなくっちゃ・・・・

「不規則が規則」のような生活が板についてしまっているので、この悪習を変えるのは容易ではないけれど、頑張らなくっちゃ~。

 

 

そうそう、手帳と共に素敵なお買い物もしましたヨン♪

ストッキング♪

大好きなのよねぇ~。こういうストッキング。左は、左足首上だけの花柄♪ 右は・・・・タイトスカートを履いて普通に歩いている分には、スカートがひらひらする事もないし、一見普通の黒のストッキング。お行儀よく足をそろえて座った時も、ギリギリ一見黒のストッキング。少しでもだらしない座り方や不穏な足の動きをすると、肌色とリボン部分が露出するのでよろしくありませんねぇ~。履いていて、緊張感漂うストッキングです♪ きゃきゃ! 

通常の行動では、決してレースや柄部分を見せないのが良いのです♪ ^^ 

女性に生まれた喜びです♪ ♪ ♪

今年一年(本当は毎年だけど)は、女性として反省する事が多かった年だった。でも、苦しい事もあり涙を流したことも多かったけれど、総ては宇宙の法則なのでしょう。今、この時期こんなことが起こる?!と嘆きと悲しみが多かったけれど、まさに神からの伝言だったのだと思える。むしろ、それが起こらなかったとしたら・・・とおもうとかえってゾッとする。色々と反省できて良かったな・・・・

いつもお越しくださっている方、ありがとうございました。苦しいことが在ったとき、匿名でコメントを下さった方、ありがとうございました。わざわざ匿名にして下さったこと、心から感謝しています・・・・

あなたも私も、だれでもが輝かしい新年を迎えられますように・・・・

 

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気品ある光

2013-12-28 02:45:38 | 日記

昨日の午後は東京駅・丸の内界隈で過ごした。丸ビルのすぐ目の前、有楽町と大手町を結ぶ丸の内仲通り沿いの街路樹のイルミネーションが美しくしばし見とれた。カメラを持参していなかったのが悔やまれた。

 

かつて、ジュネーブにいるとき、レマン湖の照明を見て、香港人の知人が照明に色がなくて物足りない、赤、青、緑、などで飾った方が綺麗だと言ったのを思い出した。彼女の意見は「そうねぇ~」と受け入れた。確かに、今の時期の少し前から、2月の旧正月までの香港のネオンイルミネーションは極彩色で美しい。でも、レマン湖の照明はシャンパンカラー1色の方が、気品がある。

 

丸の内中通のイルミネーションも、シャンパンゴールド一色だからこそ美しかった。札幌の札幌駅から真っ直ぐ大通り~薄野までも南北を貫く道路が同じ照明だから。しばし、思いをそちらに寄せて眺めていた。大通り公園は東西に延び、それぞれのオブジェのデザインに合せたカラー照明であるが、その対比が美しいのである。

 

クリスマスが終わると、一揆に年末ムードですね?なんでも、先取りで待ちわびるのが素敵なのかもしれません。1日でも過ぎたクリスマスツリーは白けるだけなのかもしれません。その、待ちわびる気持ちを私は和服で楽しみます。和服はデザインに変化がない分、色彩や柄を楽しむのが「粋」です。季節を先取りして色や柄を楽しむのです。

 

例えば、桜の時期にピンクの桜柄の着物では「粋」ではないかもしれません。未だ寒い時期に桜の開花を待ちわび、ピンク色の桜の着物を楽しみます。桜が満開の時にその美しさは、やはり桜の花に譲り、一寸控えめに次の時期の花や他の柄を楽しみ、桜の美しさを愛でる事ができる、その事に感謝をしたいですね。

 

年明けにパーティーの予定があり、和服で出席しようと計画中。本来ならば、12月に行われる予定だったものが、1か月先送りにされた。梅の開花を待ち望んで古典柄の「梅柄」か、季節柄の「雪輪」か、モダン柄の「黒字に白いレース柄」か、少し迷ってみよう・・・

そんな事を考えていると、こんなボ~っとした時間を持てることに感謝しなくちゃいけないですね?

 そろそろヴァイオリンを出して磨いてあげなきゃあねぇ~。ホッタラカシ・・・・反省。

あなたも私も誰でもの心が、「気品ある光」で満たされますように・・・・

 http://www.youtube.com/watch?list=PL2AD3AEF0E42948B4&v=BuVR8HBm8FQ

 

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安らかに眠ってください

2013-12-27 02:50:17 | 日記

また、一人亡くなった・・・

この寒さに持ち堪えなかったのだろうか?

そのAに8月にお会いしたときには、カムチャッカの写真を見せて欲しい、現地の話を聞かせて欲しいと微笑んでいたのに・・・

 

清廉潔白、自分にも厳しく他人にも厳しいけれど、心からの温かさを持っている方だった。そして・・・・失礼ながら、男の色気などと言うものは全くない方だった。本当に失礼な表現かも・・・・でも、男性ばかりいる中で、私はその方の清廉潔白なそういうところを尊敬していたし好きだった。

 

誰に対しても紳士が自分にだけ野生?を見せ、スーパーマンが自分にだけウィークポイントを見せるから、その野生とウィークポイントが光り輝くのではないだろうか?

 

・・・・・・・とは言え、予定外に見せられたりすると戸惑うものですけれど・・・・;;;;;;

「ブルータス!お前もか???!!!」と・・・・

 

在るプレゼンで50人を前に私が40分位話していただろうか・・・?その時に、Aが立ち上がって質問をして来た。全く自分とは専門分野が違うAの質問に私は開眼された。Aのお蔭で、私はAの分野の日本中の資料をかき集めた。本来であるならば、その分野の世界中の資料を収取(収集でも良い、しかし、集めて終わりではないので)すべきところだが、幸い?にAと私の分野は相反するモノなので、日本語の物だけに限定して収取した。そのお蔭で、私には新たな学びを得たのだった。

 

Aは、左手の握りこぶしで自分の額を押え考え込み、右手にペンを持つポーズが板についていて知性の煌めきのオーラを纏っていた。しかし、対面で話すと、相手をじっと見て観察する態度なので身がすくむ思いをさせられるかもしれない。それにAの仕事着を着せると余りにも様になっていただろう。

 

仲間と言えるかな?友人の一人の彼女に言わせると、彼の頭脳線は手首にまで伸び、握りこぶしから何時もはみ出ていて、余りにもシャープな頭脳に付いていけない怖い存在だと言っていた。そして、明るいBが良い、Aは嫌いなどと言っていたが・・・・

 

そんな彼女も、最近はAの魅力を理解してきたようで、「一見厳しい様だけど、自分の眼を覚まさせてくれた、愚かな自分を見せてきたが、Aから直筆の手紙が来て心底の優しさに感動した・・・」とAに対する視界が開けたようだった。

彼女からAの自宅の住所を教えて貰った・・・・

 

なのに・・・

10月、11月~今月の始め迄、海外に出ていた私は、クリスマスか年末年始にカードを贈るつもりが・・・・間に合わなかった。彼女から住所を教えて貰った時に、即時行動するべきだった。こんなところでも少し怠け者の自分を反省させられた。

 

伝える言葉は伝えないと伝わらない。行動すべき時に行動しないと、そのチャンスを奪われる。

人生は一度きりなのですねぇ~?

最近は、自分のアカシックレコードに興味を持ち、いわゆる前世という胡散臭い代物で、今自分が生きている今世しか理解しえないのだが、前世でやり残したことを今世で学びとすれば、魂が磨かれるのだとようやく理解?出来るようになった。少しは、大人になったのかしら?

Aの冥福を祈りたい・・・・涙。。。。。

 

 http://www.youtube.com/watch?v=0uc01ASDJT8

 http://www.youtube.com/watch?v=sXi2kAO7W0E

 http://www.youtube.com/watch?v=TKsuamxZG40

 

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ブルガリアの首都ソフィア

2013-12-24 00:00:02 | 旅行

ブルガリアの首都ソフィアを紹介したい。ソフィアは、ヨーロッパの首都としては、マドリッドに次ぐ高所にある。標高550メートルの高原都市で、人口は149万人で、ヴィシャト山の麓に位置する。旧ソ連やブルガリア共産党の関係する建築物や銅像などは一掃された様子で、民主化から20年経過したことをうかがわせる。しかし、街中はロシア語と同じキリル文字が目に飛び込んで来る。

 

 

これは、旧共産党本部である。非常に威圧的な建物である。

 

これは、バーニャ・バシ・ジャーミヤ。オスマン朝時代の1566年に建立されたイスラム寺院である。この周辺にはトルコ系の住人が多く、他の地域とはとがった独特の雰囲気を持つ。共産党時代には、彼らがこの寺院を信仰のよりどころにするのを禁じていた。

 

これは、聖ゲオルギ教会。4世紀にローマ帝国により建立された、現存するソフィア最古の教会。教会背後には、ローマ時代の浴場跡が見られる。周囲にはビルが立ち並び、長い歴史を見守ってきた風情がある。

 

これは、アレクサンダー・ネフスキー寺院。

ブルガリアで最大で最も美麗の5000人を収容可能な寺院である。ドームの高さ60メートル。ブルガリア独立をなした露土戦争(ロシア帝国もしくはその前身帝国とオスマン帝国(トルコ)との戦争)で殉死したロシア兵を慰霊する目的で建立された。1882年着工、1922年完成。

 

これは、聖ニコライ・ロシア教会。聖ニコライを祀る為に建立された教会で、1913年に、ロシアの外交官セモントフスキー・クリロの命による。

 

これは、大統領官邸。

う~~~ん、ハンサムぅ~♪

 

官邸近くの道路で見かけた不思議な車。車種をご存知の方がいらしたら教えてください。^^

 

これは、ロシア皇帝アレクサンダル2世(1818~81)の騎馬像。何故ロシア皇帝の銅像があるか?それは、アレクサンダル2世は、露土戦争の勝利により、ブルガリアをオスマン朝支配から解放した英雄だからである。よって、この像は解放者記念像と呼ばれている。高さ14メートル。右側には、オスマン朝に対する宣戦布告書を持っており。台座には、「我が兄弟、解放者のために」の碑文が刻まれている。

 

そうそう、ブルガリアでの食べ物を紹介するのを忘れていました。ブルガリアと言えば、ヨーグルトですよね?

 

日本で、ブルガリアの国名がそのまま商品名なったヨーグルトがありますが、全く別物です。多分、そのヨーグルトのホエー(上澄み液)を取り、更にカーゼか何かで濾したら出来上がると思います。硬く、クリームチーズの様な感じで喉が詰まってしまいますね。ギリシアヨーグルトとほぼ同じかしら? これは、手を付けていない写真です。ツボのふちに盛り付けの時の汚れ?を付けてしまっても気にしないと言う事でしょう。スプーンも突き刺した状態でサービスされました。個人的にはヨーグルトは大好きなので、とてもおいしかったです。

これを食べただけで、お腹がズシリとして胸一杯になってしまいました。琴欧洲さんは、ブルガリア時代に、これを毎日2キロ近く食していたと言う事ですから驚きです。

 宿泊したホテルは、とても素敵で、お菓子の家のクリスマスディスプレーが可愛らしかったです。お部屋のベッドカバーは薔薇柄でとてもムードがありました♪

さぁ~、この辺でルーマニアとブルガリアの紹介は終わります。写した写真のほんの一部でしたが、何時も、お読みいただいている方、ここにお越しくださりありがとうございます。

 

さようなら~ソフィア。

 

しばし、雪の白い世界に浸った。寒かったぁ~。

でも、帰国して少しボ~っとしていたら、冬至を迎えました。今日から少しずつでも、昼の時間がながくなりますね?

さようなら~ビトシャの山々よ・・・・

 

 

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冬至と色彩心理(真理)

2013-12-23 00:00:17 | 日記

今夜は冬至なのですね?とても寒い一日でした。でも、私にとっては、希望の一日でした。なぜなら、明日から少しずつでも確実に、昼の時間が長くなっていくから・・・・

冬至は、なんとなく希望が見えるから好きな日なのです。

 

さて・・・

色彩による自分診断をしてみました。

 

これは、私の神棚?祭壇?の様なもので、毎日眺めていると、本当に綺麗で心が洗われるのです。花の代わり、☆の代わり、海や山などの大自然の代わりになり、癒しを与えてくれるのです。

107本の上下2層になったカラーボトルから、好きなボトルを4本選びだし、自分の潜在意識と顕在意識に向き合うセラピーです。国家資格でも何でもなく、あくまでも民間資格ですが、このカラー診断のライセンスなるものを随分前に取得していました。

 

悪戯?に、周囲の男性陣に被験者?になって貰い、随分と診断を(無理やり)してあげました。わざわざ男性を選んだのではなく、周囲が男性ばかりなので、結果としてそうなってしまっただけです。20代から80代まで様々な年齢の方々に、4本選んでもらうととても面白い結果が出ましたね。

 

勿論、本人にはその診断をその場で告げているのですが、普段、こちらから見ている人物像とは違い、その人の選ぶ色彩と言うのは、その人の心や内面を表しているものだとつくづく感じさせられました。

 

先日選んだもの・・・

自己診断をしてみると、ずばり私のマイナス点を突き付けられて、反省する事が多くて、それでも心を鼓舞する事ができました。

 

そして、本日新たな気持ちでまた4本を選び、色彩の移り変わりで、自分の心の変化を読み取る事ができます。人様の事は良く見えても、意外に自分の事って解らない事が多いですからね。時折、自己診断をしています。

 

するとどうでしょう・・・?

 

「ありがとう。ごめんね。許してね。愛しているよ。」この素晴らしい4つの「魔法の言葉」が心から発せられるのです。

 

冬至を迎えて、寒さがいよいよ増してきました。如何か皆さまお風邪など召しませんように・・・・

あなたも私も、誰もが心温まるクリスマスと年末を迎えられますように・・・・

アヴェ・マリアを聞きたくなりました・・・

明日(もう今日)は、自分で弾きながら歌ってみようと思います。

good night!

 

 

 http://www.youtube.com/watch?v=YEc0g323kYA&feature=related

 

 

 

 

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世界遺産ボヤナ教会

2013-12-22 00:00:07 | 旅行

世界遺産のボヤナ教会を紹介したい。

ボヤナ教会は、ソフィアの中心部から南西8キロのヴィトシャ山の麓に位置する。

 

ヴィトシャ山は、標高2000メートル級の山々が連なる。最高峰は標高2290メートルのチェルニ・ブラウ山(黒い頂きの意味)である。この辺一帯はスキーリゾート地である。

 

ボヤナ教会は、10~11世紀に建立された。そののちに、13世紀と19世紀の二度増築を重ねている。

 

毎回、数千枚の写真を写しているが、私自身の写真は全くない場合もあるし、あっても5枚以下である。しかも、自分の手足を写したものが多い。今回は珍しく、全身写真が在ったのでアップ。。。(恥)^^;

この煉瓦だけで組み立てられた部分が最初に建てられた聖堂である。

世界遺産に登録されているのは、1259年に描かれた、教会内部のフレスコ画である。ここでも「最後の晩餐」が描かれている。

世界各地の「最後の晩餐」を随所で見てきたが、比較すると面白い。南米ペルーで見た「最後の晩餐」を思い出しながら、頭で比較しながらボヤナ教会のものを鑑賞してきた。絵画としての「最後の晩餐」について、各国各所を取り出して論じると、それだけで本が一冊書けてしまうので、ここでは割愛する。

 

目にするもの総てに、愛おしさを見て眺めていると、多分、写真の好きな人や画家は、私と共通する目を持って、物事を眺めているのだろうけれど、何かを見たときに、その観た光景以上に、自分がこれまで経験したことのフラッシュバックがマザマザと怒涛のように脳裏によぎる。

子供の頃。屋根から垂れ下がる氷柱に太陽が当たり、少しずつ解け始めて、ポツポツと氷柱の先から雫が零れる様を見たときには、何もかもが雪で覆われた銀世界にも必ずや春が来るのだと、微かな季節の移り変わりを感じたものだった。冷たく寒い冬は苦手でも、「雪は天からの手紙」という、中谷宇吉郎博士の事を思い出すと、溶け始めた氷柱と引き換えに、美しい雪ももうおしまいなのだと、終わりと再生を感じていた。

 

よく旅行が好きなのですね?写真が好きなのですね?と尋ねられるが、実は、人間が好きなのだと思う。かつては、多くの人と世界を旅していたから・・・・

そのころは、写真など取る暇も風景の美しさと対話する時間もなかったから・・・・

今は、自由にのびのびと心の赴くままにシャッターを切っているのである。

 

次回は、ソフィアを紹介したい。

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世界遺産リラの僧院

2013-12-21 20:37:45 | 旅行

 

 

ブルガリア正教の総本山ともいわれるリラの僧院を紹介する。

リラの僧院は、ブルガリアの首都ソフィアから南に約65キロの、リラ山脈の奥深くにひっそりとその姿を見せてくれる。

周囲には見渡す限りの山々で、多くのカーブを走り抜けてようやくたどり着いた先に、ポツンと山の中に立ち、僧院の門をくぐると

極彩色豊かな寺院が目の前に現れる。

 

午後で太陽が少しでも山の影に隠れると、その通りに僧院にも影を落とし、遠い山々に光が当たっている。

10世紀に、イヴァン・リルスキという僧侶が隠遁の地としてここを選び、小さな寺院を建てた。それが、のちに中世の宗教と

文化の中心になっていった。

14世紀になり、時の王の庇護の下で僧院文化が開花して、現在の姿になった。その後、ブルガリアは約500年にわたってオスマン朝の支配下となり

キリスト教信仰やブルガリア語の書物を読むのも禁じられた。しかし、リラの僧院だけがそれを免れたのである。

1833年に大火災が起こり、大半が燃えてしまった。しかし、その後、復旧されて、1983年に世界遺産に登録された。

リラの僧院について書くならば、民族復興様式の教会であることを踏まえて、フレスコ画やイコンについて多くを語らなければならないだろう。

しかし、割愛する。

1833年の火災で、唯一免れたのがこのフレリョの塔である。14世紀にたてられた当時のそのままが残存している。外壁の壁画も、殆ど退色沿ていない当時のそのままの姿である。また、僧院内にある、歴史博物館は、圧巻であり写真で紹介できないのが残念である。19世紀初頭に制作された、ラフェエロの十字架が圧巻で、12年の歳月をかけて制作された代物である。高さ50センチほどの十字架に、140の聖書の場面が彫られており、そこに登場する人物の数は1500人。この彫刻が完成した時には、ラファエロの視力はほとんど失われていたという。

山々の清々しさが僧院内に独特の陰を落としている。

 

 

 

 

 

今回は、あまり書きませんでした。

お粗末様でした・・・・

 

次回は、世界遺産のボヤナ教会を紹介したい。

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世界遺産イヴァノボ教会

2013-12-20 20:32:11 | 旅行

ドナウを挟んで、ルーマニアとブルガリアの国境の街であるルセより、約20キロ南にある世界遺産を紹介したい。1979年に遺産登録されたイヴァノヴォの岩窟教会である。

はて?この切り立った岩山のどこに教会が??

望遠で撮ってみると、絶壁の途中に木壁と窓を確認できるだろうか?厳しい気候から守るために、一部修復と保護されている。あそこです。

 

一寸、見上げるとこの凍てついた岩壁を登るのは怖いよぉ~~~。

でも、好奇心や研究心や探究心を眠らせることは、私にとってそれは、精神の死を意味する!?などと気持ちを奮い立たせて、登りますよ!

 

 

こういう山の中に入って修行する僧侶は何を考えていたのだろうか?凡人の私にはわからない。しかし、この岩をくりぬいた教会で感じた事と日常の様々な私的な悩み事は、苦しんで、苦しんで、苦しみぬいて、その答えを求めて、考えて考えて、考え抜いて、あるいは祈って、祈って、祈りぬいて、孤独の中でこそ真実の光を見いだせるのかもしれないと思う。

13~14世紀に描かれたフレスコ画は、岩が剥がれ落ちたり崩れている部分もあるが、未だ色鮮やかではっきりと何が描かれて入るのか解り、目にすることが出来る。これらのフレスコ画も相当数写してきたが、絵とその解釈に関して、ここでは割愛させてもらう。

孤独の中でこそ見いだせる真理は、私にも覚えがある。人は何かに悩むとき、苦しみの心だけに焦点を当ててしまいがちであるが、そこには必ずや原因がある。いわゆるその人特有の因果律である。解っていても、日常に追われた生活の中では、自分の因果律にじっくり向き合う時間がない場合が多い。しかし、自分の因果律に目をむき自問自答をしないと、いずれは解決しなければならない問題として、目の前に立ちはだかるものである。

苦しみ抜いたとき・・・・真珠貝が美しい真珠を作りだすように、それまでの過程ではどれほどの痛みがあっただろうか?その苦しみと痛みに耐えてこそ、真珠の輝き(真理)が生まれる・・・

などと、雪景色の岩窟教会を訪れると、しばし、哲学者になった様である。^^

 

この冷たく白く輝く雪を湛えた天に向かって真っすぐに伸びる針葉樹と、乾燥した空気で抜ける様な青さの空の美しさがお解り頂けるだろうか?

 

次に、ブルガリアの国土の東西にわたるバルカン山脈の麓の街、ヴェリコ・タルノヴォを紹介したい。

夕方の風景。森に囲まれた街で切り立った崖に細長く町が広がる。

これは、朝の今まさしく日が昇ろうとしているところ。眼下にはヤントラ川がゆったりとカーブを描きながら流れている。このヴェリコ・タルノヴォは、1187年~1393年に第二次ブルガリア帝国の首都として栄えた。バルカン半島のほぼ全域を支配していた時期は、ビザンツ帝国も圧倒した。イヴァン・アッセン王統治下の時代の事である。

そのアッセン王死後は衰退し、やがてビザンツ帝国に支配され、1939年には、オスマン朝との3か月にわたる戦いで、ついに滅亡してしまう。その後、再び脚光を浴びるのは、1879年のことである。500年にわたるトルコ支配から独立を達成した。新生ブルガリア王国の最初の国会が、この地で開催された。

お散歩するには、美しい街です。細い街の両側が切り立った崖で森の中を宙に浮いて歩いている感じですヨン。

ソフィアなどの首都も素晴らしいが、このバルカン山脈の中で脈々と生きている、この街を歩くと、心が浄化されるよう。宿泊したホテルを紹介する。

  

 グランドホテル・ヤントラ。とっても素敵なホテルです。

 

 

 レストランでは暖かな暖炉が心に沁みる。

 

 

リビングとベッドルームが別れていてムードがありましたヨン。

鏡の前で1枚パチリ♪

次回は、リラの僧院を紹介したい。

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ルーマニア「トランシルヴァニア地方」2

2013-12-15 21:45:55 | 旅行

 

 

今回は、先回のルーマニアのトランシルヴァニア地方(「森の彼方の土地」の意味)のブラショフとシギアショラの街に引き続き、ブランとシナイアの街を紹介したい。

ブランの街は何といっても「吸血鬼ドラキュラ」の居城のモデルとなった城を挙げなければならないだろう。

 

この城は、ブラショフの街から南西約30キロに位置する。1377年ドイツ商人がワラキア平原からブラショフに侵入してくるオスマン朝軍を発見するために築いたとされている。

 

ブラン村のブチェ山麓に聳え立つ。針葉樹が天高く真っ直ぐと生えていて、雪景色と余りにもマッチングしていて、冬の美しさを際立たせていた

 

この山道を登って行きますよ!道路が凍結していて、転倒するのが吸血鬼より怖かった。

 

『吸血鬼ドラキュラ』は、アイルランドの作家ブラム・ストーカーの作品である。私たち日本人は、どうしても誤解しがちであるが、吸血鬼=ドラキュラではない。あくまでも、ブラム・ストーカーの作品中の固有名詞である。吸血鬼は、Vampirで、また、ルーマニア語でドラキュラは竜の子の意味である。

 

実際にこの城に居住していたのは、ワラキア公ヴラド1世で14世紀末の事である。ドラキュラのモデルであるヴラド・ツェペシュの祖父にあたる。現在は博物館として解放されており、王の執務室や婦人の音楽室など、沢山の部屋が見学できる。

 

内部は隠し階段などもあり、非常に複雑なつくりになっている。中庭からの様子。

 

 

また、中庭に於かれたこの天秤は何かお判りだろうか?

魔女の取り調べ用の天秤である。魔女裁判では、天秤の片方に石を載せて、反対に女性を乗せ,その石より体重が重たかったら魔女と判断される。

 

 

怖いですね・・・・。女性は太ると中世から罪になるのでしょうか?

本当に怖いです。あと、拷問用の椅子も写しましたが、載せないで置きます。胸が締め付けられてしまうので、載せないでおきます。人間は、古今東西なんて残忍な事をして来たのでしょうか?

 

塔の最上階からの周囲の風景。

 

ゆっくり下山して来ると、チラホラと麓の土産店が店開き。

 

胸が締め付けられた後は、可愛らしいお土産に心が和む。

生命の象徴と角のない形が大好きなエッグ。幾つか購入して大事に手荷物で帰国しましたヨン。

 

余りに寒くてね、実際の外気温の寒さと中世の人間の残酷さと、それで、ホットワインを見つけて、まだ午前中だと言うのに迷いなく飲んできました。赤ワインにシナモンの香りが効いていて甘くて美味しいの~♪

 

 

次にシナイアを紹介したい。

ルーマ二アを囲むように走るカラパチア山脈は、標高2000メートル級の山々が連なる。シナイアは、カラパチア山脈のブチェジ山の中腹に位置し、「カラパチアの真珠」と称される。18世紀にブカレストの王侯貴族達の別荘地として繁栄した。

先ず、シナイアの僧院を紹介する。この僧院が17世紀に建てられたことにより、町の歴史が始まった。

 

 

ワラキア公カンタクジノがこの地を訪れたのを記念して建立された。

 

 

 

教会入口に描かれたフレスコ画は、素晴らしい。絵の内容については割愛する。

 

次に、ペレシュ城をを紹介する。

 

1875年カロル1世がルーマニア王宮の夏の離宮として、8年の歳月を掛けて建立された。チャウセスク大統領夫人がここの城を夏の離宮としたかったそうだが、叶わなかったそうである。

 

ドイツ・ルネサンス様式で建立されている。

 

庭はフランスのベルサイユ宮殿模したようである。しかし、山の上なので非常に狭い庭である。目の前にはカラパチア山脈が広がる。

 

城の前では、赤い顔をしたオジサンが何故か、「アルハンブラ宮殿の思い出」をギターで奏でていた。南欧のアルハンブラの城とペレシュ城とは余りにも建造物としては違いがあるが、しかし、シエラネバダ山脈が白い雪を湛えた姿は、共通するものがあると感じた。また、タレガは「アルハンブラ宮殿の思い出」を作曲するときに、副題に「祈り」と付けている。ギターのトレモロが祈願の思いを伝え、雪のカラパチアの山々に響き渡った。

 

 

 

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ブツブツ・・・「善と悪」と祈りと悟り

2013-12-11 15:42:07 | 日記

昨日は、久しぶりにとてもお世話になっている方のAと電話で1時間位話をした。御話させて頂いて本当に好かった。感謝!ありがとうございます!そんな気持ちが受話器を置いた直後からじわじわと湧いてきた。

 

今まで、男性社会に生きてきたが、数少ないとはいえ女性が皆無ではなかった。その数少ない女性は、皆?(と言っても人数が少ないが)、超個性的である。最も私自身も、もしかしたらその構成員の一人なのだろうが、これでも、最も常識的な女性であると自負している。

 

そんな男性社会に生きてきた女性の一人として、女性性を売り物にしてもっと媚びをうり色仕掛けできるタイプであったら、私の人生はもっと楽であったのかもしれないといつも思う。

 

しかし、Aの話によると、やはりそれは間違いで、色仕掛け作戦をして上手く行っている筈のB子やC子は今、苦戦をしているという。元来の努力を怠り色仕掛けする女性は、没落するのだ。それでも、私にも多いに反省はある。余りにも毅然として凛!としていたかもしれない。しかし、色仕掛けしようなどと言う意識は無くても、控えてこれ以上控えきれない位に控えていても、勝手に私の女性性を感じる男性は少なくない。通常であれば、全く問題ないのだが、むしろ喜ぶべきこと?で、お互いに立場が在ると問題はややこしくなってしまう。普段、控えている分、自分をさらけ出しても良い男性には、これ以上ない位の甘えん坊でもある。お相手がタジタジになってしまう程かも、う~ん、今はやりの言葉でいうと「じぇじぇじぇ」かなぁ~?だから、男性は思い切り甘えられる器のある人が良い~♪ とは言え、私ほどの我儘女性を受け留められる男性なんてこの世に存在などしないのかも。人が人を変えることは出来ない。だとしたら、自分が変わることで相手の行動を変えるしかないのだろう。

 

男性ばかりの中に居て、彼らを観察していると、この女性の甘えと言うのはどういうものなのか、嫌と言う程教えられる。女性が考える甘えと男性が考える甘えられると言うのは、実は大きく違っているのだ。女性が考える甘えで、男性に甘えてしまうと、大抵は男性を辟易させることを、殆どの女性は知らない。

 

男女が仲良くするには、女性からは男性という生き物がどういうものかと知ることが一番である。自分の考えで行動してはいけないと言うことが痛い程、実感として理解できた。これは、男性が女性に接する場合にも同じことが言える。大体、違う宇宙から来た人間同士だからね。お互い理解できなくて当然なのだ。でも、私は痛いほど学習をした。それなのに、中々生かせていないである。

 

何も男女関係だけではなく、人間関係を維持する上では、「善と悪」の在り方を考えるとよい。

 

悪い事柄や悪い人間を排除しても、問題は収まらない。「善と悪」は自分の中にも存在する。悪を排除しても、それは一時の事で、面白い事に今度は残った善の中に更に悪が見えてくるのだ。なぜならば、「善と悪」は相対的なものだからである。組織の中で悪人を排除しても、その中に残っている人間が更に悪になって現れてくる。そのことに固執していると、自分の器が小さくなり人間嫌いになってしまうだろう。そして、悪を切っても善の世界にはならない。善の器で善と悪に関わるのが、必要なのだろう。

 

B子は立場あるDと仲良く宜しくやっていたが、Aの話によると、DがB子を嫌っていると言う。何故?

実は、昨年の今頃、私はDを滅多打ちにぶった切った。直接関係ないとはいえ、私からしたら立場あるDである。しかし、毅然とした態度で接してきた。最初は嫌がらせを受けたが、凛とした態度にDも諦めたようだ。それどころか、季節の御挨拶状を送ったら、殊更に喜んで感謝された。その後も、態度を変えず、さらに御挨拶状を送った。それで、少々時間はかかったものの、事なきを終え私の人生からはDは消えたと思っていた。しかし、人として、やはりそれでは、少し情緒に欠けるかもしれないので、最後のクリスマスカードを送ろうと思う。彼が腹いせで私に嫌がらせをしなければ、今頃は、少しはお近づきしたかもしれない・・・・

 

さて、その後、B子はDにこれ見よがしに近づき、Dは諸手を広げて喜んだ・・・・筈だった。B子はDの前に、E,F,Gにも色仕掛けをしている。Gは最初からB子を撥ねつけていたが、D、E,F,は総て同じ大学出身で、彼らのカラーは良く出ていた。そして、私は陰ながらGにはお世話になった。彼のお蔭で今の私があるとも言える。

 

「レマン君・・・しかし、D,E,F,Hなど、どれも某大出身は人一倍女好きで助平なくせに、どいつもこいつも度胸がないと思わないか?B子を相手にするんなてよ。いくら女好きの彼らでも、DなんてB子と関わったのは好いが、怖くなったのだろう。しかし、Dのやつレマン君にまで・・・・B子の悪口は凄いし手余ししているけど、レマン君の事などレの字も口にしないぞ。Dも馬鹿なやつだなぁ~。Iもレマン君に惚れていたのだろう。しかし、君が相手にしないから面白くなくて嫌がらせをして自分の立場を見せつけたのだろう。だが、そんなことをしても、君はするべきことをして周囲には人一倍信用が在った。また、H(女性の立場ある人物でB子、C子は寄り付かない)などがしっかりと君の応援をしていた。Iは拗ねていては自分の立場が危ういと判断したのだろう。ましてや、君は怯まないし毅然と努力を続けて結果を出してきた・・・結局は幾ら女好きのやつらに色仕掛けをしても、B子は性格が悪すぎる。だから、結局嫌われるんだろうな。しかも、実力がない。だから、ますます色仕掛けをして・・・同じことの繰り返し。(略)

レマン君。その内、年明けにでも食事に出かけよう。いや~、DもIも度胸なしよのぉ~。君は次に僕に会ったときは、無事で帰れないもしれないよ。僕は危険な男だよ。君と話していると実に楽しい・・・」

「あらら~。私はAさんの心臓の方が危険だと思いますわ。これからますますご活躍して頂かなければなりませんもの・・・・どうぞ、養生なさり、お大事になさって下さいませね?」

 

B子からもC子からも、嫌がらせは随分受けた。男性社会で、彼らと上手く付き合っていかなくてはならなず、それだけでも凄いストレスなのに、数少ない女性も曲者だった。B子やC子と組まなければいけない時は、地獄だった。でも、邪を撥ねつけるパワーストーンのブレスレットをして、決して揉め事にならない様に、自分を押えていた。そうしたら、先輩であるはずのB子から親しげにしてきて、寛いでいる時にジュースなどを購入してきて、私に近づいて来た。

 

「なんか、レマンさんって、何時も余裕の微笑だよね。私、不安なんだ~、Dが付いているけれどEが認めて呉れないかもしれないし・・・」

「私は運が良かっただけよ。B子さんは、実力があるし。だから、別な組織ではきちんと活躍しているじゃない。きっと上手くいくわよ!」

 

そんな会話をして、この秋に別れてきた。実際、B子は他の組織では評価を受けて立場が在り成功している様である。今、こうして書きながら傍観者的、少しは客観的?に眺めてみると、色仕掛けは私には無理でも、私にだってB子やC子の様な要素はあると思う。偶々、彼女等と同じ世界では、それを出さずに控えていただけである

他人から見たら順風満帆に見えるかもしれないが、他の世界では私なりに悩みは多く、反省するべきことが多い。ストイックに頭を抱えているだけでは生きていない。夢の理想の世界と実存世界を往ったり来たりしている。

 

そして・・・

精神が逝っている状態で、北欧の大自然や芸術作品、ルーマニアやブルガリアの教会建築や人の営みと歴史を見て来て、改めて次の様に思い、行動しなければいけないと悟り?を開いている所である。

 

アメリカの神学者ニーバーの祈りを引用したい。これは、アメリカなどでは、アルコール依存症、薬物依存症、神経症などの治療プログラムなどで採用されている言葉である。ちなみに私はクリスチャンではない。

 

O GOD, GIVE US

SERENITY TO ACCEPT WHAT CANNOT BE CHANGED,
COURAGE TO CHANGE WHAT SHOULD BE CHANGED,
AND WISDOM TO DISTINGUISH THE ONE FROM

THE OTHER

神よ

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。


変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。


そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、

識別する知恵を与えたまえ。

 

 

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クリスマスイルミネーションin 銀座

2013-12-10 01:23:58 | 日記

昨日は(正確には一昨日)夕刻の銀座を少々ブラブラしてきました。日曜の夕刻と在り、また、クリスマスイルミネーションを楽しむ人足が多く、イルミネーションの美しさを更に心躍るものとしてアクセントになっていました。

 

携帯で撮ったので良い写真ではない。しかし、イルミネーションを見て良かったぁ~♪

体調が悪く、前日は一睡もできず最悪状態でお出かけ前に1時間の仮眠をとって外出。女子力ガタ落ち状態で、お出かけしたのでしたが、お出かけして良かった。本当によかった。

 

以前、美術鑑賞が好きだという知人に、質問を受けた。

「どうして、人は飾り付けたりするんだろう?縄文式土器だって、只の器で良いはずなのに、目の前にある物(縄)を使って押し付けたりして模様を付けてさ。そんな模様不要なのに、そんな古代から模様付するなんて、どうしてだい?レマンさん教えてよ」とな。

美というのは、存在してもしなくても良いものではなく、人がより豊かに生きるには美は無くてはならないもの。そして、ギリシア神話の「パンドラの箱」について述べた。

「パンドラの箱」については、随分前にここで書いた事をもう一度貼り付ける。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

知的な人間の代表であるプロメテウスが全能の神ゼウスから、火を盗んだ。そのおかげで人間は、夜の闇に明かりを灯して野獣を恐れることなく暮らせるようになり、物を煮たり焼いたりして食べることを覚えて、そのおかげで病気に掛からないにようにもなった。

いや、ゼウスから火を盗んだのではなく、実際は太陽神ヘリオスの燃える車輪から火を移し取った。ゼウスは、人間に火を与えると知恵が授かってしまうので、それを拒んでいた。なんとかして、プロメテウスと人間どもに火の償いとして禍をもたらし不幸にしたかった。

そこで、パンドラ(総ての贈り物の意)を作り上げた。その姿は女神の顔に似せ、若く美しい乙女の体にし、さらに恥知らずな心とずるい気質を吹き込んだ。人間の女性は総てパンドラから作られている。

頭の良いプロメテウスは、かねてから弟のエピメデウスに、ゼウスからの贈り物には気を付けるように言い付けてあった。決して受けとらずに送り返すようにと。しかし、兄が外出している時にゼウスはパンドラを、エピメデウスに送りつけた。

玄関先に誰かが来たので出てみると、なにやら観たことのない誰かが箱を持って立っている。男しか見たことがない彼は、自分と同じような姿ではあるけれど、なにやら艶めかしい肢体の自分とは違う細い声の美しいパンドラを迎え入れた。兄からの忠告をすっかり忘れて男心が優先してしまったのだ。彼女は、神々からの賜物を一杯詰めた箱を手土産に持ってきていたのだが、その中身は開けてみることが許されていなかった。

エピメデウスはパンドラと居ると楽しくて湧き立つ気持ちにあふれていた。手土産の箱も開けなければ問題がないと思っていた。兄の忠告は頭の片隅にあったものの、それよりもパンドラが魅力的だった。パンドラは自分に気があるエピメデウスの気持ちを見透かして弄んでいたが、神からの賜物が気になってしょうがなかった。彼女は怖いもの見たさから、とうとうそっと開けてみた。

すると、中から怪しい物が一杯立ち上がり、それは、あらゆる禍、病気や災害などの害悪だった。慌てて彼女が蓋を閉めたが、それらは四方に広がってしまった。しかし、箱の中には唯一希望だけが残った。

彼女の御蔭で、その時以来人間には、数限りない禍や悪疫が横行し苦しめられるようになった。そして、唯一残った希望が生きる糧となった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「人は美の中に希望を見出し、美に恋し、美に酔いしれる。美は人の心を躍らせる。

幸福は誰でも、その人の心の中にあるものだが、その人が好むあるいは感じる美は、その人を幸福な気分にさせる。」

そんなことを答えたような記憶がある。

銀座のイルミネーションを鑑賞していて、正にそんなことを思いながら、歩いていた。連れ出して下さった方に感謝です。怯む心と体に鞭打って外出して良かった・・・・のよぉ~。それでも、私の思い違いで無ければ、ご一緒した方に、私が非常に体調が悪かったとは解っていなかったと思う。銀座に付いて待ち合わせ場所に向かう前に、イルミネーションを見て、その美しさに幸福感を感じたからである。

さて・・・12月も2週目に入り、今年の残り少なくなってきた。今、小さな30センチ位のツリーを楽しんでいる。

このエッグはルーマニアで購入してきた。卵の殻に着色してその上からビーズカバーが掛けられている。とても手が込んでいて温かみを感じるので、一目ぼれで購入し、壊れないように手荷物で運んできた。藁の☆は、ノルウェーで購入。何でもない藁でも、サイズをそろえて心を込めて形作ると、こんな素敵なオブジェができるのですね?

無機質な物でも、人の心でも、心を込めて丁寧に扱ったり接すると、素晴らしい「光」が生み出されるものですね?

解っていても、ついつい日常ではおろそかにしてしまいがちです。

そんなことを反省しながら帰路についた・・・・

今夜はこの音楽で・・・・

good night!

http://www.youtube.com/watch?v=oAC2y3WZWH8

 

 

 

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ボソボソ呟き・・・・ドーハとブルガリアの太陽

2013-12-08 04:38:12 | 旅行

毎日、毎日色々な事が次々と起こる。

対応が面倒・・・・元来が怠け者のせいか、お昼寝大好きぐうたら人間だからなのか、精神的に忙しいとどうしても体調を崩しやすい。

それでも、気を取り直して送らなければいけないメールをツラツラと抜かりなく?書いて送信している。でも、その中でも少々、取捨選択をしている。本音を書いてくる人に優先的にお応えをしていることになるだろうか?

廻り廻った表現されるのが面倒、ツーときたらカーと応えるのが楽ちん~♪本音と建て前の人の建前部分にお付き合いをするのが面倒。ああ~面倒。

ただいま、本音を決して言わない人とお付き合い中。これはメールではなくて、直接対決だけれども~、面倒~。本音が出て、初めてそれについて考える。ようやく本音が返ってきたけれど、察してくださいと言うのが大半で、それ以上、聞く耳を貸すのがとても疲れる。しかし、物は考えようで、そういうタイプには私も決して本音を言わず、同じ行動をしてみようかと検討中。というよりも、そのようなアドヴァイスを頂いて、もっともその通りと大きくうなずいた次第である。こういう時、どういう行動をとるべきが貴重なアドヴァイスを頂いた。今日も長電話の一日だった。

この手のタイプの対応には、ほとほとエネルギーが吸い取られる。非常に相手に気を遣わせるタイプで疲れる。多分、お相手も同じことを考えているのだと思う。この人には、説明は必要で非常に疲れ、ほとほとエネルギーが吸い取られる。察してくださいよ、言わせないで下さいよ、という事なのだろう。一番厄介なタイプが、一番大切に扱わなければいけないなんて、ストレス全開~!!

 

 

そこで・・・・

つい先日、旅の途中で撮った太陽の写真を並べてみることにする。

どぉ~?^^ ホクロが見えるでしょう? 私と同じ位置にホクロがあるのねぇ~。この写真では小さくてわかりにくいかもしれないが、オリジナルサイズでは、黒点をはっきりと確認できた。

これらは、ドーハの夜明け。これを撮ったときは、日本はお昼の真っただ中。その太陽が、ドーハに向かって登ってきていると思ったけれど、視点を変えると、地球が自転をしているのだと、ハタと気が付く。

 

そして、透かすガラスが違うと、ファインダーを通しては二重に見え、実際にはない物までが見える。

どちらが、本物でどちらが蔭だろうか?などと愚問かもしれない。どちらも見えている限り本物なのだろう。

 

これは、ルーマニアのどんよりした朝の太陽で白くしか見えない。

 

これは、ブルガリアの雪原に沈む太陽。

 

 どこで見ても、どこで撮っても同じ一つの太陽なのにね。

見る位置、時間など様々な条件下では、全く違う物のようである。

物事は、俯瞰的にグローバルな視点で見なければいけないなぁ~と、太陽の写真から教えられる。

 

 

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ルーマニア「トランシルヴァニア地方」1

2013-12-06 18:37:48 | 旅行

ルーマニアのトランシルヴァニア地方を紹介したい。トランシルヴァニアとは、「森の彼方の土地」と言う意味で、ルーマニア中央部を南北に走るカラパチア山脈に、北、南、東の三方に囲まれている。トランシルヴァニア地方の内、今回は、ブラショフの街とシギショアラの街の二つを、次回では、ブランの街とシナイアの街を2回に分けて紹介する。

 

ここは、ブラショフの街。中世の街並みを残す美しい古都である。12世紀にドイツ商人により建設され、ルーマニア人、ハンガリー人の3民族により発展してきた。夏は避暑地、冬はスキーリゾート地として賑わう。このブラショフは、小説「吸血鬼ドラキュラ」所縁のブラン城への起点となる街でもある。

 

町一番のスファルトゥルイ広場で、これは、旧市庁舎の建物である。

 

其のすぐ前では、巨大なクリスマスツリーが飾りつけされている最中だった。ルーマニアのアドベント(キリスト西方教会で、キリストの降誕を待ち望む期間で、日本語では降臨節や待降節と呼ぶ)は、12月1日からスタートである。

 

この写真を撮っている間、ず~っと雪が降っていたが、粒が小さく水分が多い雪で、その雪を手に取ろうとしたが、直ぐに溶けてしまい写真に残せなかった。儚い美・・・・

 

 

この街の見どころとしては、黒の教会が挙げられる。

街の中心に立つ、トランシルヴァニア地方最大の後期ゴシック教会で、高さ65メートル。14世紀から15世紀初頭に80年かけて建てられた。1689年にハプスブルグ軍の攻撃により、黒焦げになった事にちなむ。

 

教会内部には、1839年に作られたルーマニア最大のパイプオルガンがある。しかし、内部の写真が取れないので紹介できない。また、内部の「受胎告知」の絵画は印象的である。

 

 

次にシギアショラの街を紹介する。

ここは、ブカレストから北西300キロ、上記のブラショフからは北西120キロの位置し、トランシルヴァニアの中心にある。

 

 

街のシンボルでもあるこの時計台は、14世紀にたてられたが、1670年の大火により焼失したので、その後に再建された。現在も機械仕掛けで時を刻み、からくり時計になっている。屋根の感じなどとても素朴である。シギアショラが商工ギルドによる自治都市になったのを記念して建てられた。

 

 

 

 

 

 

シギアショラの石畳をブラブラすると、ドラキュラのモデルになった息子のヴラド・テェペシュの生家がある。

 

 

現在はレストランになっている。ヴラド・ドラクルが1431年から35年までの4年間、ハンガリー王によって幽閉された家である。ドラキュラ(ドラクラ)とは、「ドラクル公の子」と言う意味である。また、ドラクルはドラゴンで「竜」を意味する。

 

メニューは、ドラキュラらしく血(トマト)のスープ。

 

ソーセージを血で煮込んだもの。何のソーセージ?美女の腸かしら?

リンゴのデザート♪ これは美味しかったぁ~♪

 

 

 

 

 

 

  

屋根のある木造の階段を上ると、山の上教会にたどり着く。

 

山の上からの街並み。

かつては、ドイツ系のザクセン人が住んでいた。しかし、第二次世界大戦後にその大半は、移住を余儀なくされ、シギアショラの人口の半分はドイツ人だったが、ベルリンの壁崩壊以降は、不安定な情勢を嫌ってザクセン人はこぞってドイツに移住した。

 

 

よって、廃屋化する建築物も多く。どのように保存するか問題となっている。

 

 

山の上教会。山頂部分の平地が少なく、教会全体を写真に収める事ができなかった。

今日教会を管理している僧侶が住んでいるのだろうか?直ぐ傍に、人の生息する温かみを感じる質素な家が目に付いた。

 

また、小さな庭で古い木の株に新しい生命の伊吹も目についたのでパチリ。

 

山の上から降りて来ると、小さなお土産屋さんに出くわす。

今の時期は人出が少なく、ゆったりとして掘り出し物はないかと覗いてみた。

 

次回は、ブランとシナイアを紹介したい。

 

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ブカレスト

2013-12-04 18:10:06 | 旅行

ルーマニアは、中欧の中でも唯一のラテン系民族の国である。首都のブカレストは、カルパチア山脈の南に広がるワラキア地方の南東部に位置する。20世紀初頭には、「バルカンの小パリ」と称されるほど美しい街並みを誇っていたが、第二次世界大戦で、中枢国側に付いた為に、連合国側の攻撃を受けた。その後、共産国政権時代に無機質な街づくりが計画的に行われた。

 

これは、凱旋門。

凱旋門といったら誰もが、パリのシャンゼリゼ大通りに聳え立つ、ナポレオンの栄華をしのばせる、あの凱旋門が直ぐに思い浮かぶだろう。しかし、ブカレストの其れは、繁華街からかなり離れている為にひっそりとしている。第一次世界大戦の勝利を記念して1919年に建造された。その当時は、木造の漆喰塗りの物であったが、1930年にルーマニアの彫刻家によって作り変えられた。

 

ルーマニアと言えば、チャウセスク大統領政権と夫妻の国民による処刑が、全世界を揺るがせただろう。このことをピックアップして政治思想に付いて書くと、他のヨーロッパ諸国との比較などから、膨大な量になってしまうので割愛する。故チャウセスク大統領が、日本円換算で約1500億円と投入して作らせた巨大な宮殿が、国民の館である。

 

本当にやたら大きい。大きいだけで建築物としては色気を感じない。というのは私個人の感想か?

 

世界中の官庁や宮殿などの建造物の中で、ワシントンD.C.のアメリカ国防総省ペンタゴンに次ぐ規模である。「国民の館」とは名ばかりで、国民は飢餓を強いられていたが、チャウセスクの私利私欲を満たす為の宮殿である。部屋数は3107に及ぶが、実際使われていたのはその三分の一にも満たないと言う。現在は、国際会議やコンサートが開かれている。丁度、サミットが開催されていて、ブカレストはラッシュだった。

 

 

旧共産党本部。

 

この辺りは、1989年12月の民衆革命の舞台となった、革命広場である。現在はおしゃれな繁華街となっている。

 

1989年に東欧革命の波がルーマニアにも波及し、チャウセスク大統領夫妻の処刑が行われた。そして、ルーマニアは民主化への道を進む事になった。革命当時に、大統領派と革命派との戦いの舞台になった建造物や広場は、今でもそのまま見る事ができる。TV映像を通じて全世界に報じられた、民衆革命の銃撃戦の舞台となった。故チャウセスク大統領は、この旧共産党本部のテラスで大群衆を目前に最後の演説を行った。しかし、民衆のブーイングにより遮られ、この直後に屋上からヘリコプターで逃亡した。

 

 

 

 

さて、これは同じく革命広場に建つクレツレスク教会である。

18世紀の建造物で、典型的なルーマニア正教の教会で、入り口ポーチの天井は、善と悪を裁く神の姿がフレスコ画で描かれている。チャウセスクはこの教会で祈りを捧げる事はなかったのだろうか?

 

ブカレスト郊外で、ジプシーの子と思われる薄汚れた子供に無心をされた。心が痛み、彼らに渡したところで私にしたら、大した金額でもないので、この寒さの中で見るに忍びなく、いっそお金をあげようかと思ったが、心を鬼にしてお断りをした。

何故なら、先ずは日本人として、国内で解決するべきことがあるからである。しかし、成田便への機内で世界の子供達の映像が流され、乗務員が封筒を持って機内を廻ったので、許す限りのお金を封筒に入れて寄付してきた。

 

 

少し重たく暗い内容になってしまいました。まあ~次回以降も、淡々と?徒然なるままに、写真と共に紹介をしたいと思います。

 

 

 

 

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ただいま~~~♪薔薇の香りと共に。

2013-12-02 17:17:27 | 旅行

ただいま~~~♪

ルーマニアとブルガリアから帰国いたしました♪

先月の北欧4カ国よりも、寒かったぁ・・・・・プルプル

それは、たとえ1か月でも北半球全体が晩秋と冬へ向かっているのもありますが、今回は比較的標高の高いところへ行ったのと、私自身の精神が少し落ち着いてきたので、寒さを感じてしまったというのもあります。

いつも精神が逝ちゃっているので、特に先月の北欧では、その傾向が強く冷気のフィヨルド中を突き進む甲板デッキですら、寒さを感じなかったのに、今回の特にブルガリアの寒さと言ったらなりませんでした。

今月、クリスマス頃から札幌へ飛ぶ予定でしたが、色々とmustがあり都内で潜伏予定です。

 

先回の北欧日記がまだ、序の口しか書けてないのですが、何しろ写真を9千枚撮りましたからね、あれについて書こう、これについて書こうと写真を眺めているだけで、収拾が付かない感じです。今回は、写真はそんなに撮りませんでしたので(と言っても二千枚ほど)、旅の時系列を前後して、ルーマニアやブルガリアについて、先に書こうと思っています。

丁度、ブカレストではサミットが開催されていて、ラッシュでした。チャウシェスク政権などについて、食べものについて、等々、様々な事を書きたいのですが、そうすると、あっという間に本が1冊書けてしまう程になりますので、適宜、抜粋、割愛をして、おしゃべしたいことを徒然なるままに認めて行こうとおもいます。

そうそう、ルーマニアと言えば「吸血鬼」でしょう?それについて書くと、古代ルーマニアにまでさかのぼり、キリスト教の由来とスラブ民族との対立など、異なる宗教と民族間の対立などについて書かなければいけません。

しかし、その「吸血鬼」モデルとなった人物の生家やお城に参りましたので、写真と共に簡単に私の言いたいことだけを書こうと思っています。

吸血鬼城内のガイド氏によると、「今夜男性に部屋をノックされたら、怖ろしい吸血鬼かもしれないので気を付けるように・・・・」という事でしたが、その夜は、男性どころか誰も私の部屋をノックする人はいませんでした。

素敵な男性だったら・・・・・たとえ吸血鬼でもドアを開けていたかもぉ~? 残念! きゃきゃ!

 

そして・・・・

ブルガリア。険しいリラ山の麓のリラの僧院は、心の根底でラテン語で言うところのcorの部分にまで到達してしまう、ある何かを感じました。

ブルガリアと言えば、ヨーグルトと薔薇ですよね?

そう、ダマスクローズの香りは女性にとっては何とも言えません。

 

ローズオイルのタップリ入った石鹸や、リップバームなどを購入して来ました。リップバームはとってもいい感じ。購入して直ぐに現地で使用しましたが、寒さと乾燥から唇を守ってくれました。塗ると薔薇の香りが広がり、気分も華やぎます。

今夜は、ゆっくりお風呂に入って、薔薇石鹸で女磨きをしてきますヨン♪

Good night  !

 

 

 

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