昨日は、久しぶりにとてもお世話になっている方のAと電話で1時間位話をした。御話させて頂いて本当に好かった。感謝!ありがとうございます!そんな気持ちが受話器を置いた直後からじわじわと湧いてきた。
今まで、男性社会に生きてきたが、数少ないとはいえ女性が皆無ではなかった。その数少ない女性は、皆?(と言っても人数が少ないが)、超個性的である。最も私自身も、もしかしたらその構成員の一人なのだろうが、これでも、最も常識的な女性であると自負している。
そんな男性社会に生きてきた女性の一人として、女性性を売り物にしてもっと媚びをうり色仕掛けできるタイプであったら、私の人生はもっと楽であったのかもしれないといつも思う。
しかし、Aの話によると、やはりそれは間違いで、色仕掛け作戦をして上手く行っている筈のB子やC子は今、苦戦をしているという。元来の努力を怠り色仕掛けする女性は、没落するのだ。それでも、私にも多いに反省はある。余りにも毅然として凛!としていたかもしれない。しかし、色仕掛けしようなどと言う意識は無くても、控えてこれ以上控えきれない位に控えていても、勝手に私の女性性を感じる男性は少なくない。通常であれば、全く問題ないのだが、むしろ喜ぶべきこと?で、お互いに立場が在ると問題はややこしくなってしまう。普段、控えている分、自分をさらけ出しても良い男性には、これ以上ない位の甘えん坊でもある。お相手がタジタジになってしまう程かも、う~ん、今はやりの言葉でいうと「じぇじぇじぇ」かなぁ~?だから、男性は思い切り甘えられる器のある人が良い~♪ とは言え、私ほどの我儘女性を受け留められる男性なんてこの世に存在などしないのかも。人が人を変えることは出来ない。だとしたら、自分が変わることで相手の行動を変えるしかないのだろう。
男性ばかりの中に居て、彼らを観察していると、この女性の甘えと言うのはどういうものなのか、嫌と言う程教えられる。女性が考える甘えと男性が考える甘えられると言うのは、実は大きく違っているのだ。女性が考える甘えで、男性に甘えてしまうと、大抵は男性を辟易させることを、殆どの女性は知らない。
男女が仲良くするには、女性からは男性という生き物がどういうものかと知ることが一番である。自分の考えで行動してはいけないと言うことが痛い程、実感として理解できた。これは、男性が女性に接する場合にも同じことが言える。大体、違う宇宙から来た人間同士だからね。お互い理解できなくて当然なのだ。でも、私は痛いほど学習をした。それなのに、中々生かせていないである。
何も男女関係だけではなく、人間関係を維持する上では、「善と悪」の在り方を考えるとよい。
悪い事柄や悪い人間を排除しても、問題は収まらない。「善と悪」は自分の中にも存在する。悪を排除しても、それは一時の事で、面白い事に今度は残った善の中に更に悪が見えてくるのだ。なぜならば、「善と悪」は相対的なものだからである。組織の中で悪人を排除しても、その中に残っている人間が更に悪になって現れてくる。そのことに固執していると、自分の器が小さくなり人間嫌いになってしまうだろう。そして、悪を切っても善の世界にはならない。善の器で善と悪に関わるのが、必要なのだろう。
B子は立場あるDと仲良く宜しくやっていたが、Aの話によると、DがB子を嫌っていると言う。何故?
実は、昨年の今頃、私はDを滅多打ちにぶった切った。直接関係ないとはいえ、私からしたら立場あるDである。しかし、毅然とした態度で接してきた。最初は嫌がらせを受けたが、凛とした態度にDも諦めたようだ。それどころか、季節の御挨拶状を送ったら、殊更に喜んで感謝された。その後も、態度を変えず、さらに御挨拶状を送った。それで、少々時間はかかったものの、事なきを終え私の人生からはDは消えたと思っていた。しかし、人として、やはりそれでは、少し情緒に欠けるかもしれないので、最後のクリスマスカードを送ろうと思う。彼が腹いせで私に嫌がらせをしなければ、今頃は、少しはお近づきしたかもしれない・・・・
さて、その後、B子はDにこれ見よがしに近づき、Dは諸手を広げて喜んだ・・・・筈だった。B子はDの前に、E,F,Gにも色仕掛けをしている。Gは最初からB子を撥ねつけていたが、D、E,F,は総て同じ大学出身で、彼らのカラーは良く出ていた。そして、私は陰ながらGにはお世話になった。彼のお蔭で今の私があるとも言える。
「レマン君・・・しかし、D,E,F,Hなど、どれも某大出身は人一倍女好きで助平なくせに、どいつもこいつも度胸がないと思わないか?B子を相手にするんなてよ。いくら女好きの彼らでも、DなんてB子と関わったのは好いが、怖くなったのだろう。しかし、Dのやつレマン君にまで・・・・B子の悪口は凄いし手余ししているけど、レマン君の事などレの字も口にしないぞ。Dも馬鹿なやつだなぁ~。Iもレマン君に惚れていたのだろう。しかし、君が相手にしないから面白くなくて嫌がらせをして自分の立場を見せつけたのだろう。だが、そんなことをしても、君はするべきことをして周囲には人一倍信用が在った。また、H(女性の立場ある人物でB子、C子は寄り付かない)などがしっかりと君の応援をしていた。Iは拗ねていては自分の立場が危ういと判断したのだろう。ましてや、君は怯まないし毅然と努力を続けて結果を出してきた・・・結局は幾ら女好きのやつらに色仕掛けをしても、B子は性格が悪すぎる。だから、結局嫌われるんだろうな。しかも、実力がない。だから、ますます色仕掛けをして・・・同じことの繰り返し。(略)
レマン君。その内、年明けにでも食事に出かけよう。いや~、DもIも度胸なしよのぉ~。君は次に僕に会ったときは、無事で帰れないもしれないよ。僕は危険な男だよ。君と話していると実に楽しい・・・」
「あらら~。私はAさんの心臓の方が危険だと思いますわ。これからますますご活躍して頂かなければなりませんもの・・・・どうぞ、養生なさり、お大事になさって下さいませね?」
B子からもC子からも、嫌がらせは随分受けた。男性社会で、彼らと上手く付き合っていかなくてはならなず、それだけでも凄いストレスなのに、数少ない女性も曲者だった。B子やC子と組まなければいけない時は、地獄だった。でも、邪を撥ねつけるパワーストーンのブレスレットをして、決して揉め事にならない様に、自分を押えていた。そうしたら、先輩であるはずのB子から親しげにしてきて、寛いでいる時にジュースなどを購入してきて、私に近づいて来た。
「なんか、レマンさんって、何時も余裕の微笑だよね。私、不安なんだ~、Dが付いているけれどEが認めて呉れないかもしれないし・・・」
「私は運が良かっただけよ。B子さんは、実力があるし。だから、別な組織ではきちんと活躍しているじゃない。きっと上手くいくわよ!」
そんな会話をして、この秋に別れてきた。実際、B子は他の組織では評価を受けて立場が在り成功している様である。今、こうして書きながら傍観者的、少しは客観的?に眺めてみると、色仕掛けは私には無理でも、私にだってB子やC子の様な要素はあると思う。偶々、彼女等と同じ世界では、それを出さずに控えていただけである
他人から見たら順風満帆に見えるかもしれないが、他の世界では私なりに悩みは多く、反省するべきことが多い。ストイックに頭を抱えているだけでは生きていない。夢の理想の世界と実存世界を往ったり来たりしている。
そして・・・
精神が逝っている状態で、北欧の大自然や芸術作品、ルーマニアやブルガリアの教会建築や人の営みと歴史を見て来て、改めて次の様に思い、行動しなければいけないと悟り?を開いている所である。
アメリカの神学者ニーバーの祈りを引用したい。これは、アメリカなどでは、アルコール依存症、薬物依存症、神経症などの治療プログラムなどで採用されている言葉である。ちなみに私はクリスチャンではない。
O GOD, GIVE US
SERENITY TO ACCEPT WHAT CANNOT BE CHANGED,
COURAGE TO CHANGE WHAT SHOULD BE CHANGED,
AND WISDOM TO DISTINGUISH THE ONE FROM
THE OTHER
神よ
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。