国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

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アメリカの今の社会状況と「内省性」化するヒップホップ

2012年02月07日 | ヒップホップについて
「駄目な僕」というのは、
ビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』に入っている曲(邦題)である。
「僕は時代に合っていないんだ…」と鬱々としたつぶやきを
美しいブライアン・ウィルソンの声で聴くと、
「そうだよなぁ。そう思うことってあるよなぁ」と妙に共感してしまう。
まぁ、今風に言うとブライアン・ウィルソンは元祖草食系男子とでも言えるのか。
(「草食系」などという言い方は好きではないのだが…)

つまりは自分の心の中、「内省性」を歌うのがロックの特質でもある。
反社会的な歌詞というのは、いわゆる「自分はこの社会に合っていない」という
逆説的なメッセージに成りうるし、
「みんな平和で行こう」という歌詞はやはり内面から溢れ出るものだろう。
その反社会的な思いが評価され、
社会で成功をしてしまうという矛盾をロックは含んでいる。
それに引き裂かれてしまい、悲劇的な死を選ぶロッカーもいるわけだ。

ところがヒップホップは全く「内省性」とは無縁の音楽と言える。
元々「金・女・社会的成功」という人間の欲をストレートに歌い、
そもそも成功することが目的のため音を出しているような部分がある。
社会的に成功できれば大成功という目的もはっきりしている。
とても内面をラップにのせるといった状況ではなかったわけだ。

しかし時代は流れる。
アメリカの9.11や様々な経済状況、世界に対しての強攻的な戦争という
世界のリーダーたらんとする姿は、
一方でその国に暮らす人々にいったいどのような影響を与えたのだろう。
こうした状況は日本も他人事ではないのだが、
そういう時についつい「オレってさぁ…」などとつぶやくこともあるだろう。
政治に対して激しく憤りを覚えていながらも、それに対する手段を持たず、
どことなく「なあなあ」で済ませてしまう自分に嫌気が差すこともあるだろう。

ヒップホップが最後の聖域に踏み入れるのも自然の流れなわけだ。
アメリカでは黒人大統領も誕生して、黒人の社会的な地位も一応の上昇が見られる。
今のヒップホップを牽引するプロデューサー、DJ、ラッパーは
決して昔のような荒々しさがない。

前に取り上げたカニエ・ウエストの映像でも
彼はスーツやシャツをオシャレに着こなし、激しく感情を吐露する様子はない。
最近、話題のドレイクの『テイク・ケア』のジャケットも見てほしい。
物静かに金色のワイングラスを持つその姿は、
「これから欲を満たそう」というよりも
「叶ってしまった欲をどう処理していいのか」と戸惑っているようにも見え無くない。

一方でネットが広がり、大手のレコード会社に頼らず、
自分で作ったトラックを無料で公開したり、配布したりするという人も増えている。
タイラー,ザ・クリエイターの『ゴブリン』では、
ゴキブリを食うという衝撃的かつ
「中学生の悪ノリ」(長谷川氏言)的映像で話題をかっさらい、
加えて鬱々として一向に光の見えない社会に不満をぶつけている。
リルBは『アイム・ゲイ』というカタリタイトルでアルバムを出し、
(正確にはネット配信しかされていない)
『千と千尋の神隠し』のテーマやら岡田有希子やらからトラックを作っている。
今までの威勢の良いギャングたちの音楽から
一気に「なんでもあり」の音楽になっていることが分かる。

これからヒップホップがこの路線を行くかどうか分からない。
だが、ネット社会において誰もが自分のトラックや曲を発表して、
「場」に参加ができるようになってきている。
『文化系のためのヒップホップ入門』ではお二人がこの現象を
「初音ミク」と同じと語っている。
確かにYouTubeに大量にアップされている「初音ミク」は、
「場」を共有し、その中で優れた物を競い合っている。

さて、随分と長くなってしまったが、
『いーぐる』でのヒップホップ講演はその大筋の流れを追うことができ、
とても分かりやすかった。
一方でお二人が取り上げなかったJやラッパーもいる。
実はここら辺に中山康樹氏の語らんとしていったことを理解する鍵があると思った。

それについてもう少しこの話題を続けよう。
その前にまだ本を読んでいない人はぜひ読んでみて、
ヒップホップの歴史にふれてみるのもいいかもしれない。
普段はジャズ聴きの僕も折に触れて色々なジャンルを聴いてみる。
そこには今まで知らなかった未知の音楽が溢れているのだから…

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